記憶とは動的なものらしい
俗に「人は信じたいものを信じる」といいますが、それが外挿された架空のイメージなど様々なものに影響されているということが確かめられたそうです。
広告で生まれる「ニセの記憶」:研究結果 | WIRED VISION
この理論は、人間は記憶を呼び起こすたびに、その記憶を作り直し、ニューロンレベルで細部を微修正するという事実に基づくものだ。われわれは自分の記憶を、常に変わることのない「印象」ととらえ、それを思い出す「行為」とはまた別物として考えようとするが、実際はそうではない。 すなわち、記憶とは、常に変わらない情報が蓄積されているわけではなく、常に変化する「プロセス」であることが明らかになってきているのだ。いわば、思い出すたびに書き換えられるファイルのようなものだ。何かを思いだせば思い出すほど、記憶の正確さは失われて行く
記憶というのは、脳内ニューロンの結合パターンで、そのパターンは固定されていくものだと思っていましたが、どうやら、むしろ動的平衡状態として維持されているということのようですね。
生命現象がそもそも動的平衡状態としてとらえられるべきだという考え方と整合的で、なるほどなあと。
体験時の状況を正確に覚えているという意味での「確かな記憶」というものが、もはや原理的にありえない、となったならば、たとえば犯罪捜査での証言とか自白とかいうものの正当性をどのように評価したらいいのだろうなどと思ってしまいますね。
また、家族や知人のイメージやその人たちと過ごした情景も、実は自分の「思い込み」が混ざっていた…というふうに考えると、ちょっと怖くなってきますね。
あるいは、こうした虚偽の記憶を共有し、確かめ合う過程こそが、実は「家族や仲間になる」ということの真実なのかもしれません。
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