2016/11/25

萩生田光一官房副長官、政府の戦後談話を覆す発言

萩生田光一官房副長官は安倍晋三首相の最側近の一人とのことで、政府見解を計る上でとても重要な発言だと思うので、記事をクリップしておく。萩生田氏が言うように「日本人はものすごく素直な国民、民族」であるかどうかは知らないが、萩生田氏ご自身がある意味で「ものすごく素直な」人ではあるのだろうとは思う。

「強行採決は田舎のプロレス」首相側近、持論次々に:朝日新聞デジタル(2016年11月23日21時45分)

 安倍晋三首相の最側近の一人である萩生田光一官房副長官が23日、東京都内のシンポジウムに出席し、「強行採決」や「戦後70年談話」「環太平洋経済連携協定(TPP)」などについて、自身の考えを語った。萩生田氏が参加したのは、ジャーナリストの櫻井よしこ氏が理事長を務める「国家基本問題研究所」主催のシンポジウム。

■「強行採決」は「田舎のプロレス」

 「強行採決なんてのは、世の中にあり得ない。審議が終わって、採決を強行的に邪魔をする人たちがいるだけでありまして。じゃあ、あの(野党の)人たちが本当に声を枯らせて質問書を破りながら腹の底から怒っているかといったら、『田舎のプロレス』と言ったらプロレスの人に怒られるが、ここでロープに投げたら返ってきて、空手チョップで一回倒れて、みたいなやりとりの中でやっている。ある意味、茶番だと思いまして、もうそろそろこういう政治のあり方は変えるべきだと思っている」

■過去の「談話」は「安易なおわび」?

「(昨年8月に安倍内閣が閣議決定した)戦後70年の首相談話を出す時にも、本当にみんなで悩みました。日本人はものすごく素直な国民、民族でありますから、例えば悪くないと思っていることでも、その場を謝ることで収めるということをみなさんもするじゃないですか。私なんかこの国会で、山本(農林水産)大臣のために何回頭を下げたのか分かりませんよ。政府の一員として申し訳ありませんでしたと。結果として、納得してもらうというのが日本の価値観じゃないですか。同じように、過去に発した文章の中には安易なおわびを入れることによって、間違ったメッセージを世界に発信してきたという後悔と過ちがあったと思います」

■TPP再交渉に「含み」

 「(米次期大統領の)トランプさんがもし譲れるものがあるんだったら、もう一度、『(TPP交渉の)再協議には応じない』と日本は基本的な姿勢を示していますから、安易にそこに入っていくことを望むことではありませんけど、しかし、前向きにTPPに関して話し合いをしたいということであるならば、私は時間をかけても米国をプレーヤーとして巻き込んでいくというのは、極めて重要なことではないかと思います」

■トランプ氏登場は橋下徹氏を「思い出して」

 「みなさん思い出してほしいんですけど、橋下徹さんが大阪府知事になる前、なってから、言っていることは全然違いますよ。だけど、政治経験がなかった橋下さんが知事になって、様々な広い角度から勉強した結果、やっぱりこれは必要だ、これは大事だということで政策を変えても、大阪の人たちは認めてきましたよね。これは(政治経験の長い)小池百合子さんはできないんですよ。その辺の暗黙の許容の範囲というものが、トランプさんにはあるんだなと思います」

トランプ政権「オバマ氏より期待」 萩生田官房副長官 - 沖縄:朝日新聞デジタル(2016年11月23日19時06分)
■萩生田光一・官房副長官

 インテリ層の皆さんからすると、「トランプ(米次期大統領)を支持していると言うと近所の人に白い目で見られたりするんじゃないか」ということもあって、なかなか世論調査には反映されなかったのではないか。よく似ているのは沖縄県の世論調査でありまして、沖縄県の基地問題の話を聞けば、世論調査の段階では、圧倒的に基地移転に賛成。しかし、選挙が毎回接戦になるというのは、世論(調査)に答えない潜在的な静かな基地容認派もいるんだな、と我々は感じているところでありました。

 連日、米国から放映される映像を見ますと、「トランプなんかが大統領になるんだったら、おれは米国から出て行くんだ」と言った人たちが、トランプさんと手を握って、そして何らかの要請を受けつつある。この前、(安倍)総理ともちょっと話したんです。日本だって自民党総裁選で「あんなやつが総裁になるんだったら、日本は終わりだ」と言っても、そんなやつが総裁になり、大臣をやってくれと言ったら必ず受けるじゃないですか。「米国の人たちもそんなに変わらないんじゃないか」と。

 共和党の皆さんも、大事なのはアメリカ合衆国なんだという思いがあるならば、経験のある人たちがトランプ新大統領を支えることは決して難しいことではないんじゃないか。オバマ政権が始まった時よりも、ある意味では、期待できる政権として、総理がしっかりお付き合いすることができるのではないか。(東京都内でのシンポジウムで)


印象深いところを一部抜粋。

●戦後談話は「過ち」

戦後70年の首相談話を出す時にも、本当にみんなで悩みました。日本人はものすごく素直な国民、民族でありますから、例えば悪くないと思っていることでも、その場を謝ることで収めるということをみなさんもするじゃないですか。私なんかこの国会で、山本(農林水産)大臣のために何回頭を下げたのか分かりませんよ。政府の一員として申し訳ありませんでしたと。結果として、納得してもらうというのが日本の価値観じゃないですか。同じように、過去に発した文章の中には安易なおわびを入れることによって、間違ったメッセージを世界に発信してきたという後悔と過ちがあったと思います
●トランプ氏と橋下氏は良いが小池百合子氏はダメ。
橋下徹さんが大阪府知事になる前、なってから、言っていることは全然違いますよ。だけど、政治経験がなかった橋下さんが知事になって、様々な広い角度から勉強した結果、やっぱりこれは必要だ、これは大事だということで政策を変えても、大阪の人たちは認めてきましたよね。これは(政治経験の長い)小池百合子さんはできないんですよ。
●沖縄も本当は基地容認派が多数のはず
トランプ(米次期大統領)を支持していると言うと近所の人に白い目で見られたりするんじゃないか」ということもあって、なかなか世論調査には反映されなかったのではないか。よく似ているのは沖縄県の世論調査でありまして、沖縄県の基地問題の話を聞けば、世論調査の段階では、圧倒的に基地移転に賛成。しかし、選挙が毎回接戦になるというのは、世論(調査)に答えない潜在的な静かな基地容認派もいるんだな、と我々は感じているところでありました。
●権力者の思考法
「トランプなんかが大統領になるんだったら、おれは米国から出て行くんだ」と言った人たちが、トランプさんと手を握って、そして何らかの要請を受けつつある。この前、(安倍)総理ともちょっと話したんです。日本だって自民党総裁選で「あんなやつが総裁になるんだったら、日本は終わりだ」と言っても、そんなやつが総裁になり、大臣をやってくれと言ったら必ず受けるじゃないですか。「米国の人たちもそんなに変わらないんじゃないか」と。

