2016/07/29

今の日本の食文化は「豊か」なのだろうかと時々思う件

日本では戒律で食べないものはあまりないかもしれないけれど、習慣的に食べないものは結構多いように思う。

この件。
はてなブックマーク - ムスリムの人が日本人に「どうせ無宗教ならイスラム教に改宗どうだい」と言ったら「〇〇が食べたいから考えさせて」と言われ〇〇の美味しさが気になってしょうがないらしい - Togetterま

「食い物に制限を掛ける宗教が日本でメジャーになるイメージが一切湧かない。」
「食に自由がない宗教って、日本じゃ絶対流行らない(多数派にはならない)よな。」

学生を中国に連れて行くと、「食べられない!」と言う人がたくさん出てくる。料理の味付けだけの問題ではなく、食材から食べられないというのだ。また、私の知人には、台湾観光の食事で豚の頭が丸ごと出てきたことにショックを受け「二度と台湾には行かない」と決心した人が二人いる。中華料理の食材の多くをゲテモノだという人は少なくないはずだ。それに、食用動物を生きたまま販売し、調理時に屠殺・解体する方法をグロテスクだと感じる人も多いだろう。

韓国に行くと、日本ではほぼ市場に出回らない食材が市場で普通に売られていたりする。日本では野草や雑草として扱われている草や木の葉、海産物などが韓国では日常の食材だったりする。香辛料やハーブも豊富だ。

日本以外ではあまり見ないような食材は確かにある。こんにゃくいも、わさび、山芋のようなものは、他の地域ではあまり見ないような気がする。納豆もそうかもしれない。それに、今では食材だと思われなくなってしまったものも昔はよく食べられていたようだ。年配の日本人だと、韓国の市場に行くと懐かしいと感じることがあるかもしれない。また、昔は地域性がもっとあって、他の地域では食材だと見なされていないものが地域によっては日常の食材だったりする。都会の人は雑草や食べられないものだと思っているものが田舎では子供のおやつや嗜好品代わりだったという話はいろいろある。魚介類などには今でもそういうローカルフードが残っている。だから、日本がもともと食材の種類が少ない社会だということはないのだろう。

しかし、現代の我々が日常でなじみがある食材は案外種類が多くないのではないか。食品産業や流通の都合やメディアの影響、仕事と生活スタイルの変化によって、我々の食生活はいろいろと標準化され、均質化しているような気がする。それが食材や味、料理方法に対する対応の狭さ、ある種の偏狭さを生んでいるのではないか。私たちは先祖がなじんでいた食材や味の多様さをいつの間にか忘れてしまい、知らず知らずのうちに、ある決まった傾向とパターンの食べ物だけを「食べ物だ」と認識するようになってしまっているのではないか。

我々は、しばしば、イスラム教徒など食にタブーを持つ人の食生活を窮屈に思ったり揶揄したりするけれども、我々も、自ら気づかないうちに自分たちの狭い枠の中に収まって、別の窮屈さの中で生活しているのかもしれない。自分たちが収まっている枠の狭さに気づかず、ほかの枠に従って生きている人々を「大変だねえ」とか「かわいそうだ」などと言い、自分たちの枠の外にいる人たちの食べ物を見て「気持ち悪い」とか「ひどい料理だ」とか言っているのだとすれば、ずいぶん滑稽ではなかろうか。

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2016/07/20

原発ほど楽しく稼げる商売はない

福島原発が爆発したとき「これで原発関連業界は一生メシが食えるな」と思った。

東電「完全凍結は困難」 第一原発凍土遮水壁 規制委会合で見解 (福島民報) - Yahoo!ニュース(7月20日(水)10時45分配信)

 東京電力は19日、福島第一原発の凍土遮水壁について、完全に凍結させることは難しいとの見解を明らかにした。同日、都内で開かれた原子力規制委員会の有識者会合で東電の担当者が示した。東電はこれまで、最終的に100%凍結させる「完全閉合」を目指すとしていた。方針転換とも取れる内容で、県や地元市町村が反発している。
 会合で東電側は規制委側に凍土遮水壁の最終目標を問われ、「(地下水の流入量を)凍土壁で抑え込み、サブドレン(建屋周辺の井戸)でくみ上げながら流入水をコントロールする」と説明。その上で「完全に凍らせても地下水の流入を完全に止めるのは技術的に困難」「完全閉合は考えていない」と明言した。
 これに対し、オブザーバーとして出席した県の高坂潔原子力総括専門員は「完全閉合を考えていないというのは正式な場で聞いたことがない。方針転換に感じる」と指摘。東電側は「(凍土壁を)100%閉じたいのに変わりはないが、目的は流入量を減らすこと」と強調した。
 凍土壁は1~4号機の周囲約1.5キロの地中を凍らせ、建屋への地下水の流入を抑え、汚染水の発生量を減らす計画。
 東電は3月末に一部で凍結を始めたが、一部で地中の温度が下がらず追加工事を実施した。東電によると、第一原発海側の1日当たりの地下水くみ上げ量は6月が平均321トン。5月の352トンに比べ31トン減少したが、凍土壁の十分な効果は確認できていない。
   ◇  ◇
 東電が今年3月に特定原子力施設監視・評価検討会で公表した資料では凍土壁造成の最終の第3段階について「完全閉合する段階」と表記していた。経済産業省資源エネルギー庁も「凍土遮水壁は最終的には完全な凍結を目指す」(原子力発電所事故収束対応室)との認識だ。
 規制委会合で東電が示した見解について、県の菅野信志原子力安全対策課長は「おそらく公の場では初めてではないか。汚染水の発生量を減らすという凍土遮水壁の目的を達成するため、当初の計画通り100%凍らせる努力が必要だ」と強調した。
 福島第一原発が立地する双葉町の伊沢史朗町長も「公式の場で方針転換とも取られかねない発言を唐突にする東電の姿勢には、非常に違和感を感じる」と指摘した。双葉地方町村会長の馬場有浪江町長は「凍土壁で汚染水を完全に管理できるという説明だったはず。町民の帰還意欲にも影響しかねない問題だ」と批判した。
 一方、東電は「地下水流入量抑制が目的で、100%閉合を確実に実施するわけではない。目的は変わっておらず方針転換ではない」(本店広報室)としている。
本来、東電は原発の事故処理という巨大な厄介を抱え込んでいるのだが、壊れた原発という「社会的にとにかく放置できないもの」を操作する主体として、社会(政府)に強い交渉力を持っている。原発の状況情報と実務の裁量で他に優越しているので、資金源たる社会との交渉の場作りをコントロールすることも出来る。
そして、この東電が引き出す膨大かつ超長期にわたる資金源に多数の関係業者と研究者が群がる。さらには資金源たる政府関係者と政治関係者もそこに群がる。これは既存の原発村というか原発生態系がそのまま生きる格好になっているのだが、事故処理と廃炉処理という新たなネタが投入されたおかげで、汚水処理やロボット技術などの人々もメシの種を見つけられることになった。

事故処理、廃炉処理から加わった人々は、それまでの原発生態系の人々に比べて新たな強みを持っている。それは、自分が社会正義に則っていると信じることが容易だということである。自分の新たな発想や試行錯誤を事故収束という人類の未知の困難な課題への貢献だと正当化しやすい。前人未踏の難問に挑むのだから失敗は付きものだし、失敗を繰り返しながら前進するしかない。そして出来るだけ早急に事故は収束させねばならないのだから常に万策を講じる必要がある以上、資金は惜しみなく注がれなければならない。

というわけで、事故後の原発処理業界は巨大なエネルギー源を得た生態系のように一気に発展し、カンブリア爆発のような奇妙な種(技術・事業)の繁殖を生む。今回の凍土壁はそうしたものの一つだろう。

なお、潤沢な資源があってもそこに生存競争が発生しないことはない。淘汰圧がゆるむ上に、今回の事故処理ではルーチンも技術も確立していない、つまり何が正解かも分からないため、多様なアイデアや技術や事業が立案段階のスクリーニングをくぐり抜けるので、外野から見るとナンセンスとしか思えないものが現実化しやすくなるということである。そしてさらに事業採択をめぐる交渉ゲームというメタ構造が生まれるので、外野にはますます訳が分からない世界が生まれていく。……まあ熱水噴出口近辺の生態系のようなもので、大きな資金源がある世界では大なり小なりどこでも起こっている話で、ムラ社会の形成メカニズム的な話ではある。

こういうふうに考えて行くと、社会がこの原発処理生態系にたかられる規模を減らすには、処理に関する情報や裁量をなるべく独占させないということが第一になる。出来るだけ利害関係が離れた(ないし対立した)人々・組織を処理プロセスに関わらせて、資源配分の権限の分散を図るという発想である。第二に、プロセスの透明化と責任主体の明確化だが、それには結果責任への引責方法を明記し、責任判定者を処理業界から距離の遠い人たちで構成させるという仕掛けが必要になる。たとえば今回の凍土壁の問題で言えば、第三者が事業を監視するモニタリング組織を設けて強い査察権限を与えること、そして事業の正否の客観的判定基準を事前に設定し、失敗時には施主も施工会社も事業経費を賠償するなどの義務を課すこと、などである。

こうした制度によって事故処理の業務や技術開発活動自体が歪められるというおそれは当然出てくるが、それによる社会的費用はこうした制度がない場合の社会的費用と比較されなければならない。原発処理の社会的費用をいかに見積もるかは難しい問題だが、当初から正否が危ぶまれていた技術に数年以上もこだわり(むしられる側であるはずの政府も強く支持していた)、多額の開発費を浪費したあげくに当初目標をなかったものにして恬淡としていられるような環境を放置することは、制度設計としてザルのようなものだとは言えるだろう。

ともあれ、経産省や内閣の様子を見る限り、このような「ザル」を改める気運が彼らから生まれるとは思えない。生態系内部から生態系のエネルギー源を閉じようという話はなかなか生まれないだろう。だから状況の変化には外的な力が必要なのであるが、これも当面は期待できそうにない。そして、誰がどうしようが原発処理には数十年以上かかることは確実であり、その処理費用が多額になることもまた確実である。
というわけで、原発の処理業界は今後数世代の安定・成長産業になると見込まれる。少子高齢化・人口減少・低成長の時代にあって数少ない有望事業の一つになるだろうから、若い人は目指すといいのではなかろうか。

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追記(2016年8月19日)

福島第一の凍土壁、凍りきらず 有識者「計画は破綻」:朝日新聞デジタル(2016年8月18日20時47分)

 東京電力福島第一原発の汚染水対策として1~4号機を「氷の壁」で囲う凍土壁について、東電は18日、凍結開始から4カ月半で、なお1%ほどが凍っていないと原子力規制委員会の検討会に報告した。地下水の流れを遮るという当初の計画は達成されておらず、規制委の外部有識者は「破綻(はたん)している」と指摘した。

 東電の報告によると、3月末に凍結を始めた長さ約820メートルの区間の温度計測点のうち、8月16日時点で99%が零度以下になったが、地下水が集中している残りの部分はまだ凍っていないという。東電は、セメントなどを注入すれば凍らせられると主張した。

 凍土壁の下流でくみ上げている地下水の量は、凍結開始前とほとんど変わっていない。外部有識者の橘高(きつたか)義典・首都大学東京教授は「凍土壁で地下水を遮る計画は破綻している。このまま進めるとしても、別の策を考えておく必要がある」と指摘。検討会は、上流でくみ上げた場合の地下水抑制効果の試算などを示すよう東電に求めた。(富田洸平)

東電はなぜこれほどまで凍土壁にこだわるのだろうか。

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環境保護を身にまとった排外主義+α

下記の運動。

奄美大島のすばらしい自然を残すため、中国人客5,400人を乗せた22万トン級クルーズ船の寄港地建設計画をやめてもらいたい!

