なるほどと思ったのでメモ
どいつもこいつもいっぺん死ね: パチンコが悪いと言うなら新年一般参賀はどうだ?
母親が子供を家に残してパチンコに行っているすきに火災が起こり、子供が死んでしまったという事件。
この事件の原因は母親がパチンコに出かけたことではありません。一度食事のために帰宅したとはいえ乳幼児だけを自宅に残して長時間外出したことこそが原因で、外出の目的は直接は関係ないのです。どうしても「火事が起きたのは母親がパチンコに出かけたからだ」と思いたい人は「火災が元日に発生し、母親が新年一般参賀のために皇居に出かけていたら、外出の目的を理由に母親を糾弾できるか?」と思考実験をしてみればいいと思いますよ。そういうシチュエーションでは非国民でサヨクでゲスな俺は「火事が起きたのは子供をほったらかして新年一般参賀に出かけたからだ!酷い母親だ!これだからアホウヨは!!」と嬉々として母親を糾弾しますけど(というのはもちろん冗談です)、それに対して「こんな不幸な事件を愛国者叩きのプロパガンダに利用するとは、なんてゲスな非国民だ!」と思いませんか?それと同じなんですよ。
確かに言われてみればそうです。パチンコと火災との因果関係はありません。
なんとなく、
子供を放ってパチンコに行く母親→自堕落で荒れた生活と下劣な人間性→子供がその犠牲に
というようなイメージを投影してました。言われてみて初めてこの連想のおかしさに気がつきました。
もちろん、上記の連想が、それ自体として全く不当とは言い切れないでしょう。こうした放置が繰り返されれば、いずれ何らかの事故が起こったかもしれないし、そうでなくても、問題のある親に養育されること自体を子供の犠牲と言えるかもしれない。しかし、こうした推測がごく一般論として成り立たないわけではないというのと同じ程度に、この推測が今回の親子に妥当しないという可能性もある。そして今回の事件発生について、この推測は全く妥当性を欠いている。つまり上記の推測は、この親子に対する推測としても、また今回の事件に関する感想としても、おかしいということになるわけです。
漠然と自分が思う「DQNな親」のイメージを無意識のうちに実在の人に投影してしまっていたことに気づかされたエントリでありました。
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