ヘイト批判がヘイトだった件
NEWSポストセブン|排外主義的ヘイトスピーチは「日本への心証を悪くするだけ」
いいことが書いてあるのかと思って読んでみたら、これ自体が排外主義的ヘイトスピーチだったという記事。
いわく、
「言いがかり的な反日が横行」
「低レベルな韓国世論」
「在特会のデモやヘイトスピーチは、まるで日本社会全体が在日韓国・朝鮮人を迫害しているような印象を諸外国に与えています。」
「同じ主張をするのなら排他的なものではなく、日本固有のルールを無視し社会に溶け込まない人に対して理知的に働き掛けるべき。」
「これでは、韓国の反日教育や日本に対する差別的な活動を非難できなくなる。『日本でも同じことをしているではないか』と反論される材料を与えているようなものです」
やれやれ…。「在特会」や「排外主義者」が自分たちの社会から生み出されたものだという意識が全くないんですね、こういう人たちは。
おいおい止めろよ、まるで俺たちがコイツをいじめてるみたいじゃないか。俺たちは、コイツを俺たちの仲間に「溶け込ませて」やろうとしてるだけなんだから、なぁ?
学園マンガか何かで、キャンキャン吠えるしか脳がない手下を暴力的で狡猾なボスがたしなめるような場面が思い浮かびます。
それに、自分の国・社会の問題を反省するときですら、他国の社会を非難せずにはいられないという卑しさ。
しかも、それがその「在特会」などが迫害の標的とする朝鮮・韓国の社会へのヘイトだという浅ましさ。
で、ちょっと検索してみると、「保守」を自認する論調の人たちには、この手の「在特会」批判が多いんですね。
在日外国人は迫害すべき(あるいは「溶け込ませる」べき)だが、もっと穏便にやるべきだ、という。
これって、強姦魔が別の強姦魔に、「あんまり目立つなよ、俺たちが強姦できなくなるだろ」って言ってるのと同じですね。「保守」の本質が差別・排外主義と極めて親和的だということがよくわかります。
・差別をしている人は、自分が差別者だと自覚することが難しい。
・自分がどれほど気をつけていても、そこにただいるだけで差別に荷担していることがある。
この単純な真理を、どれほどまで体にしみ込ませ、自分自身の問題として引き受けられるか。
「私は人種差別と黒人が大嫌いだ」というジョークを思い出すとともに、人権教育の必要性と難しさを痛感します。
それにしても、こうした言説がまかり通り、何となく許されてしまうのが私たちの社会の現実なのです。何と言っても、政府与党、総理大臣がこの種の差別を一点の恥じらいもなく世界に公言してはばからない国なのですから。
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