この短い呼びかけ文の中に「中国人」が6回出てくる。

現在建造中で2018年完成予定の世界最大級のクルーズ船が上海から九州に向かう途中で奄美に寄港する計画。そのために奄美大島龍郷町芦徳の浜に350mの桟橋を建造し、中国人観光客のために芦徳半島はテーマパークにするという。
寄港を予定しているクルーズ船…
226,000トン、全長362m、幅65m、高さ72m、81,500馬力のエンジン
(比較として、世界最大のニミッツ級原子力空母より大きい)
乗客は中国人5,400名(乗組員2,100名)
つまり、寄港日は龍郷町にいる人の半分以上が中国人になります。
龍郷町民約6,000人に対して、中国人観光客5,400人プラス乗組員2,100人という、島のキャパシティを超えた規模の船が来たなら、奄美ならではの心地良さを壊してしまうでしょう。
”中国人の観光地”のイメージがつくと、日本人観光客や日本人移住者は必ず減少します(差別的な考えではなく、島の規模と対応力の問題です)。現在移住してきているIターン者も、生活環境の悪化があれば島外への転居を考えざるを得ません。
「差別的な考えではなく」なのだそうだ。頭が痛い。
大型クルーズ船の発着場とレジャー施設建設に反対するのに、なぜ「中国人」を連呼しなくてはならないのだろう。たとえばこれが日本や欧米からのクルーズだったらどうなったのだろう、「日本人」とか「欧米人」とかを6回も連呼しただろうかとつい思ってしまう。

もっとも、静かな村に外国人が大挙して押し寄せるというイメージに地元民が不安を覚えることも理解できる。その不安に乗じて排外主義は忍び寄る。だから、この不安をほぐす努力が必要だ。それはもちろん開発推進側がすべきことではあるけれど、寄航施設の建設への反対の本義が自然環境の破壊と住民生活への影響、そして強引な進め方にあるのなら、反対側も自分たちが排外主義に巻き込まれないように、そして住民の不安をあおらないように留意しなければならない。第三者の誰かへの差別感情を強化することは運動の目標とは関係ないし、長い目で見れば地域社会を毀損するのだから。

ちなみに、中国台湾発のクルージングツアーの多くでは寄港地滞在は朝から夕方まで、つまり長くて12時間程度しかいない。そして奄美大島に寄港する船は一年に数十もないだろう。そして、龍郷町は大島の中でも端にあるから移動も不便で、島内を縦横無尽にツアーバスが走り回るということもないだろう。そもそも動員できる観光バスがそんなにないし。大型クルーズ船を当て込んでバスを買い込んだらたぶん持て余す。常時観光客があふれるほどにはインバウンドを期待できないからバスの稼働率が上がらないだろう。
ほかにも観光客の行動管理や入管・警察との絡み、住民の治安への不安などいろいろ混ざって、結局ツアー客は限定された場所で囲い込まざるをえないだろう。したがって、町内を外国人観光客が我が物顔でぶらぶら歩くということは起こりにくいだろう。
というもろもろのことから、「住民人口より中国人が多くなる」みたいな不安は少なくとも生活空間が侵食されるという意味においてはあまり現実的ではないだろう。
外国人への不安感を開発反対運動のテコに利用することは、環境保護や地元民の生活防衛という大義を汚すし、地域の対外イメージにも傷をつけることになるのではないか。

私も龍郷町は何度か訪問しているし、奄美群島をめぐる状況はある程度知っていて、その上で今回の開発には懐疑的な気持ちを抱いているが、この署名の呼びかけだとちょっと乗れないなあと思う。地域の人たちの不安をそのまま代弁しているかのようにも読めるが、もしそうなら余計に問題だと思うからだ。悲しいことだけど。

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2016/07/13

関経連は日本の特権階級(の一部)であるらしいという話。

森詳介・関経連会長(関電の前会長)が、原発運転差し止め請求が出来ないように法改正したいと述べたとのこと。
これに、角和夫副会長(阪急電鉄会長)も同調したそうだ。

原発差し止め仮処分申請「できないように」 関電前会長:朝日新聞デジタル(2016年7月13日18時58分)

 原発の運転差し止めを求める仮処分の申し立てが全国の裁判所で相次いでいることについて、関西電力前会長の森詳介・関西経済連合会会長は13日、「司法リスクを限りなく小さくする必要がある」と述べ、申し立てができないように法改正などを政府に求めていく考えを示した。仮処分を申し立てた住民側からは「傲慢(ごうまん)だ」との声も出ている。

 関電は12日、高浜原発3、4号機(福井県)運転を差し止める大津地裁の仮処分決定に対する異議が退けられ、同原発が動かせない状態が続く。関経連の会見で森氏は「仮処分は民事で扱わない、特定の裁判所でやるとか、いろいろな方法がある」と指摘。国のエネルギー政策とかかわる原発の運転をめぐる問題は仮処分申請を認めず、知的財産権を専門に扱う知財高裁のような特定の裁判所で扱うべきだなどとした。

 森氏はそのうえで「資源エネルギー庁も大変大きな問題意識を持っている。最終的には法務省に要望していきたい」などと述べた。

 会見では、角和夫副会長(阪急電鉄会長)も森氏に同調して「原発を動かす、動かさないは行政訴訟に限定するなど、やり方はある」などと説明した。

 これに対し、大津地裁に仮処分を申し立てた住民側の井戸謙一弁護士は「人権侵害を緊急に救済する道を閉ざせば、憲法の『裁判を受ける権利』の否定になる。法改正まで訴えるのは、傲慢な姿勢だ」と批判した。

これこそ権力者の感覚なのではないか。法と制度を恣にする。それがおかしいと感じないし、むしろ社会正義に適うものだと思っている。
正義を行使するために社会の根幹的な法制度を深い次元で変更する。
これを国民的課題とせず、少数の有力者の中の調整で実現しようとする。
この方法・姿勢がむしろ正しいものだと信じている。(いくら何でも、私利私欲のために国民の権利を侵害してかまわないと正面から主張しているのではないだろう、たぶん…。)

これこそ正に王や貴族の心理であろう。
彼らは、自分たちがそのような者であると認識しているのだろう。
我々(日本国民)が彼らにそのような地位を認めているとは思えないので、彼らは権力の簒奪者であるか、あるいは自分たちの特権は神授されたものと考えているのではないか。

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2016/07/11

鹿児島に新風が吹くか?

