日米開戦記念日
今日は日米開戦の日。真珠湾攻撃は滅亡への道をひた走る日本の最後の決定的な敗着でした。
ちょうどいいタイミングでいろいろなことがありました。
(1) 12月6日の深夜だそうですが、秘密保護法が成立しました。
安倍政権と自民党は圧倒的な数の力を背景に一方的な議会運営でした。力を持つ余裕があると、ついついついつい緊張も口元もゆるむもので、自民党議員からも好き放題な痛い発言が様々に聞かれました。
維新の会の橋下氏も「選挙で勝った=全権委任された=何をしてもよい→文句があるなら選挙で勝てばいいじゃないの?」とおっしゃっていますし、勝てば官軍というのがこの種の人たちの政治認識であるわけですが、つくづく人の浅ましさを学ばせてくれます。
(2) この秘密保護法の審議の時期、NHKラジオ第2放送では、「上海の誘惑・江南の夢」というテーマで戦前の文学作品が取り上げられていました。
取り上げられたのは、
・芥川龍之介「上海游記・江南游記」(講談社文芸文庫 2001年)
・村松梢風「魔都」(ゆまに書房 2002年)
・内山完造「中国人の生活風景」(東方書店 1979年)
・日比野 士朗「呉淞クリーク」(集英社 2011年)
の4編。
番組ホームページに、今の状況に対する静かな危機感が語られています。
朗読|NHKラジオ第2 文化番組
22年度に制作した海外都市シリーズの続編。今回は大正から昭和初めの上海とその裏庭蘇州を取り上げる。また、シリーズ最終回、「呉淞クリーク」読了後には朗読を担当した金子由之氏が、上海長崎航路開設時に日中友好への期待を込めて語られた知事らの(?)挨拶を紹介しましたが、そこには日清戦争以降高まる一方であった中国人への軽侮と嫌悪を憂い、国際交流の進展がその緩和に役立つであろうという願いがありました。しかし、金子氏が最後に締めくくったように、その後、この願いもむなしく日本はますます大陸への野心を強め、泥沼の日中戦争に突入しました。そしてそれから80年以上にわたって中国人への差別は止まず、現代は再び中国(そして韓国・北朝鮮)への露骨な蔑視・敵視が、政府・財界レベルで公然と語られるようになっています。
極東のニューヨークとうたわれ、尖鋭的な近代と人間の欲望が渦巻く上海。当時ここを訪れた知識人が激しい嫌悪と魅力を感じる一方、長崎-上海航路で訪れた大量の観光客は、現実はともかく「支那の夜」「蘇州夜曲」を夢見たのである。近代国家の矛盾と民族の誤解。何事も変わっていないのではないか、と思わせる20世紀初頭のルポルタージュである。
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面白いことに、今の情勢は1930年代に似てきたね…という話を、全然関係ない二つの領域で目にしました。
ぼくらはいま――いまいましいことに――1930年代に踏破していた地点にまで後退しつつあります.
均衡理論家としてのケインズ――「ほんとうの」ケインズだろうとそうでなかろうと――には,今日まで,大いに学ぶべきことがたくさんあります.セイ法則から自分を解放する苦闘,「大蔵省見解」を反駁しようという苦闘は,わりと最近まで古代史のように思えていたかもしれません.しかし,いまや,1930年代を彷彿とさせる経済情勢に直面しているぼくらは,まさにああいう知的な苦闘をやり直すはめになっています.
