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2009年10月の17件の記事

2009/10/22

これはうちの会社のことか

なぜ「飲みニケーション」重視の会社は儲からないか(プレジデント) - ニュース・コラム - Yahoo!ファイナンス

 今年で3回目の調査によると、企業や業種を問わず、市場への適応を妨げる組織的な特性が存在することが明らかになってきた。事業活動から見た組織の劣化度合いを示すもので、私たちはこれを「組織の〈重さ〉」と呼んでいる。組織が重いほど、最終的に組織があげる成果に悪影響を及ぼすこともわかってきた。

 ここで言う「重い組織」は、新たな方策を立てて組織が一丸となって行動しようとすると多大な労力がかかったり、結局何も変わらなかったりするような組織である。合理的な判断に基づいて迅速に動けない組織は市場の動きにうまく対応できない。


うちの会社、重すぎ。全然動きません。

 組織の〈重さ〉を構成する要因
1.「過剰な『和』志向」
「組織が機能するには、適度な「和」は必要だが、過剰になると、一人でも反対意見が出れば議論がまとまらなくなるといった事態を招き、必要な議論すら敬遠されてしまう。また、変化を拒み、現状維持への志向が強くなる。」

2.「内向きの合意形成」
「製品市場でライバル企業よりも優位に立つには、顧客を重視し、ライバル企業の動向を注視しなければならない。ところが、組織内部の事情が優先されると、この最も重要な部分がおろそかになり、製品市場で有効な手段を講じることができなくなってしまう。」

3.「フリーライド(ただ乗り)」
「評論家のように口は出すけれど責任はとらない。チームの一員としてやるべき仕事であっても、どこか他人事のように考えている。こうした社員が多いと、組織を動かそうとすると多大な労力を必要とする。」

4.「経営リテラシー(基本的な考え方)の不足」
「経営に関する基本的な考え方が理解できていない管理職が多いと、問題解決につながらない方策が打ち出されたり、誤って理解されたりして、的外れな方向に組織が動いてしまう。」

もうどれもばっちりものすごくリアルに思い起こされる。顔とかエピソードとか含めて。

 このほか、軽い組織では会議や正式な場における指示、報告など公式的な指揮・命令系統を通じたコミュニケーションが活発であるが、重い組織ほど、これら「タテ」の公式ルートではなく、インフォーマルなコミュニケーションを通じて仕事を進めようという力が常に働くことが明らかになった。

 たとえば、喫煙所や給湯室などでの会話を通じて補完しないと、仕事に必要な情報が十分に得られない。あるいは飲み会に参加した人だけが常に重要な情報を得ている──。このように、公式の会議やメールでは全体像がわからず、周辺から情報をかき集めてやっと合点がいくような組織ほど劣化が進み、きわめて重くなっているといえる。


もうね、うちの会社そのもの。みんなたこつぼに入って孤立しているし、その割にあっちでひそひそ、こっちでひそひそ。恐ろしいですなあ。
 社内で個人的なネットワークや情報源が増えることは一見メリットに思える。しかし調査によると、実はそれ以上のデメリットがつきまとうという意外な結果が出た。

 図を見てほしい。組織内に知人の数が増えると業務を遂行するうえでの「支援者」数は確かに増える。ところが、業務遂行の際に説得、根回ししなければならない「説得者」の数はそれを上回る勢いで増えていくのだ。
 知り合いや顔見知りが多いと普通、目上の人や同僚からアドバイスや手助けを受けやすくなるだろう。しかし、そのような状況では、事前に話を通しておかねばならない「関係者」は、それ以上に増えていく。われわれの調査によれば、知人の数は組織の規模に比例して多くなる。つまり、知り合いが増えることは、単に個人的な知り合いが増えるというよりも、むしろ仕事のうえで関係がある人が社内に増えて、その結果、組織内部での調整に無駄に手間がかかってしまうことを意味するのだ。

 世界同時不況の影響を受けて、多くの日本企業の業績は急速に悪化したが、最新の調査でも、基本的な傾向は変わらない。外部状況が変わったからといって、組織はすぐには変わらないのだ。  的確な対応策を素早く講じることができるのは、軽い組織である。重い組織には、極めて厳しい状況でも、組織に危機感が乏しい。少数の人々がどれだけ必死で立て直そうとしても、組織全体としての行動に簡単にはつながらないのだ。
まさに今沈みつつある我が社。なのにみんなのんきで…。たぶん、倒産して会社が閉鎖になるまさにその瞬間まで状況に気がつかないんだろうなあ…。

