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2009/11/26

無意味で会社の恥をさらすコーナーはいい加減止めたらどうか

“大学で常識教育”の非常識 - ココログニュース

「ココログニュース」についてはあまりに低俗すぎるので前からなるべく見ないようにしていたのだが、ついタイトルに釣られて見てしまった。下らない「チラシの裏」について反応するのもアレなのだけれど、自分の頭の整理のつもりでメモしておく。

とりあえず上記記事を示す。

大学生による薬物事件や集団強姦といった事件を耳にする機会が増えた昨今。京都大学では、2010年度より新入生を対象に薬物の危険性などを教える“社会常識教育”を実施するという。

ブログでは「大学生の学力低下は指摘されて久しいが、社会常識まで教えなければならないとは困ったものである」と嘆く声は多い。また、本来は家庭で社会常識教育を行うべきものだという見方がある一方で、「確かに例年の成人式での馬鹿騒ぎなどを見ても幼稚さが抜けきらない今時の若者には、そこまでして手とり足とり教えないといけないようだ」と、今の大学生であれば止むを得ないという意見もある。

とはいえ「こーいう事は子どもの時に感じさせないと意味がないと思うぞ。大学生相手にしても『あー はいはい』で終わるような気がする」(ねぇ☆のブログ)との見解はもっとも。本来は子どものうちに身に付けておくべき社会常識を、成人間近の大学生に対し大学で教育するという事実。非常識のような気がしてならないが、いつかこれも“常識”となってしまうのだろうか?

この人は一体何を言いたいのだろうか。京大に「常識教育」を止めろと言っているのか。なら、京大は自分の学生の不祥事やトラブルは放置すればよいということだろうか。
好意的に取れば、たぶんそうではなくて、「本来は子どものうちに身に付けておくべき社会常識」を知らないで大人になる若者が多いという社会風潮を嘆いているだけなのだろう。しつけもまともにできない親が増えているとか、ご近所で子供を叱る大人がいなくなったとか、暴走して我を通すことに無頓着な子供ばかりになっているとか、まあそんなことを言って、「本当に情けない世の中だ、こんなことだから日本は…」みたいなことを言いたいのだろう。それで「子供は家庭でしっかりしつけろ」というぐらいの話が出てくるのだろう。
でもそれって完全に他人事ではないか。その辺のおじさんが飲み屋で酔っぱらってくだを巻いているのとどこが違うのだろうか。「本来は子どものうちに身に付けておくべき社会常識」に欠如した人間が多数出ていると考えるなら、どこかが彼らを矯正しなければならないと考えるのは自然だろう。それのどこが「非常識」なのだろう。あるいはまた、家庭が「常識教育」を行う機能を失っていると考えるならば、それを回復させるか、他の代替的方法を見つける方法がないかを考えるのが建設的だと思うが、そうした発想からネットを検索して、子供のしつけを取り巻く現実や社会的な取り組みを「ニュース」にするということは考えなかったのだろうか。

そもそも、薬物にせよ性犯罪にせよ、その原因=「常識」の欠如というとらえ方は意味があるのだろうか。一体「常識」って何を指すのか。単に「薬物は良くないですよ、違法ですよ」ということなら、そんなことは誰でも知っているだろう。では、薬物所持の犯罪構成要件が何でその刑罰は何か、またなぜ薬物所持が違法とされるのか、あるいは薬物の人体に与える生理的効果は何かという正確な知識は一体どの程度の人が答えられるだろうか。
さらに言えば、そうした知識があってもなお薬物依存になったり犯罪に走ったりするケースだってあるのではないか。悪いと知りつつ手を染める、やむにやまれずやってしまう、あるいは周囲との関係の中で断れなかったり逃げられなかったりということはないのだろうか。人がトラブルに巻き込まれたり犯罪に手を染めたり、他人の迷惑を引き起こしたりということがおきやすい状況やその行動メカニズムについては、「常識」と呼べるくらいに我々はよく知っているのだろうか。そして、そうした問題が生じにくいような体制は、今の日本社会に十分備わっていると言えるのだろうか。

