「悪者」を抹殺すればこの世はよくなる?
闇サイト殺人「極刑を」32万人署名…連載「死刑」第4部 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
「愛知・闇サイト殺人事件」で一人娘を失った磯谷富美子さんが、自分のサイト上で始めた死刑嘆願署名に続々と賛同する署名が届いているそうですが、なんというか、私にはそれが恐ろしく感じられます。
無情な人間、非道な犯罪を重ねた人間、更生の可能性がない人間は殺せ、社会の害にしかならない人間は抹殺せよという発想や、むごい殺し方をして一向に悪びれる様子を見せない人間に対する(というのはこちら側の勝手な思いこみで、本人の感情がどうなっているかなんて簡単に分かるものでもないのですが)憎しみを、「署名」という形で社会的に堂々と公表して恥ずかしくないというあたりが、何とも言えず、ぞっとする冷酷さを感じさせますし、そういう人が32万人もおり、そしておそらくもっとたくさんいるのだろうなというあたりが私には空恐ろしく感じられるのです。
人というのは多かれ少なかれ残酷かつ冷酷なもので、同時に暖かく優しいものでもあるわけで、そして誰もが多かれ少なかれ世の中の害悪になっていると同時に、多少の役には立っているわけです。加害者は非道な罪を犯していて、その反抗に対する義憤や被害者遺族の悲しみ・怒りへの同情が強く起こるのは社会的にもまっとうだとは思いますが、その量刑について32万人もの人が判断できるほどにみながこの事件を研究したとは思えないし、ましてや死刑という取り返しの付かない処分が妥当だという結論を熟慮の上で出したとも思えないのですね。直感的な処罰感情に従ったとしても、あるいは署名推進者との人間関係を尊重したとしても、やはり、相当ルーズな基準で「あいつらを殺してしまえ」、言い換えれば「どうにもならない奴は我々の手で殺せばよい」という声を上げたことになると思うのです。
少し昔のオウム真理教事件や、比較的最近なら光市の殺人事件とそれにまつわる弁護団への弾劾要求もそうですが、こうした風潮を見ていると、報道された表面的な情報に対する直感的な感情を優先して、関係者への取り返しの付かない処分を要求するという判断がこんなに多いということは、やっぱりみんな裁判官になりたいんじゃないか、独裁者的な権力を振り回して、自分の気に入るような世の中を作りたいんじゃないかと思ってしまいます。
これをもうちょっと広げると、こうした「悪い奴は抹殺しちまえ」という感覚は、阿久根市の竹原市長や名古屋市の川村(*1)河村市長、大阪府の橋下知事や東京都の石原知事、千葉県の森田知事などが支持された背景や、公務員バッシング、議員不信の原動力にもなっているような気がします。
*1: タイポ修正(2009/06/17)
それで思い出したのですが、このところ、20歳前後の若い人たちと政治について話をする機会が増えたのですが、改めて、彼らの政治不信と公務員に対する反感の大きさには驚かされますね。
公務員はろくに仕事もしないくせに失業もなく、福利厚生は抜群で高給取りで…という印象、議員は議員で地方議会でも国会でも、給料はがっぽがっぽ、特権を振り回して賄賂はもらい放題やりたい放題、議会は欠席しても居眠りしても全く平気で、タダで海外で遊び回っている…というような感じです。
それで、とにかく憎たらしくてしようがない、貧乏で就職先もろくに見つからない自分たちから税金を搾り取って、その金でやりたい放題なのがあいつらなのだから、議員などは減らすのが当たり前、議員報酬なんか要らない、公務員も半分以下に減らして給料もその辺のバイト程度で十分だ…というような話になるのです。
そういうわけなので、市町村合併などは当然中の当然だというわけです。とにかく公務員と議員を減らして無駄な人件費を減らせるのが最大のメリットで、これに反対しているのは公務員と議員関係者だけにすぎない、反対している人間は自分らが甘い汁を吸えなくなるのに抵抗しているのだ…ということになるのです。
