また読まないといけない本が増えてしまった
とても面白いのでメモ。
芸術とか文化活動とか―もっというと「非生産的な活動」―の意義がどこにあるのか、とか、人の理性や感情や意志というものが過去や現在、未来とどう取っ組み合っていけるのか、あるいは取っ組み合ってきたのかとかいう問題をどう考えるかは、その人の人柄や人間性というようなところまで行き着く話だと思うけれど、それ故に同時に政治的なスタンスにも関わる問題であるのだなあと気づかされた。
私自身は、このエントリを書いた font-daさんの考えと(font-daさんが要約した)岡さんの考えのどちらも共感するところがあるのだけれど、どちらかというと、ここで描かれた岡さんの立場に近いのかなと思う。物語が物語であるということに気づくことや、物語が何かに利用されていることに気がつくことはそれなりの技量や経験が必要になるだろうし、またエネルギーも要求されるために、それと向き合えなかったり向き合うことを拒否したりすることもまた多いだろうと思うからだ。ただ、おそらくfont-daさんの思いの素地は岡さんもその多くを共有しているのだろうと思う。それは、人が生きることの意味とか人と人とのふれあいとかいうものを、徹底的にその生きている人の立場に寄り添って考え抜こうという態度なのではなかろうか。芸術作品と飢えている子どもにパンを差し出すこととのどちらを選ぶべきかという問題や「現実」と「虚構」の意味などを追究しつづけるという知的蓄積の深さに人文系学問の真骨頂を見る思いがした。普段、経済とか産業とか経営とかをご大層に講釈している―それ故、国や自治体の政治的決定にもいっそう深く関わりを持っているはずの―我々のような連中こそがこうした問題にもっとも敏感にならなくてはならないはずなのだが、はてさて。
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