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2009/10/20

思い出は全てをよみがえらせる

仕事のBGMに「ベスト吹奏楽100」の6枚組CDを流しているのだが、採録されている曲が、まあ何というか、古い、古い。
私が中学校や高校でやっていた…そしてそのときにはすでに十分古かったような曲がわんさか…というか、そればっかり入っている。「ベスト100」というよりも、これはもう「懐メロ全集」である。吹奏楽CDというと、現役の中高生の部活向きになっていたりして、音楽的な水準はともかく、部活でやりたい!という感じのものが多いと思っていたのだが、あに図らんや、これはもう完全に中高年OB向けのCDである、と断ぜざるを得ない。

CDを借りるときにはそれほど中身を吟味しなかったのだが、実際聞いてみると、まあ懐かしい懐かしい。極めつけは「イシターの凱旋」が入っていたことだった。
この「イシターの凱旋」は、私が中1で初めて吹いた本格的な吹奏楽曲で、大きな曲をやらせてもらえるという喜びが強かったせいか、練習の様子を今も鮮明に覚えている。
今も、作業をしていたのだが、スピーカーから冒頭のトランペットとトロンボーンのファンファーレが突然流れ出した途端、いきなり身の回りが中学校の音楽室に変わってしまった。びっくりした。音楽室のにおい、木の椅子と机、回りに並んで合奏している友人と先輩たち。前では先生がタクトを振っている。あのときの感覚と中学生の頃の感情が突如よみがえってきて困惑した。

普段はもう全く忘れていて、とっくに脳から失われていると思っていたものが、ふとした瞬間に恐ろしいほどリアルによみがえる。記憶は忘れているようで忘れていないんだなと思わされる。当時は苦しくてたまらなかったはずなのに、思い出はとても甘美で、その中に潜り込んで閉じこもりたくなる。でもそれはもう決して戻れない永久に過ぎ去った過去。

*****************

娘が今ちょうどブラバンなので、数回演奏会やコンクールを見に行った。20年以上も隔たっているというのに会場の空気は本当に変わっていなかった。今の光景を見ながら、しかし過去に引き込まれそうになる瞬間がたびたびあった。何かちょっとしたきっかけで中学生に戻ってしまいそうな…。

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2009/10/18

楽天…?

まさかの2連勝でソフトバンクを下してしまった楽天。次は日ハムとの対戦だけど、さすがにこれは無理じゃないかと思うんだよね…。シーズンは負け越してるし…。
怖くて実況もスコアも見られないですよ><

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せっぱ詰まって一気に買い物

ちょっと値の張る買い物をするときはいつもそうなんだけど、ものすごく悩んでしまって、決断するのにものすごく時間がかかる。今回も実は数年前からの懸案事項で、1年に数回の割合で、発作的に売り場を渡り歩いたり、カタログを収集したり、ネットで情報を集めたりという突発的な症状が起こっていた。
で、いったいそんなに悩んで何を買うのだと思われるだろう?そんなに長く悩むんだからさぞかし高価なものだろうかと。

悩んでいたのはデジカメ。数万円ほどのコンパクトデジカメ。これを買うのに3年くらい悩み続けていたわけ。
たかだか3万円ほどの、人によっては消耗品になるような、スナップ写真用のデジカメなのに、売り場を歩くこと数知れず、カタログも眺めては捨て眺めては捨て。そのたびに、
「別に買わなくてもすぐには困らないしなあ…」
「また新しいのが出るんだろうし、値段も下がるんだろうし…」
「たくさんありすぎてベストを選ぶには情報をまず集めないといけないし、自分の考えもはっきりしてないし…」
などと逡巡して、やがて
「こんなことに無駄な時間を使えない、やらないといけない事を先にしよう」
とか考え出して、そのまま放置…という流れが続いていた。

それほどまでに熟慮・熟考が必要な重要な選択のはずなのに、今日の夕方、出張を前にして、突如焦りだしてどさくさに決めてしまったという、このどうしようもなさ。
うーん、自分はものすごく慎重で、絶対失敗したくない!っていうタイプなんだなあと改めて痛感する。石橋を叩きすぎて壊してしまう類の。さんざん悩みまくって、考えまくって、締め切りが迫ってきて、いよいよせっぱ詰まって、めちゃくちゃ適当で発作的な決断をして失敗するという。