現職の官房副長官によれば「……チッうっせーなぁ、ハイハイどうもすいませんでした」が日本人の本音だったとのこと
悪いと思っていないのに謝って場を治める→安易なおわび
間違ったメッセージ=日本は責めると言うことを聞く軟弱な国、格好のカモだと思われてしまう
ということだろう。いろいろダメである。
・殺戮も略奪も、性暴力も強制労働も「悪くない」んだなあ…。
・取り繕うためなら日本人は平気で嘘をつくんだなあ。それが日本政府だったんだなあ。
・弱腰…強気の交渉に弱いのは自民党の対米関係だよねえ、例えば。
・安易なおわび…慰安婦や強制労働被害者への賠償を頑として拒否しつづけていますよねえ…。
・内閣官房の重役が閣僚の不祥事を謝罪するのは「悪くないのに謝る」例なんだぁ。身内の恥は家長の責任じゃないの、日本の伝統的な「家」の倫理では? それとも山本大臣の不始末は「悪いこと」ではないと?テキトーにごまかすために謝ったと?それは批判者を馬鹿にし嘲っているのと同じでは?

なお、萩生田氏が講演したのは櫻井よしこ氏の国家基本問題研究所のシンポジウム。
参考:国家基本問題研究所の役員一覧

萩生田氏はここで小池百合子都知事を批判している。そこで思い出されるのが以下の指摘。

国家基本問題研究所、あるいは櫻井よしこは、小池百合子のことをあまり信用していないようだ - ライプツィヒの夏

安倍総理の「最側近の一人」である萩生田氏がどうしようもない言動を繰り返しているのは以前から知られている。今回のシンポジウムは、また新たに彼の本音や人柄への認識を補強してくれたわけで、政府要人が気持ちよく言いたい放題本音を話せる場所って実はとても大切なのではないかと思ったりする、逆説的に。

ところで全くの余談だが、トランプ氏が大統領選挙に勝利してアメリカ各地でマイノリティへの迫害や差別行為が発生したり、KKKが祝賀集会を開いたり、Alt-Rightの人たちがナチスを称揚したりしている。安倍氏が選挙で勝ったあと、日本では排外主義的な活動があからさまになったことが思い出される。

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追記(2016年11月25日)

「首相は不良と付き合い上手」=萩生田官房副長官、トランプ氏ら指し:時事ドットコム()

 萩生田光一官房副長官がトランプ次期米大統領やロシアのプーチン大統領らを指して「不良」と発言したとして、野党が24日、問題視した。

 萩生田氏は23日の東京都内でのシンポジウムで、安倍晋三首相がトランプ、プーチン両氏やフィリピンのドゥテルテ、トルコのエルドアン両大統領と良好な関係を構築しようとしていると説明。その際、「首相はおぼっちゃま育ちの割には不良と付き合うのが上手だ。荒っぽい政治家と堂々と話すことができる」と述べた。
 萩生田氏の「不良」発言は、野党の国会対応を「茶番」などと述べたのと同じ会合で出た。民進党の小川敏夫参院議員会長は24日の記者会見で「とんでもない暴言で、外交上非礼だ」と批判し、萩生田氏の罷免を求めた。 (2016/11/24-16:33)

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2016/10/20

大阪府知事、松井一郎氏(維新)事が「土人」「シナ人」発言者をねぎらった件

はてなブックマーク - 松井一郎さんのツイート: "ネットでの映像を見ましたが、表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様。 https://t.co/W

当然だが、松井知事の発言には批判が集中している。

彼自身が反基地運動の人々を人間だと思っておらず、毛嫌いし、そして抹殺したい(害虫駆除のように)と思っていることを明らかにした――それも堂々と――わけである。

……ちなみに、松井氏や彼が所属する「維新」(ややこしいので「維新」とまとめる)は、阪神間で高い支持を得ている、ちなみにだけど。

ブコメには、機動隊員の暴言・差別表現について、表現が過激なだけだとか、荒々しい人たちの表現の一形態にすぎないとかいう声がある。
これらの声は、反批判としては的を外している。怒りや憎悪の表現として「土人」とか「シナ人」とかいう語が選ばれること、そしてその表現を含めて「一生懸命」とねぎらう感覚、そのこと自体が大きな間違いだという話に対して、「怒号が飛ぶのはやむを得ない」という反論は論点からずれている。
思わず口を突いて出た表現にはその人の本音や基本認識が表れるということを想起すれば、これらが隊員の暴言や知事のツイートの擁護には全くなっていないということが分かる。むしろ、彼らが普段から沖縄県民や外国人に差別感情を抱いているという指摘を補強する言説でしかない。

警察、軍隊・自衛隊、海上保安庁や入管など、治安機関は人権を制限し実力を行使する機関である。本来なら、治安機関こそ人権や法治を最も深く理解し尊重しなければならないはずなのだ。そして知事は警察の上に立つ者である。その彼らが、普段から沖縄県民や外国人を劣等人種だと認識し憎悪していることが批判されているわけである。……まあ、もっとも、松井知事にせよ機動隊員にせよ「そんな風には思っていない」と否定するだろうけど。

ところで、差別発言が取りざたされているが、差別発言だけが問題ではないのは当然である。そもそも、抗議行動をしている人たちへの暴力が問題なのであり、さらに言えば、工事を強行している政府の行動こそが問題なのである。

だが、今回この差別発言と知事の「ねぎらい」がクローズアップされたのは、治安部隊の暴力や政府の姿勢を支持・容認する人々にすら、「さすがにこれはよくない」と考えた人がいることを示しているのだろう。

しかし、これらの工事強行・抗議者への暴力は、そもそも沖縄県民への蔑視と深く結びついていると私は思う。確かに抗議者には県外の人も入っているけれども、沖縄を捨て石とする意識の本質が鋭く表れているのが高江の現状ではないか。それに怒り、抵抗する人々の意識を切り離してはこの抗議行動の本質は捉えられない。抗議者への暴力はいいが差別発言はダメだという姿勢では、沖縄への(そして差別に抗議する者への)差別や憎悪を沈潜させるだけだろう。

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2016/10/08

国士舘大学の先生方のせいではないみたい

国士舘大学法学部が以下のような懸賞論文を募集している。

国士舘創立100周年記念企画 学生論文募集|在学生・保護者の皆さまへのお知らせ|国士舘大学

―東京裁判を現代に問う―
主催:国士舘大学 極東国際軍事裁判研究プロジェクト
後援:産経新聞社
 戦後70年を経過した今、日本人が忘れてはいけないことの一つが「極東国際軍事裁判」いわゆる東京裁判ではないでしょうか。研究者による著書や論文は数多く存在しますが、現代の若者の目から見た東京裁判とはいかなるものか、ご自身の考えを世に問いかけてみませんか。