鹿児島知事に三反園訓氏が当選確実 元テレ朝コメンテーター(投稿日: 2016年07月10日 21時20分 JST 更新: 2016年07月10日 21時20分 JST)

三反園氏は、知事のリコール運動にまで発展した、中国・上海との航空路線維持のために公費で県職員を派遣する計画(2013年)や、「高校教育で女子に(三角関数の)サイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」との発言(15年)など伊藤氏の政治姿勢を厳しく批判した。
2年前ぐらいの雰囲気では伊藤氏は盤石かと感じていた。氏の強引な県政運営などへの批判が企業経営者などからちらほら聞こえるようになっていたようには思うけれども、伊藤氏続投だろうという感じだった。
三反園氏擁立の話は去年か一昨年かに聞いたことがあり、そのときは「へー」と思った程度だったのだが、支持者の話でも「大丈夫かなあ」というニュアンスが感じられたから、批判票を集めて県政の牽制になれば…ぐらいのことかと思っていた。その後の展開を全く知らなかったのでこのニュースは寝耳に水のような驚きである。そもそも保守王国鹿児島で自民を制することがあるとは。そんなことがあるんだなあ。

鹿児島知事に三反園氏 「原発いったん停止し再検査を」:朝日新聞デジタル(2016年7月10日21時52分)

 鹿児島県知事選は10日投開票され、無所属新顔で元テレビ朝日コメンテーターの三反園訓氏(58)が無所属現職の伊藤祐一郎氏(68)を破り、初当選を確実にした。三反園氏は伊藤氏の4選阻止を訴え、民進、社民両党県組織や保守系地方議員の一部の支援を得て草の根の選挙戦を展開した。

 選挙事務所の内外に集まった支持者約200人の前に、三反園氏は午後8時24分に姿を見せた。「私は原発のない社会をつくろうと一貫して訴えている。熊本地震を受け、原発をいったん停止して再検査し、活断層の調査をすべきだ」と発言。安全性に問題が見つかった場合の対応を報道陣に尋ねられ、「安全性が確保されない原発は動かすわけにはいかない」と述べた。

 鹿児島県で過去に4選した知事はおらず、伊藤氏の4選の是非が焦点の一つとなった。三反園氏は多選を批判するとともに、熊本地震の発生で九州電力川内原発(鹿児島県薩摩川内市)の安全性に不安が広がると、反原発グループとも連携。「川内原発を停止し、点検するよう九電に申し入れる」との公約を掲げ、支持を広げた。一方で、選挙戦では反原発の主張を強調せず、保守層にも気を配った。

 伊藤氏は自民、公明両党の支援を得て組織戦を展開したが、及ばなかった。

というわけで、焦点の一つが川内原発だが、鹿児島財界と九電、そして県議会、薩摩川内市の抵抗がどうなるか。反原発勢力が知事をどのようにもりたてていけるか。

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2016/07/10

偏向教育とはなぜか反戦、脱原発、反天皇制、日帝批判のことらしい。

自民党がつくった教育現場の密告サイトが炎上、その煽りを受けて香ばしい授業風景の暴露大会に : 市況かぶ全力2階建

ツイッターで「#密告したかった授業」というタグが盛り上がっているらしいので、ツイッターを眺めてみたら、タイトルに書いたみたいな感じ。

政治的な話題以外のツイートも結構多く、たぶん、だんだんとタグ作成本来の意図が薄まりつつあるんじゃないかと思うのだけど、「偏向」を告発するツイートも変わらず投稿されている。

で、「偏向」なんだから逆があってもいいんだけど、日の丸や君が代が卒業式に出てきてイヤだったとか、慰安婦問題への言及がないとか、侵略を進出と言い換えてるとか、天皇を呼び捨てにしたり敬語を付けなかったりしたら咎められたとか、高校生の政治活動には許可が必要だとか、まあその手の話は全然出てこないわけで。
どうやらそういうものは偏向ではないらしい。

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しかし、このタグのツイートを見ていると、教師の理不尽な対応の思い出発表会とでもいうようなものが多い。
言ってみれば一方の当事者からの告発(しかも幼少期の体験談)でしかないわけだけれど、学校や先生への恨みを抱えて生きている人って沢山いるのだなあ。
で、ほとんどの話の類型が権力者の横暴の告発またはそれへの抵抗・反逆という形になっている。
そもそも、教育、とりわけ学校教育というもの自体がそういう権力関係を内包しているものではあるのだけれど、いろいろと考えさせられる。指導の趣旨が生徒の腑に落ちていないという段階で、そもそもその指導が失敗しているということもあるが、現場での対応には限界があるというのもあるし。

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これ以降は思いつきのだらだら書き。

こういう恨みを澱のように溜めた人々が沢山いれば、確かに教師は聖職者たれ、霞を喰って生きろ、全ての矛盾を一身に引き受けよ、学校教育のトラブルは全て教師の責任という方向のイメージは浸透しやすくなるよなあと思う。
実際、この権力者の横暴譚という類型がツイートの連鎖の中で再生産されているようにも見える。言わば言葉遊びの連鎖というか連歌というか、そんな構造があるようにも見える。これが学校・教師の「真実の姿」というイメージと不信感を強化することになるのだろう。都市伝説とはこうした構造の中で生まれるのかもしれない。

これらのツイートはほぼ全て当該教師が誰かなど詳細がない。だからこそ流言飛語としての力を持ちうるのだろうけれど、同時に告発者は自ら当事者になりたくないという気持ちもあるのだろうか。あるいは共感や連帯の表明としての自分語りということだろうか。

ところで、「密告したかった授業」というタグは自民党の狙いをよく表したネーミングだなあと思う。
そして、「密告」の例に違わず、このタグ付きで投稿されているツイートが流言飛語とほとんど差がないことにも感心させられる。関東大震災後の朝鮮人虐殺を彷彿とさせる。
安倍氏のフェイスブックもそうだが、自民党は(ついでに言うと入管の通報制度も)ヘイトを煽ることについては本当に上手だと感心させられる。
ツイッターの投稿と異なり、今回の自民党の「調査」は通報者に教師と事例の特定化を求めている。自ら責任を負うリスクがあるから通報には一定のハードルがあるが、そのハードルを自発的に越える人は一定数いるだろう。自民党は本当に全体主義国家が好きなんだなあと改めて思わされる。「自由民主党」なのに。

