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2010/05/21

恨みと癒し、許すという感情

虐めっ子が死んだ(はてな匿名ダイアリー)

これは面白い。
トラックバックでいろいろな人の反応を読めるが、いろいろ考えさせられる。

私が特に面白いと思ったのは、
・ざまあみろと思うのであればそれは結局いじめっ子と同じ水準じゃないか
という問いかけに関して、
・ざまあみろと思うのは自然な感情で認めるべき
・ざまあみろと思うことで救われるという側面もある
という反論があった議論の筋。いじめられた側がどうやって自分の傷と折り合いを付けるかについて、人それぞれに考えや体験が違うこともわかる。

他に、
・謝罪や改悛が被害回復の役に立つのか?
・加害者が責任を取るとはどういうことか?
というあたりで、「覆水盆に返らず」を徹底したような強い憎しみを吐露した人もいたし、それを肯定しつつ、しかしそのままでは辛すぎるという反応をしている人もいた。「取り返しが付かない」から「死ね・苦しめ」もあるし、「取り返しが付かない」から「加害者がどうなろうと関係ない」・「もう忘れたい」もあるし、「取り返しが付かない」から「加害者は反省してほしい・贖罪の努力をしてほしい」もあるんだなあと。

刑法改正などの流れで「被害者・遺族の処罰感情」という話があるが、それとかぶるなあと思わされた。
加害者を殺せ・社会的に抹殺せよという主張があって、それはどうか、という反論があるが、今は前者の主張の方が強い。

まあそれはともかく。
上記ダイアリーのやりとりを見ていると、苛烈な被害を受けた人が癒される、少なくとも多少なりとも慰撫されるということはどういうことなのだろうという本質的な問題を象徴しているように思える。いずれにせよ、いじめ問題(その多くはおそらく学校での経験だろうと思うけど)は、普段目立たないけど、実はものすごく多くの人が深い傷を抱える原因になっていることがわかる。実は、日本社会全体にものすごく深いしこりを生じさせている原因になっているんじゃなかろうか。

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