あっ……。すごくアレな感じの匂いを感じる。国士舘大学、やっちゃったな!という感じだ。

……だが、どこか懐かしさを感じるのは、大学生時代によく勧誘された原理研ダミーサークルの呼びかけと似た文体だからだろうか。

そう思いながら呼びかけを読んでみる。

Ⅲ. テーマ
 極東国際軍事裁判(東京裁判)に関するものなら自由です。東京裁判は、今日でも、なお検討に値する極めて重要な日本の課題として存在しています。
 この裁判を多くの角度から検討することが、戦後日本の在り方を多方面から検証すること、及び戦後の日本人の精神の在り方に自覚的に向き合うこと、に通じるであろうと思われます。加速度的に発展する社会の中で失ってはならないものとは、真実を探求する心です。戦後日本と日本人の精神の在り方を見すえて、従来の「東京裁判」論を越えていく様な野心的で、斬新な論文作成をお願いします。
主催者の意図がにじみ出していて味わいがある。

しかし違和感もある。そもそも法学部(法学、行政学、政治学関係)からの呼びかけにしては脈絡が分かりにくい文章である。東京裁判をゼミや授業で取り上げているような経緯があるのだろうか。

もう一つ奇妙に思ったのが、応募資格である。国士舘の在籍者に限るという条件に加えて、

この募集の趣旨に賛同する方。
という条件があるのである。
「趣旨に賛同する」ってどういう意味だろう(笑)。

あと、「30歳未満」という謎の年齢制限が付いていてちょっと興味をそそられるがそれはまあいいとしておく。

で、誰がこういう企画をやっているかというと、以下の名前が出ている。


審査委員長:篠原 敏雄(国士舘大学教授)
審査委員 :牛村  圭(国際日本文化研究センター教授)
      福永 清貴(国士舘大学教授)
      本山 雅弘(国士舘大学教授)
      榊原 智 (産経新聞社論説委員)
……「歴史認識問題研究会」とかいうのを立ち上げた人たちが入っていないな……。

ま、まあ、とりあえず、この人達がどういう人たちなのかを見ていくことにする。

産経新聞社の榊原氏は、まあ期待通り。「榊原智の政権考 iRONNA」を見ればだいたい分かるように、この企画とよく合っている。

で、それ以外の人。国士舘の法学部は産経史観(?)の人が集う場所なんだろうか。「国士の館」と書くぐらいだしな……。

そこで、大学の研究者情報とCiNiiで業績を見てみることにした。

●篠原 敏雄 氏(国士舘大学法学部教授)

国士舘大学 教員情報(最終更新日が2010年3月。古いかも。)

法哲学、法社会学。ヘーゲル法、市民法。ドイツ法。ドイツイデオロギーなどにかんする著作もあるから、初期マルクスとヘーゲルとかの関係だろうか。
国家論みたいな話だと産経が期待するストーリーとちょっと重なるかもしれないけれど、どう関係するのかよく分からない。

●福永 清貴 氏(国士舘大学法学部教授)

国士舘大学 教員情報

現在の専門分野は、民事訴訟法、民事執行法、民事保全法、破産法とのこと。
CiNiiで見ても業績もその分野に集中しているみたい。

●本山 雅弘 氏(国士舘大学法学部教授)

国士舘大学 教員情報

専門は著作権法だとのこと。CiNiiでもそれ以外の著作はあまりなさそうだった。

ということは、なんと、国士舘の人はどうも全然関係なさそうなんである。少なくとも専門や業績上は。

どういうこっちゃ?と思ったら、どうやら本命は日文研の牛島氏のようであった。国士舘大学の人ではないんですな。

●牛村 圭 氏(国際日本文化研究センター教授)

牛村氏の経歴と業績→ 国際日本文化研究センター|牛村 圭|

氏を知っていればすぐ分かったことだろうが寡聞にして存じ上げなかった。お恥ずかしい次第。それにしても日文研は多士済々ですな(笑)。

で、牛村先生は元々比較文化論の人で、先生によれば、東京裁判は勝者の裁判であり異文化接触であったそうである。

先生の問題意識については、上記ページの自己紹介ビデオにある説明が分かりやすい。

近現代日本の思想史、とりわけ比較文化論や文明論に関心を持っています。学部学生として外国文学を学んだ後、大学院で比較文学の手ほどきを受け、後に北米へ留学し、日本史を中心にしつつ西洋の思想史や文化人類学をも学びました。
ここ5年ほどの間に、先の大戦後の対日戦争犯罪裁判をテーマとする本を3冊上梓しました。いずれも戦犯裁判が西洋という異文化異文明による裁きだった、すなわち、異文化接触の場を日本に図らずも提供したという視点を根底に持ちます。しかし最近ではこの裁きが戦後日本の精神史に及ぼした影響を考察する方へと関心が移っています。
これとは別にスポーツ文明論とも言うべき分野をも開拓中です。具体的には近代日本とオリンピックとの関わりを旧来の体育史という枠組みを超えて文明の視点から論じる著作を次の目標に掲げています。
母国語だけでなく外国語を通して研究成果を発表することに加え、海外の優れた日本史研究をも翻訳などを通して紹介していきたいと考えています。
なるほど、先生によれば、東京裁判は征服者が異質な蛮族を従えた事件であり、戦後とは被征服者が支配者の文化文明に同化吸収されていく過程だということなのだろうか。

戦争や占領を異文化接触の現象と見るという視点は面白そうではあるのだが、しかしどうしてか私は「文明論」にいい印象がない。ステレオタイプを前提として調査と考察を重ねてステレオタイプを確認して安心するみたいな、一時代前の雑ぱくで循環論的な社会論という先入観を持ってしまう。「枠組みを超える」のも研究者の常套句だけれど、歴史学プロパーでなさそうな人がそれを言うとちょっと気になる…。

で、牛村氏の業績は上記の日文研ページを見れば雰囲気が分かる。わりと真面目な著作が並んでいる。

ただ、この日文研の紹介には載せていない著作もいくつかあるみたいである。「CiNii Articles 著者検索 - 牛村 圭」によれば、次のような著作もあるようだ。

山本七平と東京裁判--空前の思索家は「勝者の裁き」をいかに考察したのか (2002), Voice (291), 118-129, 2002-03

「国際軍事法廷」は「文明の裁き」たりうるか--勝者の裁きが正義だって?腐り果てた軛をあるかの如く振舞う奴隷根性よ、さらば (「サンフランシスコ講和条約」50年 背骨をへし折られたまま、何時まで「敗北を抱きしめて」いるのか! 日本の国格--「東京裁判」と「吉田ドクトリン」をこえて) (2002), (工藤 雪枝 , クライン 孝子 [他]との共著?), 諸君 34(2), 58-71, 2002-02)

検証 戦後日本人の「知的怠惰」が間違いだらけの「東京裁判史観」を生んだ (SIMULATION REPORT 「靖國」「広島」「東京裁判」「60年前の戦争」に決着を) (2005), サピオ 17(16), 24-26, 2005-08-24