いったい、何のために悩んでるんだよ、と。
悩むことが全然役に立っていないというか、時間を無駄にしている上に、ストレスもかかってきて、いったい何なんだろうと思うんだけど、……止められないんだよねえ…。自分でコントロールできないというかねえ。

で、出張前のぎりぎりになって、もう一つ発作的に、前からどうしようか悩んでいた電子辞書も注文してしまった。
これも、機種とか、前から時々調べてたのに、そんなの全然関係なしに、発作的に「ええーい、これでいいや!」っとばかりに注文してしまった。値段とかもめちゃくちゃです。比較もしてないし。

明日は、電気シェーバーを買ってきます。これもねえ、1年以上前から「いいかげん買い換えないとなあ、あとできっと困るぞ~」と思っていたもの。本当に、いよいよこれは絶対に困る、どうしたって出張前にそろえておかないとこれは困る、という土壇場の状態ですよ。仕事が回らなくなっている状況で、買い物なんか行く余裕もないのに…。

いいかげん、自分で自分に愛想が尽きますなあ。

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詐欺というかなんというか

県内の高校を紹介するテレビを見て思ったこと。
まあ大学も同じなんだけど、高校も一種の詐欺みたいだなあということ。「うちの○○科に来ると、○○になれるよ!」というふうに将来の夢を売って客を集めて、しかし実際の結果を見ると、そんな保証はどこにもなくて、むしろ、その○○の方面に進んでいる人は少数だという…。
で、どうして○○になれなかったかというと、それは学校が悪いんじゃなくて、本人の努力不足だったという話になるわけ。もっともらしい理由を付けて、自分たちの責任は不問に付して、金を払い、3年なり4年なりというかけがえのない時間を費やし、取り返しのつかない選択をした当の本人とその家族がすべての結果を引き受ける訳ね。甘言を弄して客を集め、一見それらしいカリキュラムを組んで「人材を養成」したような雰囲気を作っておいて、年限が来たらさっさと放り出す。そんな適当な商売がまかり通っているのが教育業界だと思う。いかがわしさ満載の業種の筆頭なのに、なぜか社会的地位が高く見られるという…。そしてその見られ方を、自分たちも当然視しているところがあって、そういう人を見ると本当に痛々しいというかこっちが恥ずかしくなるというか。詐欺的行為を働いていることを自覚していない詐欺師というのが一番タチが悪いね。
テレビで、まじめにおとなしく、先生や大人たちが言っていることをそのまま信じて将来を夢見ているような様子の生徒たちを見て、「この子たちはどうなってしまうんだろうか」と心配になってしまったのでちょっと書いた。

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2009/10/17

砂糖にアリが…→排除しようとして失敗

砂糖の袋の中にアリが多数入り込んでいるのを発見 → 
アリを殺して取り出すために袋ごと電子レンジに投入 →
30秒電磁波を照射し続けるもアリは全然死なず →

30秒照射を繰り返す → 袋が溶解 → 庫内が砂糖だらけに →

溶けた袋が冷めるまで放置後、砂糖を取り出す → アリごとコンポストへ全て投棄
庫内にこびりついたビニールと砂糖を掃除

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2009/10/16

雑用が多すぎる

細かい半端仕事がぼろぼろ降ってきて、それと一緒に会議やら打ち合わせやらがくっついてきて、全然自分の仕事の時間が取れません。
本務に差し障りが…というよりも、本務が完全に停止状態。適当にお茶を濁している状態ですが、遠からず破綻するな…これ。
どうすればいいというのでしょうか。

たまには家で晩ご飯を作ったり、溜まっている録画を整理したりしたいのですが。ていうより、しばらくぼーっと寝たい。今晩は会議が終わったら9時ですよ。それで夕食にカップ麺を2個食べたらさすがにちょっと気持ち悪くなりましたよ。今晩も徹夜でがんばりまーす…。

