「日本の大学」と留学の意義?のこと
こちらの二つのエントリ:
高校生たちよ、英語圏の大学へ進学しよう - Rails で行こう!
15歳の君たちに告ぐ、海外へ脱出せよ - Rails で行こう!
コメント欄に出てくる(自称)14歳、15歳、16歳のコメントがその辺の大学生以上に理知的で、なんというか驚いたけれど。
著者の人は、要するに日本の大学ではろくすっぽ勉強も出来ないし、視野も狭いままで人間的にも成長できない、海外に出ていろいろな国の人と交流して視野を広げて、自分で道を拓く力を身につけろと言っているのだと思う。
この意見には基本的に賛成。高校だろうが大学だろうが仕事だろうが生活の場だろうが、世界の中から選べばいいと思う。そして、できれば、若いうちに、海外での生活は経験した方がいい。
なにより、コミュニケーションの仕方やものの見方・考え方について得るところが大きいと思うから。それに、出て行った先の方がむしろ精神的には生きやすかったりすることもある。いや、苦労もまた激しく大きいんだけれど。
日本と海外と、どちらの大学の方が勉強できるかというと、大学によるから一概には言えないだろう。むしろ、大学と言うよりも、自分がつく先生や研究室の状況によるものの方が大きい。ヨーロッパの大学だって、全然勉強しない幽霊みたいな学生は多い。そういう人はたいてい留年や落第を繰り返して中退するんだけど。留学生だってまじめじゃない人はたくさんいるしフリーターみたいな生活をしたり不法残留している日本人だっている。だから、日本の大学がだめだと一般化は出来ないと思う。
けれども、もし大学でまじめに何かを得ようと思うのならば、そして、就きたい先生や研究分野がとくに定まっていないのであれば、中堅以上の大学に行く方が充実する可能性は高いと思う。特に、「研究大学」と呼ばれる水準の大学に行き、厳しめの先生に就くべきだ。どんな分野でも、学問はそれなりに職人技の部分があるから、その作法や頭の使い方をみっちり勉強できる場所を選ぶためだ。はじめから変に学際的な領域に進まず、古典的であっても根本的な枠組みの定まった確立された領域を学ぶ方がいい。
そして、そのためなら、欧米の大学にはいいところがたくさんあると思う。むしろ日本で学ぶ必然性がない。どちらでも学問水準は大差ないので、海外の方がおもしろいんじゃないか。
というわけで、海外留学に賛成です。少々無理をしてでもさっさと出た方がいいと思うよ。本当に。
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