東條英機--「勝者の裁き」に対峙した戦時宰相 (特集 論点検証 大東亜戦争) -- (大東亜戦争をめぐる群像) (2008), 歴史読本 53(9), 130-135, 2008-0

「『世紀の遺書』を読み直す--この人たちの言葉をかみしめないならば、日本民族に救いはない(火野葦平)」, 祖国と青年 (324), 22-31, 2005-09

なるほどー、という感じである。
2001年には山本七平賞を受賞している。

ちなみに、牛村氏は日文研の前に明星大学に勤務されていたとのこと。

……あっ。明星大学と言えば高橋史朗先生がいらっしゃるではないか。

*************
さて、まとめると、この懸賞論文の審査員、国士舘の先生方はほとんど専門ではないのであった。
もちろん、専門外で個人的な研究をしているのかもしれない。
ただ、なんとなく、この企画は法学部の自発的なものではないんじゃないかという気がする。呼びかけ文を見る限り、国士舘大学はほとんどハコ貸しみたいなものである。

審査員の構成にはその辺の事情が表れているような気がする。

……大人の事情でやむを得なかったのかな……とか。
……どういう企画にするか苦慮したのかなあ……とか。
……誰が関わるかで駆け引きがあったのかなあ……とか。
……審査員の先生方は面倒くさい作業を押しつけられるんだろうなあ……とか。
……どうして日文研でやらなかったのかなあ……とか。

いろいろ考えると味わい深い。
ただ少なくとも国士舘大学法学部が率先して「自虐史観を一掃せよ」みたいな感じになっているわけでもなさそうだということは何となく分かった。ちょっと安心した次第である。

国士舘大学法学部の先生方、変な色眼鏡で見てしまい、すみませんでした。
企画の成功をお祈りすると共に、某ホテルグループのアレとは一線を画すまともな論考が選ばれることを願っております。

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2016/10/06

リオ五輪のメダリストに支払う奨励金は総額で1億5000万円弱、リオ五輪閉会式におけるわずか8分間の安倍マリオ演出にかかった費用が12億円。

なるほどーと思ったのでメモ。

盛田常夫 リベラル21 2024年五輪に立候補しているハンガリー

日本オリンピック委員会(JOC)がリオ五輪のメダリストに支払う奨励金は総額で1億5000万円弱だという。桁が一つ間違っているのではないかと考えるのは私だけでないだろう。これに比べ、リオ五輪閉会式におけるわずか8分間の安倍マリオ演出にかかった費用が12億円だと報道されている。本当にそうだとすると、主役であるはずの選手に報いることより、政治家のプレゼンスのために、五輪予算を使っていると言われても仕方がない。選手はエコノミー、政治家や役員はビジネスというのが日本の標準だから、奨励金の何倍ものお金が選手の派遣にかかわる直接経費以外の使途に使われている。一事が万事、日本の予算の使い方が間違っていないか。
 プロ競技がないオリンピック種目の選手は、競技生活を維持することや、競技から引退した後の生活に不安を抱えている。将来の生活設計が描けないスポーツ競技に、優れた運動能力をもっている青年が集まるはずがない。だから、現役時代に世界で活躍する選手には、もっと手厚く奨励金や報奨金を与え、選手の肖像権などから得られる収益を還元するなどして、選手が引退した後の生活が計算できるようにしなければならない。そうでなければ、五輪で活躍できる選手を多く生み出すことなどできない。まして、政治家のプレゼンスが目立つ五輪など噴飯物だ。予算を無駄遣いし、選手の将来より、権力維持に利用する政治家の姿は醜い。
私は五輪には元々大して興味もなく、「安倍マリオ」などの茶番もネットで見かけたものの、そのアホらしさのあまり直ちに忘却していた。しかし、このように金額で対比されるとその愚かしさがいっそう際立ってなかなか印象的ではある。

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2016/10/02

グロテスクな理論の例

西日本はなぜ都会以外の住人でも地方であることを恥ずかしく思えないのか - Togetterまとめ

私は関西にとても好意的で、長崎は好きな日本の地域の1つなのだが、それでも本当に不思議なのが、西日本の非都市地域の謎の自画自賛の傾向である。ある種の地域ナショナリズムがあって、地元第一の感覚があることは非常に珍妙で、東京の目線で考えると不快ですらあるものだ
東京的に解釈すると、他所にない固有の独自性があってそれに基づいた有力なブランド性を有する地域こそが志向である。都会の場合東京がそもそもそうで、非大都市地域だと北海道(札幌自体は都会だが)や沖縄県に対する好意度も高い。沖縄に魅せられ定住する人が多いのもだいたいは東京人なんではないか
西日本はなぜ都会以外の住人でも地方であることを恥ずかしく思えないのか。これは本当に不思議である。普通東日本ならそう思って当たり前だろう。西日本でも一定はそういう人がいるだろうが、しかし、ネット上にはけして都会とはほど遠そうな癖に「東京よりも地元が上」みたいな傲慢な発想も少なくない
まずこの「謎の自画自賛傾向」自体が事実誤認。エスノセントリズムがにじむ悲しい認知の枠組みを露呈している。
そして、違った現象認識に基づいて、それを説明する理論を構築しようとするから、珍妙な思考が展開されることになる。
この種の議論はせいぜい茶の間の冗談ネタ程度に扱うのがふさわしいが、妙な地域意識を刺激する分始末が悪い。「エレベーターの中でおならをするのとエスカレーターの中でおならをするのとではどちらの方が罪が大きいか」の方がよほど上品だと思う。

社会事象は包括的・根本的な現象把握が困難だから、群盲象をなでる弊から逃れることはできないが、それにしても「自分の直感は本当に何かを言い当てているのか」は常に問い続けるようにしたい。他山の石他山の石…。

関連エントリ
思いついたことをなんでも書いていくブログ: 地域意識

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2016/09/28

抑圧をなくすには皆が抑圧されればいいという謎理屈

はてなブックマーク - 「性差別的」と批判を浴びた「おっぱい募金」、今年はAV男優の胸も揉める仕様に - ねとらぼ

ブコメも「良くやった、ざまあみろ!」みたいな反応がほとんどのようだ。
アホらしいので元記事は見ていない。

女をレイプするのが悪いんなら男もレイプしたらいいんだろ!

みたいな話。逆ギレっていうのかな、こういうの。

性暴力やハラスメントの話を女性差別の側面だけでしか認識できていない。
その認識自体が差別を生んでいるんだけど。

女が胸をもまれるのと男が胸をもまれるのとには社会的な文脈の非対称性があると思うんだが、そういうのもすっ飛ばしている。

*****

性的搾取批判には答えられないから女性差別の側面だけに対応したのだろうという指摘もあるが、それなら「おっぱい募金」を止めた方がよほど理屈に合うわけで。そうしないのだから、たぶん「分かっていない」んじゃないか。

それと「参加者は皆納得しているんだから」という声も結構あるのだが、これは一般社会に宣伝しているキャンペーンであって、身内や同好の士だけのこっそりした話ではない。幼稚園や小学校の正門前でアダルト作品や「おっぱい募金」参加を呼びかけるようなものだ。何でも事前登録制にしたとのことなのでゾーニングには一定の配慮をしたということらしく、それはいいのだが、コンビニのポルノ雑誌や電車内吊り広告のような状態は残っているのだろう。

あと、お金が集まって社会貢献の実績になっているという話もあるが、それは昨年も出た話で、効果があるなら手段の善悪は不問で良いという姿勢は端的にダメでしょうということでしかない。

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2016/09/25

毎日新聞が煽る嫌中意識

産経ほど露骨ではないが、産経と同じぐらい差別意識が強い。

余録:キトラ古墳(奈良県明日香村)の石室天井に描かれた… - 毎日新聞(2016年9月25日)

 キトラ古墳(奈良県明日香村)の石室天井に描かれた「天文図」が初めて一般公開された。350もの金箔(きんぱく)の星、星を朱で結んだ星座群。誰がいつ見た星空なのか。ロマンをかき立てられるが、最近の研究では古代中国で観測された星空という説が有力だそうだ▲中国では日食や流星など天体の変化は現実社会の吉凶を占う「天意」とされ、歴代王朝が天文台を置いて観測技術を向上させた。キトラ古墳に中国の天文知識が反映されているのは自然なことだ▲日食時には皇帝自ら儀式を行い、予測に失敗した役人が処罰されることもあったという。そうした伝統の影響もあるのだろうか。現代中国でも宇宙開発は政治と密接不可分な形で進められている▲「中秋の名月」の今月15日、無人宇宙実験室「天宮2号」が打ち上げられ、中国メディアは「習近平国家主席が宇宙の夢を先頭で指揮」と報じた。一方で、1日に衛星打ち上げに失敗した際、主要メディアの報道はなかった。成否が政権の権威に関わるからだろう▲「天宮2号」には今後、宇宙飛行士が乗り込んで長期滞在する予定だ。2022年には独自の宇宙ステーション完成を目指しており、日米露などが参加する国際宇宙ステーション(ISS)に代わって宇宙の主役となる可能性もある▲中国は国連を通じて国際協力を受け入れる考えを示しているが、米国などは消極的だ。国際基準と異なる中国の政治体質や閉鎖性を敬遠しているのだろう。唐代にはインド人が天文台長となり、観測の指揮を執った歴史もある。より開かれた宇宙開発で再び、知恵の伝達者となる道を目指せないものか。
何も関係ない話で、中国への警戒感を煽っている。「中国は危ない」というメッセージだけで、実質的な情報が全くない駄文。
こういう文章をさらっと書いてしまい、また、それを紙面に出してしまえるのが現在の毎日新聞でもある。

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まあ毎日新聞がこういうヘイト扇動記事を自然に書いてしまえるのには背景がある。

日中共同世論調査:対中印象悪化「良くない」91.6% - 毎日新聞(2016年9月23日 19時46分(最終更新 9月23日 21時53分))

 非営利団体「言論NPO」(工藤泰志代表)と中国国際出版集団は23日、第12回日中共同世論調査の結果を発表した。相手国の印象が「良くない」「どちらかと言えば良くない」との回答は、日本側が計91.6%で、昨年の前回調査から2.8ポイント増。2005年の調査開始後、14年の93%に次いで2番目に高い数字になった。8月上旬に沖縄県・尖閣諸島周辺で中国公船が領海侵入を繰り返したことなどが影響した。中国側は同1.6ポイント減の76.7%だった。

 調査は8月13日~9月4日、日中両国の18歳以上の男女を対象に実施。日本は1000人、中国は1587人から回答を得た。

 相手国への印象が良くない理由(複数回答)について、日本側は「尖閣諸島周辺の領海・領空をたびたび侵犯しているから」が64.6%で最多。「中国が国際社会でとっている行動が強引で違和感を覚えるから」が51.3%で続いた。中国側は「侵略した歴史をきちんと謝罪し反省していないから」が63.6%で最も多かった。

 相手国の印象が「良い」「どちらかと言えば良い」は、日本側が計8%で、こちらも過去2番目の低さ。中国側はほぼ横ばいの21.7%だった。

 現在の日中関係について「悪い」「どちらかと言えば悪い」は、日本は前回と同じ計71.9%。中国は計78.2%で前回より11ポイント悪化した。

 領土を巡る日中間の軍事紛争について「起こると思う」(「数年以内に」「将来的に」の合計)と考える人は、中国側の62.6%に対し、日本側は28.4%だった。

 工藤氏は記者会見で「安全保障面での相手政府の行動を不安視する見方が大きくなっている」と指摘した。【小田中大】

相手国の印象が「良くない」「どちらかと言えば良くない」の合計

日本側:91.6%(+2.8ポイント)
中国側:76.7%(-1.6ポイント)

相手国の印象が「良い」「どちらかと言えば良い」の合計
日本側:8%
中国側:21.7%

現在の日中関係について「悪い」「どちらかと言えば悪い」
日本側:71.9%(前回と同じ)
中国側:78.2%(-11ポイント)

領土を巡る日中間の軍事紛争について「起こると思う」(「数年以内に」「将来的に」の合計)
日本側:28.4%
中国側:62.6%

簡単にいえば、両国民共に相手のことをあまり好ましく思っていないのだが、その度合いは日本の方が激しい。日本人のほとんどが中国を嫌っているのである。(その対象が中国人なのか、中国政府なのか、中国社会なのかは曖昧で、実はこれらを区別することは非常に重要なのだが、この記事では分からない。)

他方、中国人が軍事衝突を恐れているのに対し、日本人はあまり気にしていない。中国人の対日感情が戦争への不安という内実を伴っているのに対し、日本人の対中感情は、中国の覇権主義・大国主義が気に入らないというやや漠然としたものになっているようだ。

この調査を行った言論NPOによれば、対日感情、対中感情はメディアの論調に左右されやすいことが分かるという。毎日新聞の「余録」は、この点で紛れもなくヘイト扇動記事なのである。

参考
日中関係は政府だけでは解決が難しい局面にある12回目の日中共同世論調査で分かったこと | 言論外交の挑戦 | 特定非営利活動法人 言論NPO
「第12回日中共同世論調査」結果 | 言論外交の挑戦 | 特定非営利活動法人 言論NPO

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2016/09/17

市原克也アダルトビデオ監督のインタビュー記事の感想

良く話を引き出した。インタビュアーが頑張っている。

AV問題:語り始めた業界人(2)「清く正しくは間違い」 - 毎日新聞(2016年9月17日 09時00分(最終更新 9月17日 13時06分))【魚拓】

毎日新聞の関連記事リンクも貼ってあってなかなか良い。

市原克也監督の談話がボロボロで業界の闇を露呈している。
だが、監督本人はそのボロボロぶりに気づいていない。むしろご自身の信念や正しいと思う感覚を率直に語るという意識を持っているようだ。
自らの感覚を信じ、それを率直に語ることが開かれたコミュニケーションの基礎なのだという単純な信仰。そして、自らの感覚への考察の欠如。そこに社会常識への挑戦や多少の露悪趣味が混じっている。
市原監督の談話を読んで思い出したのが百田氏のツイートや発言だ。市原監督の語り口は彼の態度と通じるものがある。

*******

監督の談話は、
1.アダルトビデオ業界が全体的に「食中毒ばっかり出す焼き肉屋」ばかりになっていること
2.自分の店も「食中毒」を出し続けていることを全く認識できていない
を示しているのは明らかだろう。業界の闇の深さを思い知らされる。

指摘できる点は山ほどあって到底終わらない。ちょっと唸った箇所を一つだけ挙げる。

 −−(引用者注 出演する女性自身が)AV出演で「一線を越えてしまう」「転落する」などとは思っていない?