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2009/10/14

とある会話

地元の地域おこしを中心とした研究テーマが見つからなくて迷っているという人と。

「地元の特産物や地場産業の活性化を考えたら?」と提案してみた。

「あそこで働いてるのは中国人ばっかりだから。」

…こういう素朴な感覚が、排外主義の小さな芽なのかなと思った。いや、普段隠れて見えない根深い排外主義がちらりと顔をのぞかせた瞬間なのかもしれない。

もちろん、この後、経済循環とコミュニティ形成についての話を、きっちりと、させていただきました(苦笑)。

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2009/10/12

せっかくのCSなのに…

奇跡的な追い上げで2位を決めた楽天。
せっかくのCS出場なのに、どうも雲行きが良くない…。
CSの行方を占う最終2戦では日ハム、ソフトバンクにいいところなく完敗、山崎は10月に入って不調、岩隈と田中も今ひとつぴりっとしないし、なんだかいつもの楽天が戻ってきたみたい…。
おまけに野村監督の退任騒ぎでごたごたして落ち着かず、リンデンまで首脳陣侮辱で抹消とか、なんというか、これでは実力が上のチーム相手にまともな試合ができるとはちょっと思えない。

悲願のCS出場、しかも2位を取れたということで、もう気持ちは切れているのかもしれないなあ。もはや気分は来期どうなるかに向いているのかも。見ているこちらとしてはCSに向けてわくわくするというよりも、むしろ気分はしぼむばかり。何の準備もできてないのに大一番のプレゼンに引っ張り出されるような気持ちすらしてしまう。
CSではせめて一矢報いて欲しいものだけど…。

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テレビメモ

日曜の夜から何となくつけっぱなしになっていたテレビ。

ETV特集「死刑囚永山則夫 獄中28年間の対話」

40年前の1969年、4人をピストルで撃ち殺し、“連続射殺魔”として逮捕された永山則夫。19歳で逮捕され、1997年に死刑を執行されるまでの28年間、永山は獄中で実に多くの対話を繰り返していた。
著名人や市井の人々との1万5千通を超える手紙でのやりとり、永山が人生で初めて心から信じた女性や、裁判を支えてきた支援者との面会室での会話や書簡などである。そうした対話をつぶさに見ていくと、当時の時代や永山を取り巻いていた環境、そして、揺れ動き変わりゆく永山の人間像が見えてくる。
裁判員制度や死刑制度に関心が注がれる現代。今回の番組では、未公開の書簡や、初めて明かされる証言などを数多く取り上げていきながら、永山と対話を深めた人を訪ね、当時を振り返り、現代にも通じるさまざまな問題について考えていく。

途中から見ただけでフォローし切れていないが、印象的だったのが小川奈津美さんとの関係の変化だった。面識もない獄中の死刑囚と結婚するなんて…と昔疑問に思ったことがあったのだが、奈津美さんが自らの境遇と重ね合わせて思いを馳せたこと、そして始まった永山氏との対話、お互いがお互いの存在を抱き留めて唯一無二の存在へしていく関係の変化、そういったものがよく伝わって、心にすとんと落ちた。自分の生を生きることと社会関係を築くこととに真摯に向き合っていく彼女の存在が、そして何より彼女が彼と共に生きようとする強い思いが、彼の心を開いていった様子が語られていったのは感動的ですらあった。
そこで生まれた一縷の希望は、結局最高裁の高裁差し戻しと再審理によって断ち切られていったわけだけれど、そうなってしまうと、一次高裁で死刑判決を破棄したことすら運命を翻弄する権力の気まぐれのようになってしまう。テレビでは、この差し戻しの後、永山氏が自分の人生を生きる希望を閉ざしてしまう様子が描かれていたが、それは死刑が贖罪や更正というものとは本質的に無縁であり、受刑者に絶望を与え、自己の内部に閉じこもらせる制度であることを示しているように思われた。

被害者やその遺族の感情・苦しみは可能な限り救われなければならないが、しかしそれは応報感情によってしかできないものなのだろうか。永山氏が殺した人たちにもかけがえのない人生があり、その周囲にはその人をかけがえのない存在とする人々がいた。それと同じように永山氏にもかけがえのない人生と人々があった。私たちはその存在を永遠に消したのであり、彼を殺したのは自分たちの手であったのだということを強く実感させられた。