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2016/07/04

不寛容の発露と原初的形態

これ何の印?世界の主要都市に張られている「結界」を示す透明なワイヤー : カラパイア

何キロにもわたってはりめぐらされたこの透明なワイヤー。実はこれ、正統派ユダヤ教信者にとって、信仰に身を捧げるための重要な結界となっているのだ。
コメント欄が異教の慣習への違和感と嘲笑に満ちている。

「人の国でまで何しとんねんこいつら」
このコメントが+53という高いポイントを集めている。
そもそも宗教は国境と関係なく、日本にある宗教もその多くが国際的な広がりを持っている。ユダヤ教は世界宗教の一つであり信者は各国の国民であり地域の住民である。そしてこの記事でもこの「エルブ」の設置には事前に「自治体や議会の許可をとりつける」と書いてある。住民たち自身の判断として、「エルブ」が許容されているのである。それにもかかわらず、このコメントが高い支持を集めているのは、自らと異質なものへの嫌悪の社会的表現の一例だと言える。

安息日は活動してはダメって教義を捨てることができず、 「なら、囲いをつくってここまでウチの中ってことにすればいいじゃん!」って発想がもう破綻してるよね。 チベット仏教とかでお経がビッシリかかれた塔みたいなのをグルっと一周回すだけで、底に書かれたお経を唱えたことになる、ってのと同じものを感じる。

なぜ、「大昔の人がその時々で都合がいい用に設定した決め事だから、現代とそぐわなくても当たり前」という考えにいたらないんだろうか。

このコメントも+96ポイント。日本でもこの種の労力節約的な宗教的慣行はたくさんあり、決して珍しい慣習ではないのだが、なぜか他の宗教の慣習には頑迷さを感じてしまうという例。
ただ、自分たちの宗教の似た便法を想起して、共通性に思いをはせているコメントもあり、少し救われる。

未知の風習に対するプリミティブな反応も見られる。

  • どうせただの抜け道なんだから、もっと簡単に小さい輪っかでも作って、輪っかの内側だけが結界外、そこ以外は地球全土が結界内ということにすればいいのに!
  • ワイヤー張る前に心の中でどうにかする問題じゃないのか
  • エルブの外側に居たとしてもワイヤーを越えなければ中にいるのといっしょでしょ。解りやすく言えば赤道上にワイヤー張ったらどっちが内か外かなんて関係なくなる。
  • 概念のための区切りとはいえ勝手に他人の『我が家の敷地』内認定されて気分が良くない人もいるだろうな。それだったら免罪符というか「これを持っていたら自宅内にいるのと同じ」効力のあるお守りでも持てばいいような
  • 国境線というものがあるので…その中は全部家と思えばいいんじゃない?線一つで心理的にokというのなら、物理的なものでなくても全然行けるデショ。有って無きが如しな気がする。それか、電車ごっこみたいに線もって歩けばいいんじゃないの。強制的に宗教的概念空間に巻き込まれるのに抵抗ある人もいるんじゃないかと思うしさ。
  • 知らないで間違って切っちゃったりしたらどうなるんでしょう。以前、工事現場でユンボのアームが架空線を引っ掛けちゃったりを見たけれども。通電とかは無いなら切断に対するアラートも無いのかしらん←まで書いて何かタイマーと電動で時間になると自動的に鐘撞くシステムを思い出してどっちもどっち感(苦笑)
私も「エルブ」なるものはこの記事で初めて知ったが、これらの多くが誤解であろうことは想像がつく。このワイヤーは複雑な境界線をいちいち覚える必要をなくすし、「エルブ」の中にいるかどうかを客観的に明示してくれる。また、エルブの意味をなくすほどに領域を広げるのはそもそも戒律として意味をなさない。したがってこれらの感想は当事者への提案としては意味を持たないだろうし、信仰が無意味だという嘲りにも受け取れてしまう。

そしてまた、次のような第三者的な物言いも、自分の宗教や慣習への批判的視座なしになされれば、それはヘイトと地続きになる。

教義ってのは制定されるに至る歴史性、それから多分に地域性に左右されるから
制定当時の状況を鑑みれば合理性を持っていたりもするんだけど
時代も地域も変わると全く意味の無い不合理な物になって、更には不磨の大典と化して人間を縛る
宗教儀式や戒律を「合理性」で評価するという視線そのものが、すでにそれを異物と見なして批判する意図を含んでいる。自分の内心の自由を侵害されているわけでもないのに、遠い国の地域社会の風習を「不磨の大典と化して人間を縛る」などと評してみせる態度は、それが自省につながらない限りは排外主義の原初的形態であろうと思う。
私からすれば、卒業式などに日の丸君が代を持ち込むのも相当に「不合理なもの」なのだが、持ち込む側からすれば日の丸君が代には相当の「合理性」があるわけである。(というか、日の丸君が代を持ち込む理由を「合理性」に沿って説明されているのを見たことがない、実は。「国の支援を受けたのだから感謝して当然」とか「厳粛な式だから」とか「愛国心・愛郷心を養うことは大切」とかいう、礼節や道徳の観点からの説明はよく聞くが、これらは「合理性」というよりも社会倫理や美意識の範疇である。)
また、上に引用した例にある
「強制的に宗教的概念空間に巻き込まれるのに抵抗ある人もいるんじゃないかと思うしさ」
というのは、エルブとワイヤーなどよりも卒業式の日の丸君が代の方が、よほど当てはまっていると思うのだが。

本題に戻すと、こういう感じでユダヤ教やエルブへの素朴な違和感と嫌悪が次々と表明されている。あからさまな差別意識の表明やユダヤ陰謀論に毒されたコメントもある。日本ではアジア人差別ほど公然化していないが、ユダヤ教への差別意識が広く浸透していることをうかがわせる。そしてユダヤ教や戒律の厳格な宗教への無知が排外主義と結びつきやすいことも。だが、少数だがこの状況への違和感を表明するコメントもある。