 市原監督 そういうのは年に何人かしかいない。一つ一つの絡み(性行為)が意味を持つから、僕らはその方がありがたいんだけど……。

「絡み」がその女優の人生と紐づけられることで、その「絡み」に深みを与えられるという趣旨だと思うのだが、これって、例えば絵画や文学で破滅型の作家の作品を、作家の人生・人格と重ねて鑑賞するという方向と同様のことだろう。そして、市原監督は、その女優が破滅すれば自分の作品に深みが出ると言っているのだろう。これはなかなかすごいことではないか?

画家や作家は自分の破滅によって自分の作品に深みを与えた。本人がそうしたかったかどうかは別にして、自分の作品を自分の人生で飾ったわけである。ところが、監督は、女優の破滅を自分の作品の飾りにしたいと言っている。重ねて言うが、これはなかなかすごいことではないか?

人を道具と見ることしか知らない人が表現者として活躍すること自体はあってもいいだろう。創作活動ではそういう要素があることは否定できない。「地獄変」の良秀の陶酔は理解できる。そして、市原監督は「AVは善なるものではなく、清く正しいものにしていく方向は間違っている」と言っている。しかし、そう考えるのなら、「出演強要は考えられない」とか「一部の業者が悪質なだけだ」という言い訳はせず、「AVは闇を背負うものであり、その闇があるからこそAVは輝くのだ」と言う方がいいのではないか。

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2016/09/16

日本の排外主義ヒステリーは本当に異常

蓮舫氏、台湾籍認める=「記憶不正確」と謝罪 (時事通信) - Yahoo!ニュース(9月13日(火)10時45分配信)

はてなブックマーク - 蓮舫氏「台湾籍」認める=「混乱招きおわび」 (時事通信) - Yahoo!ニュース

時事の記事がすでに排外主義的。

蓮舫氏は旧民主党政権で、台湾籍が残ったまま閣僚を務めていたことになり、波紋が広がりそうだ。ただ、15日投開票の代表選を辞退する考えはないと強調した。
とか、
同時に、二重国籍批判に関しては「これまで政治家としては日本人という立場以外で行動したことはない。日本人として日本のために働いてきたし、これからも働いていきたい」と釈明した。
とか、日本人としての純粋性がなければ政治に携わるべきではないというような論調。気持ち悪すぎる。「グローバル人材が必要!」とかいう官製スローガン(グローバル人材!笑)があるような時代に何を言っているのだろうと時代錯誤ぶりに頭がくらくらする。

だが、この類いの論調は時事通信だけにとどまらない。どうやら一般にもそういう空気が横溢しているらしい。はてブの大多数が蓮舫氏を何らかの理由でとがめている。今回、蓮舫氏が咎められる理由は何もないし、国籍や出自などでさんざん差別的に扱われている被害者である。にもかかわらず、彼女を擁護するコメントはほとんど見られない。国籍は問題ではないという人も、彼女の言動が良くないなどと言っている。レイプ被害者を「あなたの言動が良くない」と咎めるのと何が違うのだろうか。こういうのをセカンドレイプと言う。そしてセカンドレイプはマイノリティやセックスなど、それ自体がスティグマとされる属性に絡んで行われる。蓮舫氏をセカンドレイプしている人々は心の奥で日本人の純潔性(笑)を信奉し、外国人が政治参加すると自分が蹂躙されるかのような恐怖を感じているのだろう。

民族性やアイデンティティは国籍などという単純な形式で到底識別できるものではないということはさんざん明らかにされてきたと思うのだが、我が国では国家と国民は一心同体であるという観念が未だに強く信じられているようだ。

ニュース本文

民進党代表選に立候補している蓮舫代表代行は13日午前、記者会見し、父親の出身地である台湾(中華民国)籍が残っていたことを明らかにした。

蓮舫氏の会見要旨

 台北駐日経済文化代表処(大使館に相当)から12日夕に確認の連絡を受けたという。蓮舫氏は「記憶の不正確さから混乱を招き、おわびする」と謝罪した。

 蓮舫氏は旧民主党政権で、台湾籍が残ったまま閣僚を務めていたことになり、波紋が広がりそうだ。ただ、15日投開票の代表選を辞退する考えはないと強調した。

 蓮舫氏はこれまで、日本と台湾のいわゆる「二重国籍」を否定。17歳だった1985年に日本国籍を取得した際、父親とともに代表処へ出向き、台湾籍放棄の手続きを取ったと説明していた。しかし、手続きが済んでいたかは「確認中」として、6日に改めて台湾籍放棄の手続きを申請した。

 蓮舫氏は会見で「(台湾籍放棄)手続きが完了すれば、籍に関することは最終的に確定する」と述べ、手続きが終わるまでなお時間を要するとの認識を示した。

 同時に、二重国籍批判に関しては「これまで政治家としては日本人という立場以外で行動したことはない。日本人として日本のために働いてきたし、これからも働いていきたい」と釈明した。 

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2016/09/09

音で訪ねる ニッポン時空旅「あの世に歌う~なき唄」の聴取メモ

以前、与論島の洗骨の儀式についてメモしたことがあった。

土葬への嫌悪感について: 思いついたことをなんでも書いていくブログ

もともと風葬であった地域に明治政府からの圧力があり、埋葬方法が土葬に、さらに火葬に変わっていったこと、そして、風葬から土葬に変わった後、土の中で苦しい思いをした死者の霊を慰めるために生まれたのが洗骨の儀式だということであった。

今回、たまたまラジオを聴いていて、それにつながりそうな話を拾ったので、聴取記録をメモしておく。今回は徳之島の話である。

洗骨の儀式をテレビで見たときには、風葬でも土葬でも肉体を自然な腐敗に任せることには変わりがないのに、なぜ、この地域の人々が死者が土の中で朽ちていくことを耐え難く感じるのか、その感覚がよく分からなかった。だが、今回のラジオでの解説を聞いて、少しその辛さが分かったような気がする。
それと同時に、風葬のような、目につく場所に死体を放置する、言わば見苦しく不衛生な方法がなぜ大切にされてきたのかも、少し分かったような気がする。

