沖縄にやってきました。
夕食後に、沖縄音楽の店ということで、ねーねーずの店に連れて行っていただきました。歌もよくて、しみじみと感じさせられました。
「ちゃっちゃー」?という曲を聴きました。ちゃっちゃーというのは、おじさんという意味なのだそうです。
歌のメロディーラインは沖縄音階で民謡風なんですけど、ベースラインが時々昔のロックンロールぽくなるんです。でも不思議に違和感がない。へー面白いなあと思って聴いていたら、間奏部分でいきなりフォルクローレの「花祭り」が入り込んできてびっくり。でもやっぱりそんなに違和感はないのでした。ゴーヤチャンプルーをつまみながら、「ああ…沖縄ってちゃんぷるーなのかなあ」とか思いました。…飲み口のいい泡盛でちょっといい気分になっていたせいかもしれません。
それから、沖縄民謡を数曲歌ってくれました。ねーねーずバージョンとも言っていたので、本当の(?)民謡とは節回しなどが違っていたのかもしれません。言葉の発生や滑舌が標準語風だなあと感じて……いや本当の沖縄方言、うちなーぐちを知らないので区別などは付かないのですけど、ただ、歌詞がすごく標準語的発音だなあと思ったのです……なんだか納得しつつ、それでも何となくもの悲しかったです。私も含めてお客さんはみんなちょっとよそ行き風の着こなしの観光客ばかりで、つまり、みんなどことなく非日常の空気を身にまとっていて、そしてその前で正装した歌手の人が民謡を歌う。それは、今の民謡のあり方そのものでもあるし、またそうしながら新たな命を吹き込まれているわけですけれども、でもねーねーずの歌声を聞いていると、この歌の元々の居場所は一体どこにあったのだろうと思われて、なんだか歌そのものと、そしてその歌を村落で歌い継いできた人々に対してひどく申し訳なく思われてきたのでした。
思えば、私はこうした伝統芸能の経験をほとんど引き継いでいません。わずかに残る記憶は、幼い頃に母親が聴かせてくれた子守歌ぐらいなもので、地場で歌い継がれてきた民謡や踊りなどは全く知らないのです。盆踊りで踊れるのは炭坑節だけで、がんばってもせいぜい河内音頭を見よう見まねで踊るくらいしかできません。昔、イタリアに留学していたとき、「日本の歌を聴かせろ」「踊りはどんなのがあるのか」と言われて、実は学校で教わった「五木の子守歌」とか、およそ地元とは関係のない歌しか知らないことに愕然としたことがありました。
ねーねーずの歌を聴きながら、沖縄の歌と踊りが、曲がりなりにも、今なお強く生きていることを感じつつ、自分の育ち方について、改めて何とも言えない断絶感というか、途方もない間違いをしてきたのではないかというか、このような文化の破壊は一体どうしたらいいのかというか、そういう思いをもの凄く強く感じてしまったのでした。
自分と自分の周囲の歴史や過去を知ることは、とても意義深いものですけど、知識として知るということだけではなくて、体に染みついていくものとしての伝統や文化というものもあると思います。私や、そして思うのですが、私の親たち、近代主義的左翼的思想を持った進歩的知識人と言っていいと思いますが、の目指してきた価値が、何か大きな忘れ物をして、それが結果的に、もう取り戻せないほどに地域の文化継承を破壊したのではないか、という思いを致しました。いや、決して、進歩的知識人も、「民衆の文化・思想」を軽視していたわけでもないし、むしろ称揚していたのですが、しかしにもかかわらず、私は地元の古い歌も、踊りも、遊びも、そして古い方言ですら、親からも近所からも知ることはなかったのでした。
そんなことをつらつら考えながら歌を聴いていると、沖縄や故郷や、いろいろなものがこみ上げてきて、やたらと切なくなったのは、たぶん、ねーねーずの歌声の透明さと、泡盛の効果だったのでしょう。また機会があれば行ってしみじみと聴いてきたいと思います。
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