何度か話をしていて、なんというか、なんで普通選挙ができ、国民主権が憲法にうたわれているのかが全く理解されていないとか、行政の役割って本当に目に見えていないのだなあとか、いろいろ考えさせられました。一体に、社会を支えている公共の仕組みというものについてほぼ完全に無知ですね。というか、そういうふうな視点が全くない。こんな漠然とした反感で政治や行政の機能低下を支持したって、回り回って自分たちの首を絞めるだけにしかならないと思うのですが。
話が前後しますが、磯谷さんがしておられる死刑要求署名、お気持ちはなんとなく理解できるのですが(実際、被害者遺族の感情が「分かる」などとは思い上がりも甚だしいでしょう)、しかし私には正しい方法とは思えません。
記事では「署名の数の力で死刑に持っていくつもりはありません」とありますが、死刑要求を目的にしないといいつつ死刑要求署名という体裁を取っているというのは理解しづらいです。数の圧力は軽視できるものではありませんし(だから署名という運動形態が今もあるわけだし)、署名活動にいろいろ関った経験からすると、署名活動自体は決して「考える」機会を提供する方法として有効ではありません。むしろ直感的な踏み絵として機能する方が高いと思います。「死刑制度の是非を問う」とか「死刑に関する量刑判断の妥当性を問う」ということであれば、加害者の命を手玉に取るようなやり方ではなく、もっと一般的な意見公開や被害者遺族としての要求行動という形を取った方がいいと思うのです。
また「彼らを殺せ」という要求においても、署名という形ではなく、それが妥当である旨の主張として裁判所においてなされるべきで、それ以上である必要はないと思います。もちろん自分の主張の妥当性について社会に訴えていくことはなされるべきです。でも、それを「署名」という形で「殺すべきか」の賛否として二元化するのは裁判所の判断に対する正当な働きかけだとは思えないのです。
闇サイト殺人「極刑を」32万人署名…連載「死刑」第4部
明治以来、日本の死刑制度は「絞首」という形で存在し続けてきた。
命による償いは、社会に何をもたらしているのか。これからも必要なのか。連載の締めくくりとなる第4部では、海外の実情も報告しながら、死刑の意味を考えたい。
◆「誰でも良かった」に不安感、国内外から署名続々◆
大きな青い仕分け用の箱から、封書の山があふれていた。2007年10月1日、名古屋市千種区にある千種郵便局。「愛知・闇サイト殺人事件」で一人娘を失った磯谷(いそがい)富美子さん(57)は、この日届いた約3万5000人分の署名を受け取った。逮捕された男3人の死刑を求める署名だった。
同年8月24日夜、娘の利恵(りえ)さん(当時31歳)は帰宅途中に車で連れ去られ、ハンマーで殴打されたうえに首をロープで絞められ亡くなった。3人の男はインターネットの闇サイトで知り合い、金目当てで、偶然通りかかった利恵さんを襲った。
「命を奪ったのだから、命で償ってもらいたい」。磯谷さんは9月下旬、ホームページ上で死刑を求める署名活動を始める。用紙はホームページから印刷できるようにし、郵便局留めで送ってほしいと呼びかけた。
◇
同僚と署名したOL、患者に協力を頼み、300人以上の署名を集めた開業医……。米国やスイス、ニュージーランドから郵送してきた人もいる。目標は3万人だったが、10月1日には10万人を、開始2か月で20万人を超えた。そして、名古屋地裁で判決公判が開かれた今年3月18日、署名数はちょうど32万人に達した。
〈犯人の「誰でも良かった」という言葉はショックでした。ひょっとしたら自分が殺されていたかもしれない〉(名古屋市、女性)
〈大学生の娘を育てております。娘が毎日帰宅するまで、気がかりでなりません〉(広島県、女性)
署名に添えられた手紙の多くには、ネットを通じて形成された犯罪者集団が見ず知らずの市民を殺害した犯行に対する、切迫した不安感がにじんでいた。
同地裁は検察側が提出した磯谷さんたちの署名を証拠採用しなかった。だが、近藤宏子裁判長(49)は2人に死刑、自首した1人に無期懲役を言い渡し、極刑を選択した理由をこう述べた。「この種の犯罪は凶悪化・巧妙化しやすく、模倣される恐れも高い。社会の安全にとって重大な脅威というほかはなく、厳罰をもって臨む必要性が誠に高い」
死刑判決を受けた堀慶末(よしとも)被告(34)は先月下旬、名古屋拘置所で読売新聞の面会取材に応じ、「判決直後は2日ぐらい食事がとれなかった」と明かした。署名については、「別に気にしてないっていうか、当たり前なんだろうなと。遺族への同情で署名したのだと思う」と言った。堀被告は控訴している。