私の肌感覚は、遺体は火葬する、しかも野焼きではなく窯で肉を完全に灰にすることこそが、あるべき弔いだというものだ。今回の番組を聴いて、改めてその自分の無意識に潜む火葬中心の感覚を自覚することができた。と同時に、他の埋葬方法、土葬や風葬や鳥葬などへの違和感も和らいだような気がする。

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NHKラジオ 音で訪ねる ニッポン時空旅「あの世に歌う~なき唄」

出演:永野宗典・本多力(ヨーロッパ企画)、サカキマンゴー(親指ピアノ演奏者)
【解説】島添貴美子(富山大学)

※「なき唄」とは葬送時の泣き歌のこと。

ストリーミングを聴く - 音で訪ねる ニッポン時空旅 - NHK

日本では葬式は静かにしめやかに行うものという感覚があり、葬儀で歌ったり踊ったりすることはマナー違反と思われがちだが、世界各地には葬儀で歌い踊る習慣がある。実は日本にも葬儀で歌う習慣はあるという話で、以下、徳之島の「なき唄」が紹介される。

(以下のメモは「こう聞こえた」という記録であり間違いがありうる。また「なきうた」の表記は番組に合わせて「なき唄」としたが、「なく」を「泣く」とするなど一部表記が揺らいでいる。そのほかの表記方法も同様である。)

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前略

本多:女性達が歌っておりますが…。

島添:はい。「くや」と言います。集落によっては「うもい」「おもり」「うやむい」などと言われる歌なんですが、短い節で死者への呼びかけを繰り返します。で、遺族の方が、「うもりさーれ」うもりをしてくださいとか、あるいは、声を掛けてくださいというふうな形で所望しますと、亡骸に向かってその場の女性達が声をそろえて歌いかけるわけです。
で、徳之島の郷土史家松山光秀氏によりますと、近親の女性達が亡骸を囲んで「くや」を歌い、歌いながら亡骸の顔をのぞき込んだり、死後の硬直を防ぐために手足を曲げたり揉んだりするそうなんです。
で、この「くや」なんですけれども、臨終の直後から始まって、途切れさせてはいけないと言われまして、「くや」の呼びかけというのは何度も何度も繰り返されるわけなんです。
で、この呼びかけの言葉なんですけれども、亡くなった人の年齢によって変わるそうでして、(今)聞いている「くや」は「うやまなし」、親のことですね。

島添:で、実はこうやって「くや」が繰り返される中で、遺族の方々は「いぎゃねい」、これはしのび(忍び?偲び?)ごとと訳されるものなんですけれども、この「いぎゃねい」を死者に対して語りかけたりもしているんです。で、この「いぎゃねい」というのは、死者に対して何を話しても良いけれども、例えば、また戻っておいでという類の言葉は慎むようにしなければいけない。それで、あなたはもう何一つ思い残すことはないから、どうかまっすぐ先島(さきしま)に行ってください、先島というのはあの世のことなんですけれども、どうかあの世へ行ってくださいとか、どうか後ろは振り向かないでくださいといった暇乞いの言葉を死者に言いかけるわけなんです。
で、「くや」というのは「どうして亡くなってしまったの」っていうような思いが詰まる言葉があるんですけれども、その一方で「いぎゃねい」によって、使者が戻ってこないように、ちゃんと無事にあの世に行ってくれるように細心の注意を払うんですね。

サカキ:仏教的に言えば成仏してくださいっていう……。

島添:そうそう。無事にあの世に行ってくださいということですよね。

本田:そうか。悲しんでいるだけやとね、行きづらいですもんね。

島添:そうです。逆に、身が引かれるような思いでこの世に留まり続けるっていうのはやっぱり良くないことだ、と。

永野:送る側も気持ちをそうやって整理するということなんですかねえ。

島添:そうですよね。で、その一方で「くや」はもうどうして亡くなってしまったのっていうふうな思いがあふれ出るような言葉が出てくると。そのバランスって絶妙ですよね。
島添:ところがですね、文化人類学者の酒井正子が書かれた『哭きうたの民族誌』という本によりますと、この島のほとんどの集落にこうした泣き歌、あったようなんですけれども、お坊さんがいなかったので、結局「くや」、こういう歌を歌って死者を送ったというふうに…。

本多:あ、さっき言っていたみたいに、自分らで送っていたということなんですね。

島添:ところが、1960年代くらいから徐々に歌われなくなったといいます。お坊さんがお経を唱えるのがお弔いという形になっていたということだと思いますが。

本多:なるほど。で、そうしてですね、葬儀が終わった後も別の歌がまたあるんですって。残された遺族の方々が寂しさを紛らわすために口ずさんだ歌なんですけれども、手々集落の「やがま節」というそうです。先生、この「やがま節」の内容というのは?

島添:はい。歌の内容を訳しますと、「幼子を亡くしたら、あぜ道を踏み外すほど、夫を亡くしたら、死ぬほどの苦しみだ。」で、これが一節目で、二節目が「愛しい兄さん、どこに行ったの。いくさき浜の真ん中に。」このいくさき浜ってお墓があった浜と言われていますね。だから亡くなったらお墓の真ん中に行っちゃった、という話ですよね。で三節目なんですが、亡くなった人が戻ってくるのではないかと思いながら、「北の戸口も恋しい、南の戸口も恋しい。で、恋しい人の声を待っている」という内容の歌です。

本多:なるほど。じゃあそれをイメージしながら聴いていただきましょう。「やがま節」、山田ときさんの演唱です。

島添:で、「やがま節」の「やがま」なのですけれども、「とぅるばか」と言いまして、洞窟をお墓に利用したり、あるいは岩に穴を開けてそれをお墓にしたりするようなお墓のことを「とぅるばか」と言うんですけれども、結局この歌というのは、お墓の前での死者の別れの歌遊びに歌われた歌というような説があったり、あるいはその「やがま」っていうのは、腹立ちとかわだかまりなど鬱積した思いを吐き出すこととも言われていまして、だからその、亡くなった人に対する思いを吐き出すっていうところで「やがま」というふうに言うという説もあるというものなんです。大体四十九日ごろまで残された家族が寂しさを紛らわすために口ずさんだ歌なんだそうです。
まあ、いくさき浜、お墓のある浜とか、「とぅーるばか」みたいないろいろ…?…に入ってくるんですけれども、これ、かつて南西諸島では風葬の習慣があったんです。で、風葬というのは洞窟に亡骸を置きまして風化させるという埋葬の方法なんですけれども、四十九日といいますとちょうどその亡骸の肉が落ちて骨になっていく頃が大体四十九日なんですね。南の島ってやっぱり気温が高くて湿度があるので、まあ肉体の腐敗はやっぱり早いと思うんです。で、この亡骸が腐敗して骨になっていく最中というのは、まあ死者にとっては非常に苦しい時期だと考えられておりまして、それで、死者を慰め励ますために、残された家族や友人達が墓参りを繰り返すわけなんですね。で、こうやって「やがま節」とかを歌うわけなんですけれども、で、逆にこれが生きている人たちにとっても、時間をかけてその亡くなった人とお別れをし、それで気持ちの整理をしていく時間にもなっていたわけなんです。

サカキ:これは、見に行くんですか。腐敗して骨になるまで。

島添:そうなんです、毎日お墓を見に行くんですね。で、そうすると一日一日亡骸の状態が変わっていくのを毎日見に行くわけなんです。

本多:えぇーっ。何とも言えない気持ちになりそうですね。

島添:で、たぶんなんですが、ものすごい臭いもしてくるはずで、そこでその、本当に亡くなったということをここでたぶん実感していくんだと思うんですね、日に日に。

サカキ:今と比べると考えられないくらい死が身近ですよね。

島添:そう思います。

サカキ:そこにちっちゃいときから例えば一緒に通っていたら……。

島添:そうですよね。

本多:死ぬっていうことはこういうことかってね。

サカキ:自分もこうなるのか。

島添:そうですね。まあ沖縄の文献を読んでいますと、だからその、毎日見に行きますよね。それでお棺から亡骸を取り出して、腰を掛けさせて一緒に歌遊びをしたりとかっていうような習慣がある地域とかもあったそうなんですが。ところが腐敗が進んでくると、もう腰掛けさせることができなくなるんですよね。で、そこで本当にこの人は亡くなったんだってことをここで確認できる、実感するわけなんですね。

本多:えぇーっ。そうかあ。

永野:本当に現代とは死との向き合い方が全く違いますよね。

島添:で、あとやっぱり、亡くなる人にとっても、火葬は熱くて、灰になるというのは、もうあの世に行けないっていうふうに考えているわけで、かといって、土葬だと冷たい地面の下に置かれるのはやはり辛いだろうということで、だからやっぱり、風葬の習慣があったところっていうのはそうやって埋葬されることがあの世に行く正しい方法なわけなんです。

本多・永野:なるほどね。

永野:まあ自然な発想だったんですかね。ずっと寄り添って。

島添:そうですね。

本多:で、これまで徳之島の「泣き歌」で時空旅して参りましたが、最後にもう一曲ですね、今度は日本最西端の島、与那国島の泣き歌を聴いてみたいなと思います。葬儀のときに残された人々が故人をなくした悲しみを歌に託したという「みらぬ歌」です。先生、こちらの歌の内容を。

島添:はい。「見ない仲なら見ないでよかったのに。知らない仲なら知らないで済んだのに」という。で、「かわいそうな奴、切ないなあ」っていうふうな歌詞が一節目にあり、で、二節目。「見ないうちはともかく、見れば抱きたくなる。抱けば恋しくなり、思えばたまらない。」で、「かわいそうな奴、切ないなあ」という、ちょっと切ない内容で。では行きましょうか。

本多:はい。では宮良保全さん、富里康子さんの演唱で「みらぬ歌」、三線の伴奏付きで1978年の録音です。

永野:じっと身を預けて聴いてしまいましたけれども。

島添:南の島の歌ですよねえ。

永野:風景もなんか目に浮かぶような。

島添:ゆたーっときますね。

一同:うーん…。

島添:まあ、先ほども引用してきました酒井先生の『哭きうたの民族誌』によりますと、この歌、お通夜で夜通し歌った歌だそうでして、亡くなった方の思い出などを即興で掛け合ったそうなんです。今も一応掛け合いにはなっていましたよね。ただですね、与那国では歌が崩れて伝承を危ぶむような声が挙がったこともありまして、10年掛けて楽譜化して、1970年に「民謡工工四(くんくんしー)」という楽譜集を出しているんですけれども、その影響だと思うのですが、この「みらぬ歌」も現在ではこの「民謡工工四」バージョンがステージなどで歌われるようになっているそうなんです。

サカキ:こうしないと残んないですけど、譜面化しないと残らないけれども、メロディーの多様性だったり歌詞の即興性ってのは損なわれてはいきますよね。固定化されちゃうから。この節で歌わないといけないっていうふうにはなっちゃいますね。

島添:そうですね。なのでたぶん「みらぬ歌」のバージョンも人によってずいぶんいろいろあったと思われるのですが、今は民謡工工四バージョン…。

サカキ:習慣が一緒に残っていないと残りようがないですよね。

島添:そう思います。

本多:そうか…。一個できちゃったらみんなそれで学んじゃうから…。

島添:そうですね。

後略

************

メモの後書き

この番組で風葬の儀式について知り、思い出したのが「もがり(殯)」のことである。

今年8月に天皇が生前退位を望む談話をテレビで公表し、そこで「重い殯」が嫌だという話をした。

これに気づいたのは下記のブログの指摘による。
現天皇を「非常に厳しい状況下に置」いた「重い殯(もがり)」とは - kojitakenの日記

「殯」とは天皇の葬儀の一環で、遺体を即座に荼毘に付さず、一定期間そのまま安置し、その遺体と遺族などが対面し続けることを指すようだ。

殯(モガリ)とは - コトバンク

この解説によれば、どうやら「殯」の習俗はアジア一帯にあり、日本古来の葬式にもあったらしい。どうも大王や皇室の儀礼であったような印象を受ける記述である。

現代の日本では通夜後早々に火葬するのが当然になっているが、実は風葬のエッセンスは、現代の皇室儀礼に(それが明治以降に再構成されたものであるにせよ)残っているのである。これを日本文化の古層だというつもりはないが、しかし皇室を奉ることで出発した近代日本が弾圧した習俗の本質が、実は皇室の儀礼にも含まれていたのは何とも皮肉というか、興味深い。

そしてもう一つ面白いことがある。天皇談話によれば、現在の天皇はどうやらその習俗を受け入れがたく苦痛に思っているらしいということである。彼は現代日本では殯の儀式を引き継ぐ唯一の男という役を背負わされているが、その古い儀式に馴染めない。火葬を当然とする現代日本の感覚に影響されているのである。その意味では彼も殯という弔い方を理解できない普通の現代日本の男性なのだ。

良くも悪くも現天皇は戦後日本の感覚を持った人なのだなあとは、折々に出される安倍政権を牽制するような発言でも感じていたことだった。日本国憲法にある象徴天皇制という原則、次第に拡張される「公式行事」による国民への浸透政策、そして戦争責任。日本の戦後民主主義とバランスを取りつつ天皇制を維持しようとしてきた人のように見える。そして、その戦後感覚から出られない人なのではないか。殯という弔い方を忌まわしいもの、ケガレのように思い、そこから逃れようとする彼の心情から、殯を時空を越えた連続性の中に位置づけ、弔いの奥深さを理解しようとする様子はうかがえない。自分の体験の中で培った天皇制理解に基づいて、その理想像を誠実に演じようとするが、その理解の枠からは一歩も出ようとすることがない。そのような人のように思えるのである。

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«今の日本の食文化は「豊か」なのだろうかと時々思う件