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NHKスペシャル|原発解体 ~世界の現場は警告する~

深刻化する地球温暖化。各国のエネルギーの獲得競争。世界を巡る環境が大きく変わる中、今、原子力発電が注目されている。火力発電所に比べて大幅に二酸化炭素の排出が少なく、発電の出力が大きいからだ。
チェルノブイリ原発事故以降、脱原発の政策を続けてきた欧米。中国・インド・ロシアなどの新興国。そして産油国までも建設に舵をきった。世界で新たに導入の準備がすすむ原発の総数は100基にのぼる。
その陰で初期につくられた原発が役割を終えて解体されている事はあまり知られていない。
閉鎖された数は既に120基あまり。私たちは原発の大解体時代をむかえていたのだ。 国内にも「ふげん」と「東海発電所」の2つが解体に着手。取材クルーははじめて、知られざる原発解体の現場に密着した。そこでは放射線という一般の建物にはない特殊な環境下での厳しい作業が続いていた。次々と関係者の事前の想定を越える壁が立ちふさがる。さらに原発の解体は別の課題を抱えていることもわかってきた。解体した後に発生する大量の放射性廃棄物を処分する場所が未だに決まっていないというのだ。

世界の社会経済環境が大きく変わる中で高まる原子力発電へのニーズ。 一方で未だ解決の道筋がみえていない解体からでる廃棄物の行き先。この難しい問題にどう私たちは答えをだすのか。解体現場の取材からの報告。


ちょうど川内原発が増設されるという動きの中でタイムリーだなあという印象。
原発には寿命があっていずれ解体しなくてはならないが、放射線が強くて作業は恐ろしく危険な上に、解体を考慮して建設されていないので作業自体も著しく面倒。
昭和31年?に初めて国が原発建設を考えた時には、寿命が来た原発をどうするかという検討はなされていなかったとか、建設時の図面が保管期間をとっくに過ぎていて破棄されていたりコピーが適当で全然読めなかったりとか、現場の判断で図面と違うことがされていたりとか、まあすごくありがちなことが続出して、解体の工期とコストがふくらむふくらむ、おまけに出てくる大量の廃材の処分場所も全然決まっていない状況というわけだから、もう解体の現場は末期的状況を示している訳だが、それでも原発を新設するのだ!という方針は今や全世界に広がっているそうな。

世界で最初に原発を建設したイギリスでは、今や解体処分にかかる費用が9兆円と見積もられているそうで(これはたぶん建設済みの原発の合計だと思うけど)、おまけに廃棄物の行き場もないのだそうで、にもかかわらず、原発の新設計画が進行中なのだそうだ。
ドイツでは確実に安全だったはずの地下処分場が実は作ってみたら想定外の問題が発生してしまい、しかも政府はそれを10年も隠していたものだから、国民の処分場へのアレルギーがひどくて、処分場立地を見つけられなくなっているとか。

日本では、放射線量が少なくて安全とされた廃材はなるべくリサイクルするように試みているそうだ。テレビでは、そうした金属を地域の業者に運んで、再度融解して公園のベンチの足などに加工している様子が映っていた。
…これからは放射線測定機を常時携帯しないといけないかもしれないなあ…。

たしか、廃棄物処理については大深度の地中に埋めて保管するとかいう話があったと思うんだけど、そうした技術開発はやっぱり続いているんだろうし、処分場の問題はもっと政治的にもクローズアップされてもいいように思うけれど、今ひとつ盛り上がっていないような。昔から、原発は実は高コストでそれ自体では採算に合わないというような話があったように記憶するが、いわゆる自然エネルギーによる発電で供給力をカバーするのが非現実的だとするならば、もはや我々の文明は根本的にエネルギー消費を縮小させる他はないのではなかろうか。…あるいは、放射性廃棄物でも全世界に薄ーくまき散らせば、全員(全生物?)のガンや白血病のリスクが多少上がるくらいのコストで済むんだから、まあいいじゃない?ぐらいに思うとか。

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クローズアップ現代10月7日(水)放送「“助けて”と言えない~いま30代に何が~」

今年4月、福岡県北九州市の住宅で39歳男性の遺体が発見された。男性は死の数日前から何も食べず、孤独死していたとみられる。しかし、男性は、困窮する自分の生活について、誰にも相談していなかった。いま、こうした命に危険を及ぼしかねない状況に陥っても、助けを求めない30代が増えている。彼らは「家族に迷惑をかけられない」「自分で仕事を見つけ、何とかする」と誰にも相談できずにいる。家族、友人、地域との繋がりを断ち切り、社会から孤立する30代。番組では、厳しい雇用情勢で先行きが見えないなか、静かに広がる「助けて」と言えない30代の実像に迫る。

バブル崩壊以降、フリーター、ニート、派遣労働と踏んだり蹴ったりの30代。テレビでは、「自分が苦しいのは自分が悪い」「努力が足りなかった」と自分を責め、「もっとがんばれば何とかできるはず」と自分をさらに悪い境遇に追い込む人々の心が取り上げられていた。「負け組」「弱者」に見られたくない、「ホームレス」のような惨めな存在と同一視されたくないというプライドもまた、周囲の助けを頼るという能動的な動きを阻害しているとしている。

実感として身に迫るなあという感じ。自分もほぼ確実にそのように孤立化するだろうし、実際、ほとんどそうなりかかっていたわけだし。その人たちがどうかは分からないのだけれど、自分のことでいえば、元々孤立志向だったわけで、それは孤独が好きというよりも、孤独に慣らされてきたというか、他人との心の交流、頼り頼られるという関係が「自分にはあってはならないもの、自分には許されないもの」だという強い確信が心の奥底に横たわっているわけで、そういう人は、本来的に自分がどんなに苦境に陥ろうとも、それは結局自分個人だけの失敗というところに回収してしまうし、それで破滅しようとも、それはそれで運命なのだというような諦観があるのだなと思う。頼れることが分かっていても、あえて破滅を選ぶというか。そういう一種の矜持のようなところにまで変形してしまっているというか。

それと、これは自分が最近よく観察している多くの大学生のことでもあるのだけれど、競争原理の中に自分を同一化してしまって、自分は敗者であり、能力が足りないのだから、どうにもならない人生を歩むのは仕方ないという意識が前提となっているような人がちらほらいる。こうした態度は古今東西どこでもあることだと思うけれど、しかしそうした合理化?は容易に解きほぐせないと感じている。結局は個人個人とじっくり付き合っていろいろ関わり合いを持ちながら、自分も共に成長するような気持ちでやっていかない限り、彼らが自分の人生に積極的な意義を見いだして自分の足で歩こうという気にはならないのではないかという気がする。大学経営という見地から見ると、とても容認できるビジネススタイルではないのだけれども。

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2009/10/08

藺牟田池を見てきた

今日は入来町に出張がありまして、用事が終わった後、あまりの天気の気持ちよさに、ついドライブしてしまいました。

日差しはまだまぶしいですが、風情はすっかり秋で、風はすがすがしく、田んぼは薄緑色と黄金色との混じり合った稲穂の波が広がって、空はひたすら青く、雲はひたすら白く、とにかくただひたすらに気持ちがいい。

途中で入来温泉に寄ると、まあ非常に厳しく衰退した小さな温泉街の残骸に、絶望的なくらいにひなびた感じのお風呂屋さんが数軒残っていて、うわー何でタオル持ってきてへんのやぁ~オレのバカバカバカバカと発狂しそうになりましたが、実際は帰社しないといけないわけで風呂など入れないわけですが、とにかく脳髄がエンドルフィン漬けになりそうな感じの強烈に素晴らしすぎる街があったわけです。それが入来温泉。

で、地図を見ると、近くに藺牟田池があるじゃないかということに気がつきまして、またうまい具合にというか困ったことにというか、入来温泉から藺牟田池まで、山道っぽいぐねぐね道が繋がっているように描いてあるんですね。ええ、一応つながってますよ、という具合に描き込んでいるわけですよ。誰だか知らないけど。
そうすると、まあ繋がってなかったら、しょうがない、社用で移動中だし、しかたないよね、また今度だねで済んだものを、何の因果か、地図屋の困った人がご丁寧にわざわざ描き込んでるわけですよ、入来温泉は藺牟田池に繋がってますよ、と。だったらもう行かざるを得ないわけで、…だって何のために道を描いたんだってことになりますよね、それで仕方ないから藺牟田池まで走ったと。