こんなふうにちょっと考えてみれば、「子どものうちに身に付けておくべき社会常識を成人間近の大学生に教育するのは非常識」というような、「常識教育」という言葉尻だけを捉えた感想でお茶を濁すような記事?にはできないはずだ。問題を正面から見ようとせず、現場の苦労や悩みを揶揄するだけで何の提案にもならず、批判としての体裁もない無意味な文章。こういうのを「ニュース」と称して「ニフティ」の社名を冠して世界に堂々と公表しているわけだから、いかにこの人たちが報道とかジャーナリズムというものに対する「常識」がなく、組織の一員としての責任という社会人常識にも疎いかがよくわかるというものだ。

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読売新聞によると、京都大学が準備している初年時教育の内容は以下の通り。
薬物ダメ、自転車マナー…京大が授業で「社会常識」 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)(2009年11月22日09時09分)

現在の初年時教育:学部単位で、向学の心構えなどを教えるもの。
これを「人間としての基礎的な教育」に重点を移し、全学共通カリキュラムとする。
前期に開講し、10~15コマ。10年度から試行的に始め、11年度からは単位化する計画。

・法令順守:(1) 薬物の危険性を科学的に解説、(2) 人権の大切さ、その他
・マナー教育:自転車のマナー(京大では自転車利用が多く、以前から周囲から苦情が多い)
・キャリア教育
・メンタルヘルス教育(カルト集団、自殺願望への対処方法など)

最近の大学初年時教育としてはトータルな内容で無難ではないかと思う。自転車や薬物など大学の事情が反映されているのは当然だろう。来年度からすぐ全面導入されないのは、学び方などの従来の内容のコマ数との調整やこれまでの学部学科内での利用状況との調整という面もあるのだろうし、いきなり全面展開できる内容構成を準備できないということもあるのだろう。10コマという含みがあるのもその辺の事情の反映だろう。

「社会常識」と読売新聞はタイトルを付けているが、この講義内容が「常識」=「普通の大人ならあまりにも当たり前のことでいちいち教えるほどでもないこと」でしかないかどうかは、全く分からないことだ。講義の詳細は全く報じられていないのだし、薬物の危険性にせよ自転車マナーにせよ、「良くないことは止めましょう」という単純な講話にもできるし、科学的知見や人間性や社会への洞察を交えた示唆的な内容にもできるわけだ。例えば自転車問題は、それ自体が都市研究や行動分析、さらには他者との関係性という社会学的な題材にも繋がる興味深い素材だと思う。まあ半期でそんな展開をする余裕はないだろうけど。

それと、すでに発生している問題に対処するという態度は大学側の対応としてはそれほどおかしなものでもない。実際に薬物所持で逮捕者が出ており、またメンタルヘルスで問題を抱える学生は少なくないし、京都大学でも統一協会やオウム真理教などにのめり込んでしまう学生は毎年出ているわけだから、「大人だから」個人の自覚にゆだねるということではなく、知っておけば無用なトラブルを避けられる知恵を授けるということ自体には、十分意義があるのではなかろうか。いわゆる「大人」だって落とし穴にはまることはあるわけで、それを避ける知恵を教わる機会があればそれなりに有意義だと思う。そういうライフハック的な(しかも単なる生活の知恵と言うよりももっと切実なもの)を学ぶ機会は、そもそも社会全体でも余り整備されていなかったのではないか。

もちろん、「そんなものは大学がやる必要はない、個人が自ら学ぶものだ」「家庭内で身につけるものだ」という意見は、それなりの見地だと思うので、その考え方自体を否定はしないが、しかし自分の大学の学生がトラブルを起こしたり苦しんだりしている以上、放っておけないというのもまたもう一つの考え方だと思うのだ。このどちらの立場を取るかは選択の問題で、だから京都大学の副学長が「あえて大学で教えるかどうかは悩ましい」と言っているのだろう。
しかし、現在の多くの大学は、後者の考え方を採用しつつある。それは大学の組織防衛という面もあるし、学生へのケアを強めるべきという意識の反映でもあるし、また実際困っている学生が増えているという認識の反映でもある。本来自由の府であり、あらゆる権威と既成概念を根底から疑う態度を涵養する場であるはずの大学で、このような学生管理や「常識」の強制を行うべきではないのかもしれないが、そうも言っておれないというところが正直なところではなかろうか。私としては、こういう知識は一度きちんと押さえておくべきだと思うので、できればハウツーではなくて、ある程度学問的基礎を踏まえた形でまとまった内容を展開してもらいたいところ。

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