個人主義とか相対主義というつもりでいたんだよなぁ
中国に謝罪すべきだろうか?(山本弘のSF秘密基地)
相変わらず暇でもないのにネットサーフィン(死語)していてたどり着いたページ。
と学会には共感しているし、山本氏の活躍には尊敬の念をもっているが、このページで表明されている考え方にはちょっとなんというか…幼さをすごく感じた。
「幼さ」と言ったのは、自分も若い頃は同じように考えていたなあ…という思いから。
私は生まれも育ちもまあ左翼的な人間だから(…と言いつつ、「左翼」って何?とか思いもするんだけど)、先の戦争の意味とか日本の戦争責任とかは小さい頃からどう考えればいいんだろうと折々に考えてきた。で、そもそも何で戦後何十年も経ってから生まれた自分が戦争責任とかを気にしなければいけないんだろうとか、身内に出征した人もいないのにどうして謝罪とか懺悔とか考えないといけないんだろうというのは、ずーっと根っこの方にあった疑問だったわけだ。
それと同じで、過去数世紀にわたる植民地支配について今のヨーロッパ人は謝らないといけないのかとか、それならマヤアステカ文明を滅ぼしたスペイン人の子孫は、ローマ人の末裔は、エジプト人は…とか考えて、いやある程度昔になればいいんじゃないかとか、当時の記憶を持つ人がいなくなれば許されるんじゃないかとか、事件の当事者・関係者だけが責任があるのであって、他の人たちを十把一絡げにするのは間違いじゃないかとか、まあいろいろなことを思ったものだった。
結局、私は左翼的な人間(しかも全共闘世代よりも若い世代)だから、当然にも国家と自分を同一視したりしないし、個人を体制や所属集団で判定したりしないし、価値観や理念や文化の多様性を認めるわけだけど、そうした立場を肯定しつつ、個人に(直接荷担した訳じゃないはずの)国家や社会の加害の責任を問うということを「左翼的に」認めなければならないという矛盾を解消できずに困っていたわけだった。これがまあ小学生頃からの私の悩みの一つだったわけだね。
で、まあ解法としてはもちろん、個人に国家の戦争責任を問うことは誤りであるという結論を導くのが一番単純なわけで、実際、そういうふうに思ったりしたこともある。ただ、どうしても心情的には「日本人としての責任」という観念を放棄することができなくて(というのはあまりに悲惨なことをしてきたわけだから)、何度も揺れた部分で、折に触れて思い返しては、そうだ、違う、そうだ、違うと反問を繰り返してきたのだった。
結局、こうしたアンビバレントな状態は大学を卒業する頃まで続いたのだと思う。ある頃から、別にたいしたきっかけも無しに、ああやっぱり私は謝罪すべきなんだ、少なくとも戦争当時から日本に住んでいた人の子孫に当たる人たちは謝罪すべきなんだと思うようになった。
十分整理できてる訳じゃないけど、今振り返って思うに、そのころようやく、自分と社会とか体制とかいうようなものとの距離が見えるようになったのだと思う。「日本人」とかいう訳の分からないくくりではなく、日本の国家や社会のあり方に関与していて、決して部外者ではない人間。確かに影響度としては限りなくゼロに近い存在だけれど、意思を持ち行動できる主体としての個人。その個人として過去の戦争の惨禍を見たとき、そしてそれが現在にどのように取り扱われているのかを知るとき、この問題は決して過ぎ去った過去の出来事についてどう思うかではなく、今現在の自分が住む社会、自分が意見を述べたり行動したりして(ゼロに近いかもしれないが)なにがしかの影響を与えられる現在の日本の問題なのだということがわかったわけだ。この点は、自分が少し大人になったと思える数少ない事柄の一つだ。
山本氏は、
僕は大阪に住んでいるが、たとえば何十年も前に大阪の警官が兵庫県に出かけていって大勢の人を殺した事件があったとしら、すべての大阪府民は兵庫県民に謝罪しなければならないのだろうか。現代の大阪府知事は現代の兵庫県知事に謝罪しなければならないのか。そんなことはあるまい。と言うんだけど、今の私は「いや、当然謝るでしょ」と思う。会津と長州の和解がニュースになるくらいなのだ。事件がそんなとんでもないものなら、一体どれほど長い間感情的なしこりを残すことになるだろうか。そして、社会機構としてとんでもなく残虐な事件を起こしたとすれば、それは単なる個人的な事象にとどめられるものではなくて、当然それを引き起こした統治機構の問題点のあぶり出しや、それを支えた社会的要因が問われなければならない。そしてこうした分析と反省、それに立った被害者への謝罪や賠償が行われた上で、もう二度と間違いを起こさないという決意を明確にして対策に取り組むことが行われていないのならば、つまり「過去の清算」がきちんと行われていないのであれば、それはもちろんそうした過去の清算をないがしろにしている今の府民と府知事は謝罪しなければならないだろうし、被害を受けた側としては、いつ何時再発するかも分からないと危惧するのも当然だろう。
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