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2010/04/19

英語脳

CGSA (Chuo Graduate School of Accounting)’s development oriented towards globalization:教育:Chuo Online : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

1年間のサバティカルで客員教授としてブリスベンに滞在した人の話。
英語に苦労したということなのだけど…。

 仕方がないので、第二言語としての英語(ESL: English as Second Language)の先生について、とにかく論文の作成と発表のための準備に入った。毎日、毎日、膨大な英作文をして、それを修正してもらうという日々をすごした。それらの日々の中で、当然ながら、英語の文章は英語で考えないと分からないことに気が付いた。そう、日本語の文章を作って英語に翻訳しても、大体の場合、先生に「日本人の英語はわからん」といわれて真っ赤に校正された。その内、英語で書き出す方法がなんとなくわかり始め、それで専門的な会話も大学では可能な状態になっていった。このとき、学んだことは英語の論理が日本語に翻訳すると壊れるという事実である。英語は英語のまま分からなければ、その英語は再現できないし、ましてやそれに基づいたディスカッションもできない。あるいは、英語が書けなければ、正確な英文の読解もできないように感じた。

というわけで、英語脳にならないと英語はできないという話。

これは感覚的にわかる。語のつむぎ方が根本的に違うし、話の運び方も違うので、日本語の作文の筋だと、どうも英語にしにくい。翻訳家はすごいと思うんだけど。

大学で初めての夏、先輩がレポートを直に英語で書いていて、びっくりしたら
「英語ははじめから英語で書く方が楽だよ」
と言われたことを思い出す。

そうか!と思ってまねをしたけど、なかなか英語脳にはなれず…。日本語で考えてしまう。

思うに、言語チャンネルみたいのが頭にはあるのじゃないか。がんばって外国語を覚えると、そのチャンネルが出来てきて、ある程度になるとそのチャンネルで考えたり行動したり出来る。で、普段使ってないチャンネルはさび付いてしまう。

で、理屈とかは日本語で身に付いているわけで、その中には漠然としていてちゃんと言語化できていない考えもあるんだけど、日本語で表現している限り、その漠然さに気がつかない。それを外国語にしようとすると、時にそれが引っかかって、うまく理屈を説明できないということが出来てくる。思考が甘いところと言えばそれだけなのかもしれないけど。

イタリア語を話そうと思うと、どうもイタリア人っぽい態度になっちゃうというのもその一つなのかなあ。饒舌になったり自己主張が激しくなったり謝る前に弁解したり…。

あと、中国語を妙にかじったものだから、イタリア語チャンネルと混ざって、中国語を考えようとするとイタリア語が出てきたり、訳わからない状態になってるし。

というわけで、外国語は苦手です。英語とか、日常に使える環境を維持しないと絶対忘れちゃいます…。語学留学とかしたいなあ。


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