男が自分のことを男だと認めることがそんなに難しいとは思わなかったな。
曾野綾子氏の産経コラムが発端になった「はてな」周辺での論争(と言っていいのかどうか…)がどうも延々と続いているみたい。
理解している範囲では、「男は獣」「獣は檻に入れとかなきゃ」という皮肉を皮肉と受け止められない人々がえらい剣幕で反論して、そこから男性性についての話とか性暴力への防衛術とかに話が発展していると言うことだと思うのだけれど。
男性サバイバーからのメッセージ - 「あなたは悪くない」別館
ここで取り上げられているのは、性暴力を受けた男性が、その後周囲から苛烈な迫害を受けつづけ、それに苦しみつつも、ほかの被害者たちとのつながりを得て自分を再生していった話、そしてその人からのセカンドレイプ告発の辞なのですが、同性として思うのは、自分もごくごく容易にセカンドレイプをする側に回ってしまいかねないということです。
それも無意識に。むしろ親切心や正義感から。
自分で自分の意識の穴を見つけることは、すごく難しい。どう考えても正しいと考えるほかはない論理が、しかし実は誤りを含んでいたということは、しばしば起こりうるし、実際、自分自身何度も経験しました。そうする中で、自分というものの危うさを徐々に知りました。
私自身は、自分の娘に自衛するようになどと言いたくはないのです。世の中というものは狭めればそれに応じて狭くなるもので、しかもそれが狭いことは決して内側からはわからないという性質を持っています。多少冒険しても、世界の様々な手触りを自分で確かめてほしいし、その中で生き延びる知恵を体得してほしいと思っています。自由に出歩いてほしいのです。でも、残念ながら、母親や回りの女性たちの心配を払拭するようなことを言えません。実際に危険はあるし、母親たちの少なくない人たちが性的な危機や被害を経験しているからです。つまり事実として、その危険はある。
私は、一人の男性として、やっぱり「獣」の一人だと思っています。自分が性犯罪の加害者になる可能性はあると思っています。アダルト系コンテンツにはずーっとお世話になっていて、その中にはアブノーマルなものも含まれています。で、権力欲も支配欲もあるし、自分ではあまり意識しないけれど、いわゆるマッチョな弱肉強食的な価値観も、男は強くないと的な思想にも親和的である。もちろん今すぐにレイプしたい対象があったりレイプ欲があるわけではないけれど、状況的にレイプを決意するようなことが起こるかもしれないと思っているのです。そして、こういう不安は、自分がどんなセックスをしたらいいかわからない、どうセックスに向き合えばいいかわからないという不安につながっています。それはたぶんパートナーに対する接し方が不安定なことにも関係していると思います。
男性が「獣」呼ばわりされて納得できない男性は、少なくとも自分は「獣」じゃないという思いがあるのかな、と思うコメントがこちらにありました。
この方は、知り合って間もない女性に招かれて、2人だけになる状況で彼女の家に上がったのですが、その家を辞する際に、おおむね以下のような会話があったそうです。
男性「ありがとう。でもよく知らない男をホイホイ家にあげてはいけない」
女性「大丈夫。あなたがそんな人じゃないって私知ってるから」
これを受けて、この方はこう書かれているのですね。
********************
そうじゃないんだよ。
僕がそんな人じゃなかったのは、たまたま(たまたまっていう表現は間違ってる気もするけど、あえてそのままで)運が良かっただけなんだよ。
********************
「僕がそんな人じゃなかった」という言葉は、たぶん、「自分は隙あらば女性を襲うような人間じゃない」=「自分は性暴力をする人種じゃない」という意味で、「今たまたま自分は獣ではなかった」という意味じゃないと思うんですね。
これは私もずーっと昔に似たような会話をしたような記憶もありますし、「僕でよかったね」というような心理がそこに働いていたことも思い出すわけですが、今思うと、ちょっとかなり恥ずかしい。若気の至りという言葉を思い起こしてしまいます。
この方が自分と同じだとは言わないけれど、でもやっぱり、私は気がつきましたねえ、自分が痴漢や強姦魔や児童性愛者と類似の心性を持っていることに。そしてそれ以来、「私は『獣』じゃない、すなわち生涯決していかなる意味でも自分が『獣』になることはない」と断言できる男性を想像できなくなったのですね。
だから、やっぱり、皮肉でもなく「獣は檻に入れておけ」という話は、それを認めるところからしか話が進まないのではないかと思うのです。私が道をかろうじて踏み外さずになんとか生きていけるとしたら、こうした自分に対する自信のなさこそが杖になってくれるからだろうと思うので。
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 日本大使館、正しい日本理解「日本は検閲の国」というイメージ広報に成功。(2019.11.06)
- 伊勢市教委、日本の戦争責任批判・犠牲者の鎮魂は許さないという姿勢を明瞭にする。(2019.10.31)
- 歴史修正主義の走狗となりアメリカで破廉恥な圧力を掛ける日本外務省(2019.10.30)
- 反天皇や日本の戦争責任を問う展示は中止、朝鮮人差別の展示は続行。(2019.10.28)
- 朝鮮学校の無償化訴訟、東京と大阪で敗訴が確定。(2019.09.03)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント