無題
これは私にとって強烈な詩。
僕を責めるものは 黒田三郎
僕を責めるものは誰もいない
隣近所のおかみさんは
にこにこ顔であいさつする
勤め先のたれかれは
奥さんが入院して大変だろうなあと言う
にこにこ顔やねぎらいの言葉が激しく僕を鞭つ小さなユリが寝入るのを待って
夜毎夜更けの町を居酒屋へ走るのは
誰なのか
深夜に酔っぱらって帰って来ては
大声でユリを呼んで泣かすのは
誰なのかあの健気なユリはもういない
いしょにふとんにはいるとき
今ではきっと念をおすのだ
「夜中にどっか行っちゃいやよ」
幼稚園へ送ってから勤めへゆく父親を
今は泣いて呼び返すのだ父親を呼ぶユリの泣き声は
一丁行っても二丁行っても僕を追いかけてくる
五人の保母さんが代る代るなだめてもすかしても
二階へ連れてっても砂場へ連れてっても
小さなユリは泣き止まない
途方に暮れて父親の僕が引返してくるまで保母さんたちに見送られて
小さなユリと僕は今来たばかりの道を
家へ帰る
紋白蝶のとんでいる道
生垣の間から日まわりののぞいている道
夏の朝の人影もない白い道を詩集『小さなユリと』から
かみさんが二人目の出産で実家に帰っていたとき、私も上の子と二人だけで数ヶ月を過ごした。
毎朝保育園に送り、夕方にはちっちゃい体を前かごに乗せて自転車で帰った。
でもときどきはどうしようもなく息が詰まって、ある夜、子供が寝静まった後に外を散歩した。
一渡り周りを一周して戻ってきたとき、ぎょっとした。アパートの中から子供の泣き声が聞こえてきたのだ。
階段を駆け上がって部屋に飛び込むと、一人で泣き叫んでいる子供の姿があった。
この事件はずーっと私の胸に刺さっていて、10年以上過ぎた今でも時折脳裏に現れてくる。
この子はもうずっと成長して、今ではいっぱしの小大人の風情だが、この事件を思い出すたび、私の中ではあのときの小さな子供に戻ってしまう。
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