盆と正月とクリスマスを祝う「宗教に寛容な日本」を自負するなら尚の事、こういう宗教形態こそ自然に尊重するようでありたい。

宗教と共に生きてる人々の大多数は基本的に、こういう戒律と日常とがせめぎ合った世界の中で生きてる。
自分たちとは違う他の宗教(文化)だから奇妙に映るというだけで、カッチリ決められた規律をグレーに再解釈して生きやすいように生きる、というのはどのような民族にも見られる当たり前の実践の姿なんだよ。

規範がないと共同体は維持できないから、蔑ろにするわけにはいかない。かといってそれガチガチだと生きづらくってしょうがない。だからこういう一種の妥協の実践が、宗教(文化)のある所には必ず見られる。
宗教人類学的にはこういう姿こそ興味深い。

このコメントはプラスの評価が勝っているが、
なんで日本人ってさ、「自分たちは宗教に慣用ですよう」って
いつも偉そうな顔をして言いまくるくせに、
こういうのには気持ち悪いとか言っちゃうんだろうね?
他の宗教を認めてないじゃん
八百万どころか、ただ一つの宗教すら寛容に見てやれない(しかも外国のことなの)にミジンコみたいな器じゃん
という、同じ視座からのコメントはマイナスの評価が勝っており、批判的なレスポンスも付いている。日本人批判が中心になっているからだろうが、我が身を振り返ることの難しさを感じさせられる。

この「日本人は不寛容だ」という指摘への反論としては、

記事にあるようにユダヤ人でも疑問を呈する人がいる話らしいから
私たちが諸手を挙げて尊重すべきってのはいささか思考停止なんじゃないか
教えの形骸化につながると考える人が現実に存在して、そもそも教えの本質がどこにあるのかは信者同士でも意見が分かれるんじゃないかな

「他宗教のやり方を取り入れる」日本のゆるさと「自宗教のやり方を変える」この記事のゆるさを一緒にするのも違うと思う
前者は近年取り入れたものは形をなぞっただけで本質なんて元からなく(クリスマスでケンタとか)自宗教の本質とは別の話(もちろん「日本人は本質を大事にしてるキリッ」と言いたいわけじゃない)し
後者は自宗教の本質が直接かかわってくる話だから

こういう文化もあるんだなーくらいで

という、他者の尊重という概念を0か1かで捉えて「不寛容」を正当化したり、不寛容なコメントへの個別的批判を日本社会論に一般化して否定したりする意見や、
寛容だからこそ
傍目からは迷信じみたように見えることを
一生懸命守ることが理解できないんだよ。
え~いいじゃんねそれくらい、なんかちょっとこわーいって
思うんだよ。
宗教に寛容というより自分の環境に適応しているものを取り入れやすいってだけ。
他宗教の行事でもお祭りとかなんか楽しそうな事しか受け入れてないでしょ?

カーストやイスラム法だの現代の倫理観から言えば異質なものだってあるんだし、宗教の全部を受け入れるなんて無理な話。それをミジンコの器とか言われたらたまったもんじゃない。

といった、そもそも不寛容であることを自ら暴露するようなコメントがあり、これらはいずれもプラスの評価が勝っている。

そして最後にこのコメントを。

こういうのがおかしいと素直に思えて肯定される、今の日本に生まれる事が出来て本当に良かった。
このコメントの評価は現時点でプラスマイナスゼロなのだが、さすがにこれがプラス評価を稼いでほしくはないなあ。

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記録:会長自ら「国歌歌えない選手、日本代表じゃない」と断言する東京五輪の精神性

「国歌歌えない選手、日本代表じゃない」森喜朗氏:朝日新聞デジタル(2016年7月3日18時56分)

 「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」。東京・代々木の体育館で3日にあったリオデジャネイロ五輪の代表選手団の壮行会で、2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が来賓のあいさつでそう述べた。

 壇上には選手ら約300人が登壇。森会長は、直前の陸上自衛隊中央音楽隊の松永美智子陸士長による国歌独唱時の様子を振り返って「どうしてみんなそろって国歌を歌わないのでしょうか」と問いかけ、サッカー女子の澤穂希さんや、ラグビーの五郎丸歩選手が君が代を歌い、その様子を見て国民が感動した、と述べた。「口をモゴモゴしているだけじゃなくて、声を大きく上げ、表彰台に立ったら、国歌を歌ってください」と選手団に呼びかけた。

 場内ではみんなで声を合わせて歌う「斉唱」ではなく「国歌独唱」とアナウンスされ、ステージ上のモニターにも「国歌独唱」と表示されていた。

オリンピックの精神にももとるという声が出ている。

はてなブックマーク - 「国歌歌えない選手、日本代表じゃない」森喜朗氏:朝日新聞デジタル

森氏の発言が状況を理解していないめちゃくちゃなものだという指摘もさることながら、そもそも東京五輪はこういう精神性のもとに強力に誘致されたものだということを想起しておきたい。森氏個人の特殊性に還元されるものではないのは言うまでもない。東京五輪を巡る様々なゴタゴタもこの種の精神性「国歌歌えない選手は日本代表じゃない」と関係していると思うのだがどうだろうか。

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2016/06/29

家族に孝行することを制度化している会社

新たなサンプルが見つかったので、今回新たにエントリを建てた。

●税理士法人 古田土会計
聞いたことがない! 両親への「ありがとう」が業務命令:日経ウーマンオンライン【こんな会社で働きたい!】(2016年6月28日)

東京都・江戸川区に「日本一明るい会計事務所がある」と聞き、やってきたのは西葛西駅からほど近いオフィスビル。なんでも親孝行が“業務命令”の会計事務所があるらしいのです。税理士法人 古田土会計が実施している「親孝行制度」とは一体どんな制度なのか?
というわけで、こういうPR記事こそ香ばしさがあふれているもの。
入り口を抜けると、オフィスの隅々から「いらっしゃいませ! こんにちは!」と張りのある挨拶の声が次々と。席に座っていた社員の皆さんが、一様に仕事の手を止め、立ち上がり、笑顔を向けてくれています。思いもよらぬ“大歓迎ムード”に目が覚めるような思い。
高校にはこういう学校がたくさんある。で、学校を一歩でも出ると、この種の「挨拶」と「笑顔」ってなくなるんだよね。まあ何というか、挨拶と笑顔も業務の一つというわけで、別に相手に好意を持っているわけでも親切にしたいわけでもない。あくまで業務、ルーチンワークの一環としての「笑顔」であり接遇である。これが「おもてなし」の神髄でもある。

