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2009/04/22

NHKスペシャル シリーズJAPANデビュー 第1回アジアの“一等国”

番組ウェブページ

少し前に見た番組だが、非常に印象に残ったのでメモしておく。

まず、毎度のことながら、NHKスタッフには感謝を捧げたい。非常に力のこもった番組で、「ちょっと調べる」という労をも取らず、「台湾は親日」という話と日本が武力侵略したという話との曖昧な関係とを考えることもしなかった自分にとって、まさに蒙を啓かれる契機となった番組だった。

台湾については、よき統治者としての日本というイメージが行き渡っていると思うし、台湾人は親日で、占領下の教育によって老人は日本語に堪能で日本統治時代を懐かしく思い出し、また近代的教育を受けられたことに感謝している…というような話をしばしば目にする。

でも、やっぱり実際には苛烈な統治体制を敷いていたし、台湾人差別も露骨だったし、日本人化する教育は深刻な問題を引き起こしていた。この番組で、こういうことがリアルに伝わってきて、改めて上記の伝説(そう、確たる歴史知識もなくただ漠然とした印象が切れ切れに流布しているあたりは伝説としかいいようがない)について考えさせられた。

番組が取り上げていた史実などは、番組を見直すことも出来ないのでここでは触れない。(NHKには、是非再放送をしていただきたい。)ただ、印象に残ったいくつかのことをメモ的に記しておきたい。

もっとも印象に残ったのは、日本語で教育を受けた人たちが、ほぼ完璧な日本語(ネイティブとしか思えない日本語)を、今現在に至っても話し続けているということに加え、その一人が次のように言ったことだった。すなわち、「我々は日本語でしか考えられないのだ」と。
彼の曰く、簡単なことは中国語で話せる、しかしまとまった話、たとえば講義や演説のような論理的な話は、日本語でなければ考えられないというのだ。このことは、母語による抽象的思考能力を日本語教育が破壊したことを意味している。台湾の老人たちが日本語が達者だという話は、我々にとっては、彼らが親日家であることの証のように受け止められるが、実際にはそんなハッピーな話ではなく、きわめて深刻な文化破壊を意味していたということだ。
実際には、台湾の老人の多くは日本に親しみを感じているのかもしれない。その点は番組では否定も肯定もしていなかったと思う。しかし仮にそうであったとしても、我々日本人が、統治時代の教育が引き起こしたこのような被害に全く思いを寄せることもなく、ただ「親日家だ、日本語が出来る人だ」というような認識しか持たないとしたら(それはつい先日までの私なのだが)、それは恐ろしいほどの脳天気ぶりであり、そしてあまりに人でなしの態度としか言いようがない。

それから、これと並行して、もう一つ印象的だったのが、台湾へは沖縄からたくさんの人が入植していたということだった。明治以降の琉球統治から台湾占領に至り、琉球人が台湾占領に関与していたと知ったことは複雑な気分だった。台湾の老人が「上から順番に日本人、琉球人、そして台湾人が一番下だった」と述べたことは、現在の我々の目線にも直結している問題であって、すでに言い古されたことではあるけれど、大東和共栄圏とか五族共和とかの内実の一端を示すことが、ここ台湾でもあったのだということを確認させられた。改めて思ったことだけれど、薩摩と奄美、琉球の関わりの時代から、日本人(本土の人)の目線はひょっとして全然変わっていないのではないか。すごく素朴な蔑視がもう染みついていて、全く抜きがたい習性にまで至っているのではないかまでと思わされた。もちろんこうした自民族中心主義はどこにでもあるものだけれど。

このほかに、セルロイドの原料が樟脳であって、台湾が世界的に重要な樟脳の産地であったことや、日本統治の初期に樟脳生産が混乱したこと、その後後藤新平がやってきてから苛烈なやり方で樟脳生産を回復させたこと(この辺、国家独占的な方法でやったあたりに時代を感じた。現代の資本主義国ではまず批判される…民間資本育成をするのが普通だと思う。最近の事例ならロシアが割と国家独占的かな)、そしてこの樟脳生産の成長が実はイギリスなどへの植民地統治能力アピールに使われていたことなども興味深かった。欧米の統治国において植民地の被支配者の人権や自治権などへの認識がきわめて薄いことが伺われ、時代を感じた一方で、「人間動物園」に現れたエキゾチシズムの差別性など、今の我々が抱える問題にも通じるようなエピソードもあった。