するとですね、まあとにかく素晴らしい眺望なわけです。途中にパラグライダーの離陸場?みたいのがあって、そこからの眺めがまあ劇的。台風一過の澄んだ空気の中で、山々が、田畑が、道路や家々が、もうみんな輝いているわけです。そしてただ風が渺々と吹きすさんで、きれいに刈り揃えられた足下の草原が風に波立っているわけです。もう「うぉ~」とうなる他はない風景ですよ。そしてその山の反対側に行ってみると、なんと山々の向こうに桜島が、まるで当たり前のような顔で、昔からそこにいて、「え?そりゃ見えるよ?それがどうしたの?」みたいに頭を出しているわけですよ。この光景に卒倒しそうになりながら、よろよろと車に戻って藺牟田池に行きました。

藺牟田池はですね、時間がなくてほんのちょっと見ただけですが、これもまたアホみたいに素晴らしい。渇水だったのかあまり水はなかったですが、もうね、いかにもカルデラ湖。円錐状の、これもまたいかにも火口丘でございますといったかわいらしい山があって、周りを見るとこれもまたいかにも外輪山の残骸です、すみませんという感じで山々が連なっていて、気が狂いそうなほどにいい景色。看板の解説を読むと、なんでも、藺牟田池は水深1メートルから3メートルほどと浅くて、そのくせ、浮島があって水面を浮遊しているそうなんですよ。もうなんというか、浮島がぷかぷかしてるというだけでもすごすぎる。外輪山の内部に畑があったりして、水質管理とか大丈夫なのかとちょっときになるけど、ラムサール条約に入っているとか言うし、まあいいのでしょう。

というわけで、鼻血を出しそうになりながら帰ってきたわけですが、最後に途中の入来峠からの鹿児島側の眺望がまた劇的で感動しました。入来町、「君が代発祥の地」とかいうのは気に入らないけど、山々、田畑、温泉、そして町並み、あらゆる面ですごすぎました。まあ南九州はたいがい恐ろしくなるくらいに風光明媚で、しかも多様性があって素晴らしいんだけど、入来町も相当な実力だということが分かりました。誰か空き家を月1万円くらいで貸してくれたら別荘にするんだけど。

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イクラの醤油漬けを作った

前回の日記で「まともに家に帰っていない」と言ったばかりだけど、実は一昨日の夜にイクラの醤油漬けを作りました。

夜10時頃にダイエーに行ったら、鹿児島では本当に珍しく、筋子を売っていたんですよ。しかももう半額になっていて。

もちろん半額でもそれなりの値段はしますから、かな~り悩んだんですが、筋子なんて本当に久しぶりだし、たぶん秋鮭の関係で出回ってるだけだから、今回を逃すと次がいつになるか見当も付かないので、思い切って奮発してしまいました。半額パック二つで総額700円くらい。全部買い占めたかったけれど、イクラって一度にたくさん食べると、こってりしすぎて気持ち悪くなるので、我慢しました。

で、帰宅して早速醤油漬けづくり。つくばにいた頃はちょくちょく作ってたんだけど、鹿児島では初めてだから5年ぶりぐらいでしょうかねえ。ぬるま湯で筋を取って、塩水で軽く洗って水を切り、付属の醤油たれに漬け込んで完了。
一晩置いて、あつあつご飯で食べようと思っていたのに、昨夜は結局帰れなかったし、今夜もどうも帰れそうにない…(泣)

傷まないうちに食べたいのですが果たして間に合うのでしょうか…。

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コンポスト不調中

以前から全然エサをやっていないので、先日職場に誰かが放置していた弁当を、これ幸いと持って帰ってコンポストにやってみたのですが、それ以来何となく調子が悪いのです。

弁当は普通の仕出し弁当でほとんどまるまる残っていたものです。ほぼ絶食状態のうちのコンポストには、かなりの量なんだけど、数日間は調子よく発酵していたんですね。40度以上に温度も上がっていたし。
ところが昨夜久しぶりに切り返してみると、中から生ゴミ臭がしてきて…。

理由はよく分からないのですが、

1.弁当を投入するときに大きな固まりになってしまい、内部が腐敗してしまった
2.調味料で塩分などが多く付いているので、うまく発酵しなかった
3.コンポストに対して量が多すぎて、分解しきれなかった
4.コンポスト内部の環境が悪くなっている

ぐらいの可能性かなあと思っています。
コンポストを掘ると、元が何だったか分からないくらいに発酵が進んだ固まりがごろごろっと出てきて、割ってみると中は青カビっぽいものが浸透しているんですね。悪臭の元かどうか判然としませんが、通常の発酵過程とはかなり違っているのは確か。

