JR東の排除型シートと環境管理型権力
JR東:迷惑な座り方できません…山手線で新型座席試行へ - 毎日jp(毎日新聞)
「人間工学に基づいた新型座席シートを慶応大の山崎信寿教授(人間工学)と共同開発し、6月から山手線で試行する」
とのこと。
背もたれも凹状に改良したことで、膝を開いたりすることができないようになり、体も隣席にもたれかからないという。背の低い子供も楽に着席でき、深座りで姿勢が正しくなる効果も期待できる。
写真を見ると、背もたれをへこませたというよりも、座面の両側に大きく山を作って、その谷間に両足ごとぎゅっと入り込むような形です。窮屈に押し込められる感じ。
で、こういうのを見ると、つくづく「東京らしいなあ…」と思ってしまいます。
もうずいぶん昔のこと、何かの用事で東京に出かけて山手線に乗って驚いたことを思い出します。
いかにも「ここに一人ずつ座りなさい」といわんばかりに、シートの模様がデザインされていて、あろうことか、シートにでこぼこまで付けられていたんですね。
あれを見たとき、東京の人は、人間同士のちょっとしたふれあいや譲り合いすら、うっとうしく思うのかと思いましたね。すかすかに座っていたら、「ちょっとスミマセン」と言って割り込ませてもらえばいいだけのことなのに…。普段、阪急や阪神に乗っていると、こっちは「もう入れへんで…」と思ってるのに、おばちゃん連中がお尻をぎゅうぎゅう割り込ませてきたりしているわけです。いつもピチピチになって座っている身としては、「なんやもっとぎょうさん座れるのに、もったいないし」とか思ったわけですね。
それと同時に、ちょっと気持ち悪さも感じましたね。人間には体の大柄な人や小柄な人がいるし、いろいろ事情でゆったり座りたい人もいるだろうに、一人当たりのスペースをみんな均質な存在みたいに仮定して機械的に割り振って、それで公平だと東京の人は信じてるのかなあということが一つ。
もう一つは、どこの誰か分からないJRのお偉いさん達が勝手に「はい、一人の体の大きさは○○センチに決めましたからね」ってやったことを、それに不平不満も言わず、唯々諾々と従う無数の人たちが、なんだか物言わぬ羊の群れのように思えて、空恐ろしくなったんですね。
たぶん、東京の人たちは、何か周囲に不満を感じたり、誰かに何かをしてもらいたくなったときには、その相手と直接話をするのではなくて、その場所の管理者に、「あれを何とかしてほしい」と頼むのでしょうね。そして、その管理者の権力を経由して、自分の要求を通そうとする。確かにそうすることで、直接相手の人と交渉する面倒くささと不安とを感じなくて済みますけれども、それって、かえって世の中をぎすぎすさせているんじゃないか、と思ったことでした。
こんな事を思い出していたら、読売新聞にそのものずばりの話が載っていました。
足の投げ出し防ぎます…山手線で新座席試行 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
背もたれ部分をへこませ、ひざを開きにくく、上半身が横にもたれないように工夫した。足を投げ出すなどの行為が不快に感じるとの声が寄せられたことを受け、JR東日本が、慶大理工学部の山崎信寿教授と共同開発した。
どかっと座っている人がいたら、「すいません、もうちょっと詰めてもらえませんか」と言って座らせてもらう。「すいません、ちょっと通してもらえませんか」と言って足を引っ込めてもらう。そうすることで、「あ、俺、ちょっと今横着しとったわ」と自覚してもらう。そういうふうに譲り合えたらいいですね。
いつの間にか、関西でも、昔のようなゆるさは影を潜めてしまい、東京みたいに何でも四角四面のルール、ルールで息が詰まるような感じになってしまいました。
でも、身近な面倒は身近な範囲で調整する。自分も相手もちょっとずつ我を張り合って、ちょっとずつ譲り合う。そういう細々した面倒くささを引き受けることで、お互いに相手のことがちょっとずつ見えてくるし、そういう方が結果的に、ゆるーく生きられる社会になるんじゃないかと思うのですね。
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