まあそれはともかくとして、この記事によると、
・これは「親孝行制度」といい、「税理士法人古田土会計をはじめとするエムケーコンサルティンググループが12年ほど前から導入した」
・「毎年4月21日~5月20日を「親孝行月間」とし、入社3年目までの社員を対象に、「実家まで両親(社会人になるまでお世話になった保護者)に会いに行き、御礼の挨拶をする。初めての給料で買ったプレゼントを贈る」という制度。」「実家までの交通費は支給される。」
・業務命令で親孝行をする。「確かに親孝行したことを証明するために、贈り物をしているシーンや御礼の言葉を述べているシーンを撮影した“証拠写真”と共に、後日レポートにしてチームリーダーに提出。さらに総務課もチェックした上で“業務完了”となる」

で、「業務命令で親孝行することに違和感はなかったのか」という質問への社員の反応。→「業務命令だからこそ、やりやすかった」
親に感謝の気持ちを表すきっかけをもらえて助かったということらしい。また、その副産物として、

「それまでの私は『自分が何かしたとしても、相手を喜ばせるような大したことはできないのではないか』と思い込んで、どこか消極的なところがありました。親孝行を通じて両親が喜んでくれる姿を見たことで、私の行動一つで相手に大きな喜びを与えることができること、そしてその喜びが何倍にもなって自分に返ってくることを実感できました」
という気持ちの変化が生じたことと、
 以来、お弁当を作ってくれる母親に「今日もおいしかったよ」「ありがとう」と言った一言を意識的に伝えられるようになったそうです。
という行動の変化があった、という話。なんとなく、就活の「成長しました」作文みたいな臭いも感じられるが、まあそれはいいとして。

この記事には後編があるらしいので、もっと詳しい話が出てくるだろう。

で、この会社のサイトから。

会社を知る - 税理士法人 古田土会計採用サイト(エムケーコンサルティンググループ)

「三つの文化」として、挨拶・朝礼・掃除を掲げているとのこと。その理念は「職場は仕事をするためだけの場ではなく、人間性を高める場でもある」というもの。

挨拶 出社したら、全員が全員と握手して挨拶します。最初に挨拶するのは、入口前に席がある古田土所長とです。

朝礼 TV東京「たけしのニッポンのミカタ!」に紹介されたほどの朝礼。いままで、300社以上、1,184名の方が見学に来られました。

掃除 毎週火曜日~木曜日の朝は西葛西の駅前から事務所の近所まで、社員全員で清掃を行っています。


会計事務所通信:税理士法人古田土会計/株式会社古田土経営
給料日に従業員が募金する箱があり、募金したらその従業員が太鼓を打ち鳴らすらしい。
社長の古田土氏の誕生日は「毎年、朝礼そっちのけでお祝い」だとのこと。
~代表社員 古田土 満 誕生日パーティー~ 税理士法人古田土会計|月次決算書の使い方徹底講座 - 税理士・会計事務所向けに古田土会計・古田土経営のノウハウ公開

日本商工会議所「光る!リーダーシップ!「若者・女性の活躍推進」取組事例【23】株式会社 古田土経営 グループ
日本商工会議所: 光る!リーダーシップ!
社内のワークライフバランスの重視、業務平準化の取り組みの紹介など。
従業員とその家族の集合写真が掲載されている。

社員が嫌がることでもやりなさい!~社員も家族も幸せにする経営術~|Visionet(ビジョネット)
「成功した企業のリーダーたちから業績アップのヒントとノウハウを学ぶ『ビッグインタビューズ』」として、古田土氏のインタビューがDVDとして販売されている。

いくつか特徴的なことが書かれている。
・「社員を幸せにする」という言葉が経営理念に入っている
・小中学校に出向いてトイレ掃除をしている
・「朝礼の定義は何かというと、情報提供の場でもコミュニケーションの場でもない。訓練の場であると。」
・「人は何で動くかというと、個人の考えだけで動くのではなくて、社風で動く」
・「会社というのは、お客様に喜ばれたり感謝されることが先」

個別の項目は企業の考え方として特段珍しくもないものもある。しかしこれらが連合して一体的になると、ある種の特徴がにじんでくる。

******

家族への感謝を制度化している企業には、ほかに、アリさんマークの引越社とフジ住宅がある。

●アリさんマークの引越社
風邪引いて辛いのにやむを得ず仕事しているが、あまりにアレなのでメモ: 思いついたことをなんでも書いていくブログ
従業員の配偶者(妻)の誕生日に祝い金。有給休暇を取れる(プレゼント)。
※有休は自分の好きなときに取れるはずなのでちょっと奇妙。有休が1日多いということなのか、休むことを義務づけられているのか、単に奨励しているだけなのか。

●フジ住宅
フジ住宅と今井光郎氏の研究会: 思いついたことをなんでも書いていくブログ
「親孝行月間」という制度を設け、年に一度全社員に1万円を支給。必ず親のために使うことと、どのように使ったかを感想文にして提出することが課されている。

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2016/06/28

「視聴者の会」はNHKにも抗議しなくちゃまずいんじゃ?という話

報道圧力団体「視聴者の会」公開討論でリテラが安倍首相との癒着を徹底質問! 上念司と小川榮太郎が珍回答を連発|LITERA/リテラ(2016.06.17)

「視聴者の会」というのは、「放送法遵守を求める視聴者の会」が正式名称で、文芸評論家・小川榮太郎氏と経済評論家・上念司氏が呼びかけ人になっているそうだ。

同会のウェブサイトは以下の通り。
【公式】放送法遵守を求める視聴者の会ウェブサイト|「知る権利」を奪うメディアの偏向報道を見逃しません

ここは、番組ごとに、賛否両論が放送される時間(秒)を調べて、その時間が半分ずつになっているかどうかで、報道の偏りを測定しているのだそうだ。

例:安保法制報道における両論の放送時間比較
ここで説明されている調査方法は以下の通り。

一般社団法人 日本平和学研究所調べ
※2015 年 9 月 14 日 〜 9 月 18 日での各番組放送時間の統計
※調査方法:発言者や場面ごとに賛否についての判断を行い、複数調査員により複数回調査し平均を出しました。
「複数回調査し」というのがちょっとよくわからないが、それはまあいいとして。