こまめに切り返したり、他の野菜くずなどを入れたりして、ちょっと手をかけたいんですが、このところまともに家に帰っていないぐらい生活が乱れてますからねえ…。帰っても布団に倒れて寝て、起きたらトイレに行ってシャワーを浴びて服を着て出勤という、それだけだしねえ…。

健康なコンポストを作ろうと思ったら、まず自分が人間らしい生活をしなくちゃですね。

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2009/10/05

「すぐやる課」:いいのかな

【まち自慢】松戸市「すぐやる課」健在 SOSで急行、開設40年 (1/2ページ) - MSN産経ニュース

松戸市のすぐやる課:課員12人。昭和44年設置で40年目。動物の駆除や簡単な道路補修が主な仕事。夏はスズメバチの巣の撤去も多い。処理件数は年間約4000件。
「目的は「問題解決のため市民を手伝う」だから、「部屋掃除」などの要望は受け付けないが、「溝に鍵を落とした。ふたが重くて上がらず探せない」には応える。」

「巣が民家の敷地内にあれば『自分で処理して』と言うことだってできる。でもルール通りでは困っている人を助けられない。市民の立場で仕事をしている。やりがいもある」と話す。

課の人件費は年間1億2000万円にはなると思うんだけど、これだけの人件費をつぎ込んでやるべき仕事なのかな?結局行政が引き受けざるを得ない仕事なのなら、まとめて受ける部署を作ることは意味があると思うけど。
スズメバチの巣の駆除とか、行政改革が好きな人から受益者負担とかいうクレームは付かないのかな。民業圧迫だ!という声も上がりそうなものだけど。

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やっと涼しくなった…かな?

毎日毎日蒸し暑くて「いつまで夏が続くんだろう…」と思っていましたが、この週末の夜にがくっと気温が下がりました。
土曜の夜に職場の建物を出た途端、「うわ、すずしい」とびっくり。クーラーがかかってるのかと思ったくらいびっくりしました。いつも暑い自宅アパートも朝方は22℃となってまたびっくり。それまでよく下がって28℃だったので、一気に6度くらい下がったわけです。ちょっと無茶苦茶な気がします。今まで九州北部までで貯めていた冷気を一気に放出した感じでしょうかねえ。

で、今日は朝から雨で、外は涼しいのですが、中は案の定涼しくない。窓を開けているのに外気が入らないのですねえ。( ´・ω・`)
まあエアコン無しで27度ですから文句を言う筋合いではないのですが。

天気図を見ると鹿児島も秋雨前線の北側に入っていて、それで涼しいのだと思います。願わくば前線がこのまま南に下がっていってくれんことを。

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理髪業界の参入阻止政策?

全然知りませんでしたが、理髪・理容業に洗髪設備の設置を義務づける動きが広がっているそうです。

業界団体が都道府県の議会に請願して条例改正に至るという流れが一般的なようです。その根拠は衛生上の理由ということのようで、
・切った髪などが不潔なのだが、洗わないと完全には取りきれない
・髪が汚くて洗った方がいい場合がある
・取り残した髪が他の人に付いてしまうかもしれない
といったことがあげられているようです。

まあ直感的に言って、1000円以下の激安店の参入阻止という動機がないとは思えませんね。よしんば衛生上の理由が第一であったとしても一定の参入阻止効果は持つわけで、こうした効果を期待しない理由はないでしょう。
あげられている「衛生上の理由」があまり合理的とは思えないおかげで、業界団体のごり押しという印象が強いのは、業界にとっても良いこととは思えないのですが。

新業態が出現して既存経営が苦境に陥ることは、経済全体で見れば競争環境の変化に対する対応力が発揮されている正常な状態という意味があるわけで、その変化が社会・経済的に好ましくないものでない限りは、あまり干渉しない方がいいと思います。しかも非合理な規制は経済全体の効率性を阻害するので全体としては損失が大きいでしょう。結局、業界団体としては、激安店に対抗できるような経営の合理化や近代化、マーケティングを追求するというオーソドックスな方向しかないのではないかと思いますが、どうなんでしょうか。

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2009/10/01

へろへろです

なんとか職場に戻ってきました。しばらくダウンしていました。今から明日の準備をします。きついです。

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