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2010/04/03

窮屈な社会

みんなのうた「コンピューターおばあちゃん」について(平成22年4月2日)

DVD化されて販売されていたそうです。すると、その内容について
「DVDを見た方から指摘があり現在の番組担当者が確認しました。」

で、その指摘内容。
「 アニメーション画面の一部に使われている風景・人物などの連続映像(全体で15秒程度)の中に、女性のおしり・胸・下着姿の写真がそれぞれ約0.1秒ずつ3カット含まれていました。」

で、
「みんなのうた「コンピューターおばあちゃん」の映像の一部を手直しする」
とのことです。

現在、動画サイトで当該場面を見ることができますが、

・普通は視認できない。すごく短いコマ。
・問題のカットも別に卑猥な映像ではないし、これが使用されているシーンも、当時の世相を反映した社会風俗のコマ送りといった使い方で、わいせつさを意図したものには見えない。

私の印象では、子供に見せて問題になるとは思えませんでした。
この10年か20年かの傾向かなあと思いますが、「暗然」とか「安心」とかをキーワードにして、いろいろな管理者責任を厳格化することが進んでいて、表現する側が窮屈なことが多くなっているように思います。

asahi.com(朝日新聞社):月の満ち欠け、芭蕉が説く?新教科書、伝統・道徳が満載 - 社会

安倍内閣時代の教育基本法改悪の影響が出てます。「伝統」とか「道徳」とかを強調するようにさせられているのですね。官製のお仕着せの「伝統」とか「道徳」なんて、一番警戒すべきものなのに…。

で、記事ではいくつか例が挙がっていまして、
1.月の満ち欠けを教えるくだりで、松尾芭蕉の肖像画とともに「明けゆくや 二十七夜も三日の月」の句を載せた。(6年理科 教育出版)

2.国語の低学年の教科書では、5社中4社で因幡の白うさぎ、2社でヤマタノオロチの話が登場。指導要領が、伝統的な言語文化を学ばせる上で「昔話や神話、伝承などの読み聞かせ」を明記したため、とのこと。

3.算数の数を学ぶ単元で千代紙を使った折り鶴の写真を掲載。(1年 大日本図書)

このほかに、音楽では雅楽、家庭科では雑煮などの郷土料理が扱われるようになりました。

どれも内容は穏当だし一見いいことみたいに見えます。国語の「神話」の扱いなど、教科書会社の工夫も見られます。でも、何でお仕着せでこんなことを気にしないといけないのか。

それから「道徳」的なものではこんな例が。

各学年の算数の巻末問題で、指導要領の道徳の部分に出てくるキーワードをちりばめた。正解にたどり着くと2年では「すなおのかぎ」、3年は「せいぎのかぎ」、5年は「友情のかぎ」が手に入り、6年で「希望のかぎ」を手に入れると「未来というすばらしい宝もの」が手に入るという仕立てにしている。(学校図書)

「すなお」とか「せいぎ」とか気持ち悪すぎます。しかも「正解」したらって。
そんなどこかのRPGみたいなことで人間性や道徳感情って「手に入れる」ことができるという世界観を肯定しちゃっていいんですかね。これが官製の道徳ですか。社会的に「いい」とされている価値観だったら、それを身につけさせる手段は選ばなくていいんだ。すばらしい「道徳」ですね。「水伝」と一緒ですね。

ただ、こうしたことが起こる理由の方がもっと面倒な話で。

 こうした教科書が出てくる背景には、「売れないと困る」という教科書会社側の不安もある。ある社の担当者は「各地の教育委員会がどの教科書を選ぶか決める際『指導要領で強調しているのに、どこに取り入れたのか』と言われると困る」と打ち明ける。その心配から、小さな話題でもとにかく盛り込むよう努めたという。

ここでも表現者側の自己規制が働いてしまうんですね。

私には、こうした自己規制の姿勢と、労働組合の組織率の低下とがなんとなくかぶって見えるんですね。
変なことを言っていると思うかもしれないけど、この二つ、表現者の自己規制も、合理化・リストラへの対応も、どちらもこんな構図じゃないかと思うのです。すなわち、上から圧迫される・圧迫されそうな気がすると、個人がみんな首を縮めてそれを避けようとするという絵に見えるんです。たとえば、阿久根市役所では、無法な市長からの処分が怖くて、公務員はそれに対して異を唱えられず、無法な行政の執行者にならざるを得ないわけです。どこの会社でも大なり小なり、たとえ変なことだと思っても、「空気を読んで」自己規制しないと立場が危なくなることってあるし、大学生の就職活動の神髄は、こうした「空気」に自ら率先して同調する能力を高めることにあるわけです。就活って、会社の「理念」に帰依する態度を以下にうまく表現するかっていう競争ですからね。

要するに、何か大きなもの、世間とかお客様とか会社とか上司とか、そういうものの圧力に対して、みんながバラバラに各自で対処しないといけないって思っているような。「自己責任」っていう風潮はその一つの表れのような気がします。「みんなでもの申す」という態度、「みんなで考え、作っていく」という態度がすごく弱くなっているのじゃないか、それと、この窮屈さとが重なっているのじゃないかというふうに感じるのですね。

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