出社が楽しい経済学 第3回「比較優位」?????
たまたまチラ見したテレビが気持ち悪かったのでメモ。
比較優位の説明をしているのだけど、ちょっと変なんだよね。
だれでも、どんなに取り柄がない人でも比較優位はあるんだ!というコントがあって、それは正しい。
でも、次の弁当屋の話の解説は間違ってる、端的に。
全部見た訳じゃないから話の筋はわかってないけど、弁当屋の説明はこんなのだった。
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昔日本は電子機器をアジアに売って、アジアから農産物を輸入していた。電子機器の貿易を見ると、日本の対アジア輸出は対アジア輸入よりも多かった。それが今では、アジアからの輸入の方が圧倒的に大きくなっている。これはどうしてだろうか。
それは、アジア諸国の生産技術が向上し、比較優位が変わったためである。このように、比較優位はその時点の一時的なものであり、時間がたてば変わる可能性がある。
弁当屋さんのA社、B社、C社があって、C社の弁当屋事業は小さく、またA社、B社よりも採算性が悪い。にも関わらずC社は弁当事業を手放そうとはしない。その理由は、C社がやがてA社、B社を上回る比較優位を持つことをもくろんでいるからだ…
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ええとですね、アジアと日本の貿易構造の話はまあいいです。貿易構造が変わったのは比較優位が変わったからだ、というふうに説明されると、「なにそれ?要するに後知恵で『比較優位が変わった』って言うだけなら何の説明にもなってないのとちゃうのん?」と言いたくなるけど、まあそれはいいです。実証分析の結果を単に省略しているだけということもありえるし。
ただ、弁当屋の話はちょっとまずいと思います。一つの事業の採算性または効率性だけで議論すると、それは比較優位ではなくて、絶対優位の話になります。A社がC社よりも効率性がいいのでA社が(競争に勝って)事業を行っているというだけであれば。
比較優位の話は、必ず複数の産業分野・事業分野を持ち出してきてなされます。実際、比較優位というのは、ある事業においてA社とC社のどちらが効率的かという話ではなくて、A社における弁当事業とコンビニ事業の効率性の比率を、B社におけるそれら事業の効率性の比率とを比べて決められるものです。だから、「どんなに取り柄がない人でも比較優位はある」ということになるわけです。
出来杉くんとのび太くんがいて、出来杉くんはのび太くんより勉強もスポーツも得意なわけですけど、出来杉くんの中で勉強とスポーツとどっちが得意かな、と考えてみて、その得意さの度合いをある数値で表せたとします。もしかしたら、「どっちかというと勉強の成績の方がスポーツよりもいいかな」なんてね。で、のび太くんも同じようにして、勉強とスポーツの得意さ度合いを考えてみます。「スポーツの方が得意かな」とか「勉強の方がまだましだ」とか思うでしょう。そうして、その得意さの度合いを出来杉くんと比べてみて、出来杉くんの方が「勉強の得意さ加減」が上なら、「出来杉くんは勉強に比較優位を持つ」と言うわけです。この場合、「のび太くんはスポーツに比較優位を持つ」と言います。
こんなふうに考えると、「勉強の得意さ加減」が同じというのはなかなか起こりにくいだろう(だから「誰にでも比較優位がある」)ということ、そして「勉強の得意さ加減」が同じ人の間では比較優位は存在しない(どちらも同等)ということ、そして、この比較優位という関係は、のび太くんを出来杉くんを比較するか、ジャイアンと比較するのかで変わってくること、さらに、勉強とスポーツではなく、勉強とあやとりとで考えるとまた変わってくることがわかると思います。
比較優位というか、比較生産費説の説明は、短時間にはちょっと難しいと思います。初めて聞く人は、飲み込むのに多少時間がかかると思います。
そしてまた、上のような、企業同士の比較や個人間の比較は今ひとつ比較生産費説の話とずれているとも思います。たとえば出来杉くんがのび太くんと比べて勉強に比較優位を持っていたとして、では出来杉くんが勉強を、のび太くんがスポーツを「分業」すればいいというのは、なんだか意味がよくわかりません。常識で考えて、勉強もスポーツも両方ともがんばるべきものです。これは、そもそも比較生産費説による分業の利益の話が、二人で共同で仕事をがんばって、その成果を山分けするという話だからです。出来杉くんが勉強で金を稼ぎ、のび太くんがスポーツで金を稼いで二人で山分けするという話なら、上の分業は効率的ですが、実際にはそんなことはなくて、二人は勉強とスポーツ両方で競争しているだけで、その利益は山分けにはならないのですから、出来杉くんものび太くんも、自分の最大限の力を持って両方がんばればいいのです。同じように、企業のケースでも、どの社が弁当屋をやるべきかは、比較優位で決める必要はないのです。企業が「選択と集中」をするときには、別にほかの企業と共同で事業を分配する訳じゃないのですから、あくまで個別事業の競争力(ライバルとの相対的効率性)と自社の資源量とを勘案して決めればよいのです。ここで、両者の間で生産物を取引できたりすると、結果的に利益の山分けみたいなことが生じて比較優位に従うのが両者ともに有利になるわけですが、それはまた別の話。
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追記
あとから思ったけど、きっといろんな人が似たような指摘を(もっと的確に)してると思う。ちょっとつまらなかったかなと思うけど、せっかく書いたから置いておくことにする。
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