人生いろいろ
まあ私は助教ではないし理工系でもないのだけれど、滞在時間は同じくらいはあるなあ。大体朝から真夜中過ぎまではいるので。
ただ、この辺が大きく違う。
外から見たら全部研究しているように見えるのかもしれないが、休憩の時間を除いたり、他の仕事をしている時間を除いたりして、研究に関すること(論文読んだり実験したり)しているのはたぶんその半分くらいだと思う。この書き方は自分の研究時間が短いということを述べているのだと思うけれど、率直に言えば、半分も研究に時間を割けるというのは、恵まれすぎていると思う。不幸自慢をしても仕方ないのだが、私の場合、そうした時間はゼロである。16時間ぐらいは職場にいると思うが、自分の「研究」に割ける時間はゼロである。この方は勉強会への参加とその準備の時間は研究時間にはカウントしていないようだが、私に関して言えば、もちろん、勉強会などへ参加する余裕は全くない。中略
勉強会に1つ出ると2時間使い(毎日1つは勉強会がある)、担当が1つ当たっていると準備に8時間使い(毎週1つくらいは担当が当たる)、みたいな感じなので、勉強会の数を根本的に減らすのがいちばん時間確保に有効なのだが、勉強会に出ないとどんどん研究から離れて行ってしまう(勉強会に全く出ない M1/M2 の人がときどきいるのだが、少なくとも1つは出た方がいいと思う……)ので、難しいところである。そんなことを言っていても、忙しくなる秋以降は出る勉強会が激減するわけだけれども。
ちなみにうちの職場は全部がそうだというわけではなく、同僚に「自分はもはや研究者ではないと思っている」と言ったら「うーむ」と絶句したりする。しかし、にもかかわらず(あるいは、だからこそと言うべきか)、「研究」とは無縁の雑務と学生対応の要求量はどんどん増えてきている。「論文」とか「発表」とかいうものも年に数回ノルマがあるが、研究などとはほど遠く雑文かエッセイもどきでしかない。こういう低レベルの作文に対して「面白いね」とか言ってくださる方も時折おられるが、率直に言えば面映ゆいのを通り越して腹が立ってくる。
ふと思い立って、先週からまた研究費の申請書を書いている。最近の16時間労働のうち、1日4時間くらいはこれ関係である(〆切を考えるといま書くしかないのがつらいところだが)。研究費の申請もなあ。職場は出せと言っているようだが、そもそも「研究」を計画する気力すらないし、業界動向ももう全くフォローすらしてないのに、申請書なんか書けるわけないし。まあ、同じカテゴリーに入る業種であっても、かくも状況は異なるというわけで。辺境末端の地で食いつなぐことに注力すると、まあこうなるということですかね。
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