見終わった後で改めて思ったことが、アジアの、特に日本が侵略・占領・統治した地域での、日本や日本人に対するまなざしを多角的に理解することの大切さだった。単純に親日とか反日とかと割り切れる問題ではない。日本の統治・占領時代、そしてその後の時代の変転を経て、現在の日本への思いがある。台湾の老人たちはこの波を大きくかぶった人たちであって、日本というものに振り回されてきた人々であったとも言える。こうした人たちの日本への思いが屈折したり複雑であったりすることはむしろ当然であるし、そうしたことは過去の歴史が刻まれた国に住む若い世代にとっても類似したことが言えるだろう。こうした屈折や鬱屈を私は知りたいと思うし、日本人として知らなければならないとも思う。それが私たち(つまり「日本人」というもの)が何者であるのかを知るための第一歩になると思うから。

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追記:

つい先日のことだが、得意先の重鎮(役員級)の接待に同席する機会があった。
その得意先の偉い人だが、これが重度の日本会議的な「困った人」であった。学校教育における記紀学習の復活とか(いや、記紀を教えるのはいいんですけど、民族意識高揚のためみたいな話をされると…)、クリスマスを祝う人はみんな処女懐胎やキリスト再生を信じているとか、黒人のことをくろんぼ呼ばわりとか、もうドン引きというか勘弁してくださいというか、ものすごい惨状を呈していたのであった。
で、この国生み神話を「台湾人は日本人よりもよく知っている」という話が出た。そして冒頭に書いたような「台湾人は親日だ」的言説がこれでもか!とばかりに繰り出されたのだが、その話を聞きながら思ったのが、「ああ、ネトウヨってのはネットで生まれたのじゃなくて、もともと普通に存在してたんだよなあ」ということ。思い返せば自分が幼い頃から当時の大人たちの中には、こういう無自覚な傲慢さというか差別性というかはいろいろと露呈していたし、いろいろ単純化した認識(台湾とタイは親日国、中国とソ連はアカで韓国は反日…みたいな)もあった。こういうのが「愛国心」とか儒教的な道徳観(長幼の順とか親孝行とか)とか神社信仰とかと混ざり合うと、元祖ネトウヨ(ただしネットなし)になるんじゃなかろうか。

追記の追記:

思い出したが、この「困った人」、産経新聞の大ファンだった。


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コメント

ブログではまともに論評しているのは、皆無に等しく、「偏向だ!」「反日だ!」と叫んでいるブログばかりという惨状を見ると、頭がクラクラしてきます。町村派の総会でも、この番組への非難が相次いだようです。

安倍・中川によるETV特集番組介入問題発覚以降、NHKは表向きには介入を否定したものの、露骨な番組介入がなくなったことやNHK職員による内省が、最近の秀逸な番組に繫がっていると思います。『ワーキングプア』や夜8時台の福祉番組で、果敢に政府の社会保障政策に切り込んでいます。当のETV特集も、作家の辺見庸を特集したり、山谷のホスピスケアを取り上げたりしていました。最近のマネー資本主主義も素晴らしかったです。

次回のJAPANデビューは天皇を取り上げるそうですが、昭和天皇に戦争責任がある、とまでは取り上げる勇気がないでしょうが、安倍一派の抗議に負けない内容を期待しています。

(それに較べて、番組改変を報道した朝日新聞がどうしようもないですが。経済面の新自由主義路線を、今もって捨て切れない。未だに規制緩和万歳論を、唱えていて、この経済破綻の原因を分っていない・・・。)

投稿: | 2009/04/25 13:05

なんだかNHKに抗議があったりもしているようですね。あの上質な番組に抗議すること自体が理解力のなさを示しているように感じます。一般には余り知られていない、または忘れられつつある出来事を掘り起こし、見過ごされつつある視点を提示することで、歴史の、そして日本とアジアとの関係について考える機会とするということは、とても有意義であると同時に知的に刺激的なことだと思うのですが。

女性国際戦犯法廷の特集への介入では、確か検閲まがいのことをしていたわけですよね。自らの矮小さを示す情けない行動だと思った覚えがありますが、その後NHK内部での取り組みについては全然知りませんでした。こういう地道な努力はあまり脚光を浴びない分、様々な圧力にもさらされやすいと思いますが、NHKにはがんばってもらいたいものです。

投稿: muttbob | 2009/04/27 15:48

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