一方、闇サイト事件で弁護を担当したある弁護士は、「署名となって表れた世論も、裁判官の心理も、今回のような犯罪が増えるのではないかという不気味さを感じている点で、根は同じ。死刑に犯罪の抑止効果を期待している」と分析する。
命による償いを求めた32万人の署名。その中には、職務上、加害者の側に立つ人から送られたものもあった。
◆社会守るため「極刑やむなし」…オウム弁護人、保護司らも◆
〈当方は死刑を求刑された地下鉄サリン事件の実行犯の弁護をしております。しかし、今回の凶行は悪質極まりなく、社会防衛の観点からも遺族の応報感情の点からも、死刑はやむを得ないと思います〉
第2東京弁護士会に所属する田瀬英敏弁護士(52)は2007年10月、「愛知・闇サイト殺人事件」で娘の利恵(りえ)さん(当時31歳)を殺害された磯谷(いそがい)富美子さん(57)に手紙を書いた。都内の事務所で偶然、磯谷さんのホームページを目にして、残虐な犯行に憤りを覚えた。職員全員で署名をし、手紙とともに投函(とうかん)した。
オウム真理教元幹部の広瀬健一被告(44)(1、2審死刑、上告中)を2審から担当している。弁護士会を通じて、打診が来た。当時、弁護士になって4年目。初めての死刑事件だった。5000人を超える死傷者を出した地下鉄サリン事件の結果はあまりにも重大だが、「一貫して罪を悔いる姿勢を示す広瀬被告には死刑は重すぎる」と感じ、弁護を引き受けた。
「再び社会と折り合える可能性がある加害者の場合、死刑を科すことは慎重であるべきだ。一方、闇サイト事件で死刑判決が下されなければ、女性が夜道を歩くことが命がけになってしまう」。田瀬弁護士は署名した理由をそう説明する。
◇
北海道のオホーツク海に近い遠軽(えんがる)町に住む米堂(よねどう)征男さん(65)は1998年から、仮釈放者らを支援する保護司を務める。「突然、一人娘を奪われた磯谷さんの悔しさを思うと、居ても立ってもいられなかった」。07年秋、妻とともに、死刑を求める署名に加わった。
更生を手助けすることにやりがいを感じてきた。疑心暗鬼の様子で家を訪ねてきた元受刑者を、「過去を振り返らず、将来だけを考えよう」と励ました。彼は地元の会社に就職でき、今もまじめに働いている。
「加害者の更生は大切だが、もっと大事なのは、まじめに生活している人が人生を奪われないこと。ためらいもなく人を殺害するような行為には、死刑という相応の罰があることを、裁判所が示す必要があると思った」と米堂さんは言う。
◆社会のために危険の芽を摘む◆
東京都内の40歳代の主婦は、磯谷さんに送る署名を集めるために近所を回っていた昨年11月末、裁判員候補者に選ばれたことを伝える通知を受け取った。
署名の数は順調に増えていた。ただ、単純に署名を送ればいいという心境ではなくなった。「裁判員として死刑を選択することを想像したら、死刑がとても重い意味を持つものとして自分に迫ってきた」
一人でも殺したら死刑、というように考えたくはない。でも更生の可能性がないような人はどうすればいいのか。命が大切だからこそ、感情論ではなく、社会のために危険の芽を摘む意味で、私が死刑を求めてもいいのではないか――。
結婚前に保育園の保母をしていた主婦は、「子供たちに安心な社会を残したい」とも思った。自分も含め50人を超える署名を郵送したのは、12月末だった。
◇
今年3月18日、名古屋地裁で死刑判決を受けた2被告のうち、1人は控訴を自ら取り下げて刑が確定。残る1人と無期懲役を言い渡された1人については、控訴審で裁判が続けられる。
「今は、署名の数の力で死刑に持っていくつもりはありません。ただ、事件を風化させないために、そして、さらに多くの人に死刑について考えてもらうために、署名活動は続けます」と磯谷さんは語る。
6月5日現在の署名は32万1397人。その数は今も少しずつ増えている。
(連載「死刑」第4部「償いの意味」1)
(2009年6月6日06時07分 読売新聞)
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