ここで「日本平和学研究所」という団体名が出てきた。

公式サイト:一般社団法人 日本平和学研究所

この「研究所」については、やはりリテラが取り上げている。
『NEWS23』岸井攻撃の意見広告を出した団体の正体! 謎の資金源、安倍首相、生長の家、日本会議との関係|LITERA/リテラ(2015.11.27)

この記事は上記「視聴者の会」の背景が主題だが、これによると「日本平和学研究所」も日本会議と密接な関係にあり、「扶桑教ひとのみち教団」(現在のPL教団)より分裂した組織とつながっているらしい。「視聴者の会」の小川榮太郎氏が理事長で、小川氏は日本会議で講演するような関係らしい。

閑話休題。

で、「視聴者の会」は、一つの意見が放送される時間を計って、放送の公平性を調べている。
一番上に上げたリテラの記事では、リテラ記者とこんなやりとりをしている。

――あ、じゃあ内容についておうかがいします。活動内容についてです。たとえば、「視聴者の会」さんは、夜のニュース番組だけ、『(NEWS)23』ですとか『報道ステーション』、それだけをとって賛否の時間的な「公平性」を訊いている。でもこれ、おかしいじゃないですか。なんでワイドショーや朝の情報番組は調査しないんですか。たとえば……

上念 コストかかるからだよ(笑)。

小川 えっと、今の発言だけでは、わかりません。ようするに、その番組全体をまずきちっと……今ね、私ども検証報告本当にやっているんです、毎日。で、たしかにおっしゃるとおりでね、もっと全部やったほうがいいというご意見ももっともなんですよ。ただ、お金も人も、ないんです。だからね、調べたとき95対5とか極端だったTBSやテレビ朝日を先に優先してますけれども……
――「先に優先してる」って言ってるじゃないですか! 意図的ですよそれは。
小川 そりゃそう当たり前じゃないか! だから偏向してるから、偏向してるからね? それで、それを優先して視てるんでしょ? じゃあ次にお金の余裕が出たらちゃんと他もやりますから資金面の心配をしてください。
*******

というわけで、番組を視聴して時間を計るのって結構面倒だろうしなあ、などと思っていたら、似た発想をする人はいるもので、同じようなことを調べた人が現れた。

【メディア分析】NHKで安倍さんの露出時間が長いのは公職選挙法違反では?(水島宏明) - 個人 - Yahoo!ニュース(2016年6月26日 8時46分配信)

6月22日(水)のNHKニュース7。
各党の党首演説の映像の長さは下記の通りだったとのこと。

自民・安倍総裁1分1秒、民進党・岡田代表51秒、公明党・山口代表40秒、共産・志位委員長35秒、大阪維新・松井代表23秒、社民・吉田党首20秒、生活・小沢代表21秒、こころ・中山代表19秒、改革・荒井代表17秒。

明らかに安倍さんの演説の放映時間が長くなっています。
(中略)
議席数に差があるとはいえ、実際に国会に議席を持つ政党なのに自民党の安倍さんが1分1秒で、新党改革の荒井さんが17秒。

そして、その後の党首インタビューの時間は以下の通りだったとのこと。

自民・安倍22分35秒、民進・岡田22分10秒、公明・山口8分0秒、共産・志位7分4秒、大阪維新・松井6分4秒、社民・吉田4分18秒、生活・小沢3分48秒、こころ・中山4分10秒、改革・荒井3分47秒。

自民党と比べると共産党は3分の1以下、新党改革は6分の1程度。

水島氏が「視聴者の会」より優れているのは、同日の他局の報道番組でも報道時間を計って、それらの結果を比較していることだ。その結果、民放はおおむねどの局もすべての政党に均等に時間を配分していたのに対して、NHKだけは大きくその傾向がずれていた、主に自民党に大きな時間を割り当てていた、ということが分かった。

さて、「視聴者の会」は、公式サイトに「いかなる政治主張も公平に報道されなければなりません」とすごく大きな字で書いている。すごく大きな字なので、きっと同会にとって最重要な主張なのだろう。
また、2016年6月13日には、TBSに「TBS社による重大かつ明白な放送法4条違反と思料される件に関する声明」という文書と公開質問状を出している。その文書の一節にはこうある。

時間公平を強く要求することは、そのような不当な民主主義の破壊を防ぐ、現時点で最も簡単で有効な手段だと、当会は強く主張する。
そして、その上で、TBSに対して、以下のような「要望」を出している。
◆TBSへの要望

1.この度の当会の調査結果に対して、放送法第4条の二及び四を遵守していると考えるか否か。遵守しているとの判断ならば、その根拠を明確に示すこと。

2.放送法第4条の二及び四に抵触したことを認めるのであれば、その責任を明確にし、再発を防止するため直ちに全社的な対応を取ること。
よく言われるように放送法第4条が「倫理規定」であるのならば、その「倫理」をこれだけ守れていない以上、視聴者、スポンサー企業に対し、法的、社会的責任を自らとることを強く要求する。

3.責任の取り方として、以下の対応を求める。
(1)第三者による調査・改善委員会の設置。人選については多様な立場の専門家で構成し、対立する見解を持った構成員を最低限保証すること。「お友達委員会」であってはならない。
(2)調査においては、安保報道全期間とし、放送法第4条に抵触する「違法性」の所在を自ら明確にすること。
(3)原因究明と再発防止のための具体的方針を明らかにすること。
*とりわけ、個別の番組、また放映曜日によっても多数の制作会社、人員が関わっているにも関わらず、なぜここまで局全体の論調が統一されてしまうのか、その構造的原因を明らかにすること。それができない限り再発を防げないと当会は考える。
(4)経営陣が辞任を含めた明確な形で引責すること。

「視聴者の会」は、「民主主義の破壊」を何よりも防ぎたいと考えているのであるから、選挙という重大局面において「公平」を毀損しているNHKに対しても、同様の「声明」と「公開質問状」を出すべきではないかとおもうのだが、どうだろうか。

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