「登板過多は危険だ」という認識抜きの取材?
(cache) 済美・安楽の772球 米国人から見た高校野球(上) :日本経済新聞
(cache) 済美・安楽の772球 米国人から見た高校野球(下) :日本経済新聞
高校野球で投手が過酷に使いつぶされているという批判に、甲子園の決勝戦という頂点を中心にした価値観から異を唱えようとしたコラム。
アメリカでは投手の肩は消耗品だから壊さないように投球制限が必須という認識がある。そのアメリカの考え方からは、日本の、特に高校野球の連投に次ぐ連投というやり方は批判の対象でしかない。しかし、それは一面的な見方で、実は日本には長い間培われてきた独特の野球文化がある。投手の酷使はその文化から生み出されており、そしてその文化は一概に否定できないものだ。
おおむねこういう話なのだけれど、じゃあその文化って?というと、それは要するに甲子園が聖地であるということ。つまり、極端に言うと、甲子園の決勝戦で投げられるなら人生の全てを犠牲にしても構わないと覚悟し、甲子園に出るために全てを犠牲にして戦う意志を固めた人の思いを、「君には将来がある(かもしれない)よ」という軽い言葉であきらめさせるのが正しいことなのか?ということ。将来本当にプロで活躍できるかも分からない、それに、そもそも将来野球を続けるつもりもなく、ここで完全燃焼することを決意している人に、「ボールを投げることすらできなくなるよ」と言っても意味があるのか。
この問題提起は確かにそれなりの意味を持つと思う。現状の野球業界システムを簡単には変えられないという状況で、個々の選手はそれこそ燃え尽きたいと思っていたとしてその思いを否定するのが酷だというのは確かに言えるだろう。
まあそれはそうなのだけど、この話って実はアメリカで批判されるとか別に関係なく、国内でももう20年以上も前から問題になっていることではある。なのに遥か昔に延長戦の回数が制限されたぐらいで高野連はほとんどシステムを変えていないので批判されているという面はある。このコラムはアメリカ人が日本の野球文化に気づくという話なので、そうした話がない。最後に「感情論でなく、冷静な議論へと発展するきっかけとなれば」とあるけれど、これは要するにアメリカで無理解な日本批判が広がるのが嫌だという話で、あまり建設的な動機ではない。大げさに言うと妙な愛国心と島国根性が透けて見える。要するに、高校球児の心身をどう守るか、古くから言われてきた選手の情熱と責任感につけ込んで彼らの才能をすりつぶすようなシステムをどう修正すればいいのかという視点は一切ここからは出てこない。
一番がっかりしたのは文末の
ただ、番組には医師も討論に参加し、「『登板過多は危険だ』というのは意見ではない。事実だ」とも訴えている。データがあるそうで、この点はもう少し詳しく聞いてみたいところだ。という部分。この著者である丹羽政善さんは、連投が危険だというのは事実だとは言えないと思っているのだろうか。甲子園の大会で772球を連投しても危険だとは思わないということなのだろうか。このコラムは、連投が危険だということは十分に踏まえた上で、それでもなお、体を壊してでもやり抜くべきだという何かがあるのだという趣旨だと思っていたので、大いに失望した。
野球だけでなく、特に競技的要素を持つ部活動にはこの種の情熱と犠牲という問題がつきまとう。生徒の熱意と努力、能力の向上を引き出しつつ彼らの心身を守れるシステムを作るということはとても難しい問題だ。アメリカにだって似た問題はあるに違いない。だからこそ、日米の文化の違いを確認して相互理解を深めようみたいな軽い話にせず、アメリカ人記者との議論をもっとしっかり書き込んでもらいたかったと思う。
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