なんでも官能?
NEWSポストセブン|かつて官能小説がSMモノに集中していた国家的な事情
この記事によれば、現代の官能小説は戦後に始まったみたいですが、その黎明期にはSMが主流だったのだとか。
で、その理由とされているものが面白いです。「40年以上にわたり、年間300編の官能小説を読み、新聞・雑誌などに紹介している評論家の永田守弘氏」によれば、
理由は簡単で、作品がSM系に集中したのは、警察の摘発を逃れるための苦肉の策でした。1950年代半ば、性描写についての当局の取り締まりは厳しく、挿入シーンなどは以ての外。その一方で、女性を緊縛し、その苦悶の表情やせつない喘ぎ声を書いているだけなら“セーフ”だったんです。
というもの。つまり、通常の性行為の範疇に入らなかったからというわけです。
永田氏は、
こうした状況下で、作家たちは警察の取り締まりから逃れるために、性的表現・描写を試行錯誤し、巧妙に工夫するようになりました。皮肉なことに、警察権力の介入が作家たちの腕を磨き上げ、現代に至るまでに官能小説独特の猥褻で繊細な世界を作り上げたのです。
と言っていて、わいせつ物の取り締まりがかえってわいせつ物を洗練させたという逆説も面白いのですが、もっと面白いかもしれないなあと思うことが。
それは、もしかしたら、現代のSM趣味というのもこの警察の規制が原点なのじゃないかということ。
SM趣味は世界中にあると思いますが、日本的なSM嗜好というものがあるのではないかと。
そして、その嗜好はひょっとしたら、SM小説の記述に刺激されたものなのじゃないかと思ったりするのです。つまり、
規制逃れの苦し紛れの文章表現→感化された人が実体化したいという欲望を持つ→SMというジャンルの成立
みたいなことがあったのかもという。
もしそうだとしたら、性的嗜好は社会的に決まるという一つの例証になるんじゃないか。
そうすると、性的な興奮を覚える刺激って、一体どうやって脳に定着するんだろうということが気になってきます。
もちろん、そういう反応系が脳内にできるのでしょうけど、特定の刺激がどんなふうに性的反応と結びついていくのか。性的なフェティシズムって本当にいろいろあることから伺えるように、ひょっとしたら、世の中のほとんどの刺激が、性的な興奮と連合させられたりするんじゃないか、とか。たとえば、お箸を転がしたらすごく興奮しちゃうとか、そよ風がさーっと吹くだけで興奮しちゃうとか、そんな訳の分からない反応も可能なんでしょうか。
だれかそういう官能小説を書いてくれないかなあ。あ、警察が規制してくれなくちゃダメか。
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