これに類するお話ですが、こんなことを指摘している人もいます。
1920-30年代日本の失業問題と失業対策を断固拒否した財界人の意見まとめ | Kousyoublog
財界人の失業対策観の共通点としては『「景気の回復がなければ失業問題は解決しない」ので、「景気回復のためには企業にもうけさせなければならない」、したがって企業利潤を抑制したり、経営の自由度を制約したりする失業対策はマイナスであり、原則として失業対策はとるべきでない』(P118)という趣旨で一貫しており、労働者の地位を高めるような諸政策は全て拒否の姿勢を貫いている。
財界の人々の直感に基づく極論に配慮しすぎて情勢を著しく悪化させてしまった歴史がこの国にはある、ということと、新自由主義とかグローバリズムとかを待たずとも前世紀初頭の段階で現在とさほど変わらない経営者的労働倫理が存在していた、という二点を把握することで、現代の労働問題を少し視点を変えて歴史的に考える一助になるのではないかと思います。ちなみに、所得再分配を軽視し、雇用規制を縮小する政策――安倍政権が志向する方向――が、何を引き起こしたかというと、
結局、財界の反対によって不十分な失業対策しか打てなかった結果、雇用情勢は悪化、失業問題は解決せず、社会不安は増大し、やがて職を得られない不安から若者たちを中心に左翼思想が広がり、日々の生活にすら困窮する人々が地方・都市を問わず溢れる中で、世直しの機運が盛り上がっていき、暴動やテロリズムが横行、それを鎮めるべく警察機構が強化され、戦時体制が確立されていく。ということだったそうです。
面白いのは、財界優遇、高所得者中心の経済政策が、治安強化国家・戦時体制の確立を促すという筋道です。この両者は、いずれも安倍総理らが志向する方向に合致しています。つまり、現在の自民党・安倍政権の政策は、社会的な仕組みから見ると、非常に合理的な方法だと言えます。前回の日本の経験では、それが社会を破綻させていったわけですが。
で、もう一つの「現代≒1930年代」論はこちら。
城内実「ばらさよ合連」 - kojitakenの日記
shigeto2006みなさんが冷静に指摘しているように、城内氏には自分で国連にクレームを付ける根性も能力もないでしょうけれどもね。
城内実「なぜこのような事実誤認の発言をしたのか、調べて回答させるべきだ。場合によっては謝罪や罷免(要求)、分担金の凍結ぐらいやってもいい」平成の松岡洋右か…。1930年代の雰囲気に近づきつつある。
さて、日本の国連脱退は1933年。国連での松岡の啖呵と国連脱退は当時の世論に大受けだったそうです。
松岡洋右 - Wikipedia
帰国した松岡は「言うべきことを言ってのけた」「国民の溜飲を下げさせた」初めての外交官として、国民には「ジュネーブの英雄」として、凱旋将軍のように大歓迎された。言論界でも、清沢洌など一部の識者を除けば、松岡の総会でのパフォーマンスを支持する声が大だった。
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(3) BSプレミアムでアンジェイ・ワイダ監督作品の「カティンの森」が放送されました。
以下、視聴直後の感想を掲げます。
BSプレミアムでアンジェイ・ワイダ監督作品の「カティンの森」を見た。
終わった後も長く全身の震えが止まらなかった。
映画は今の日本の状況と重なる部分が多く、NHKスタッフがこれを放送した意味もそこにあるのだろうかと考えたりもした。
まるですり鉢でごまをすりつぶすかのような様子で市民を無造作に虐げる様子がドイツのポーランド侵攻の頃から繰り返し描かれる。日常の小さな言動が隅々まで見張られ(お互いに見張り合い…自分が生き残るために…)、自分の意志と尊厳を守ろうとする人々がことごとく、そして実に気軽に殺されていく。人々にできるかすかな抵抗は小さな「証拠」を隠し、忘れてしまうことしかない。
君が代斉唱「義務」(!!)に抵抗する教員を「公務員は自らの思想によらず上司の服従義務があるから、この抵抗は処罰されて当然だ」という意見がある。この映画は、こうした立論がきわめて表面的な「正論」に過ぎず、思想と表現の自由を圧殺する効率的な道具…まさに役人的な…でしかないことをよく示している。
二度の安倍政権が推し進めている多くの事柄、それは地方政治にミニ独裁者がどんどん現れ始めた風潮とも重なっているのだが、そこで目指されている社会の風景は、やはりこうした重苦しいものとなるだろう。政治や思想にものを言えない世界、特定の価値観に無条件に従うことを強要され、互いに監視しあい、本心を隠し合い、疑心暗鬼と面従腹背が充満する世界。現代なら中国や北朝鮮、かつてのソ連東欧、そして全体主義時代の日本、ドイツ、イタリアなど…。
今の秘密保護法との関係で言えば、これらの国で行政権力がどれほどの誤りと人権侵害が行われたのか、それがどのような意志とプロセスによってなされたのかは、永遠に知られることはなく、その苦い経験と反省とが将来に生かされることもなく、したがって我々人類は再び同じように膨大な悲劇を経験し、多大なる人命・人生のコストを支払うことになるだろう。そして安倍総理の祖父岸信介がそうしたように、為政者は自らすりつぶした(すりつぶさせた)ごま粒を一顧だにせず、口をぬぐってのうのうと生き続け、自らを英雄と信じつつ幸福な生涯を送ることになるのだろう。安倍総理を始めとする我が国の多くの国家主義者たちは、反共が一つの精神的支柱のはずなのだが、反共主義者が最も憎む共産主義の害悪の根本部分、すなわちその全体主義、統制主義、人権無視、支配者による横暴という部分で、彼らが全く軌を一にしていることは、きわめて興味深いことだ。
もっとも、この映画はまた異なる立場からの解釈も可能だろう。たとえばドイツとソ連という全体主義的抑圧とその犠牲となるポーランド人の悲劇と苦悩の物語だと見ることも可能だし、民族自決を守るために強い国家の確立が必要だということを読み取ることも可能だし、将兵の軍人的美徳と市民の英雄主義の偉大さを謳っているという理想を読み取ることも可能だろう。私にはこうした多重性こそが社会の現実をまさによく表現していると思える。
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というわけで、意義深い日米開戦の日でした。
第一次内閣のときから合わせると、日本を戦前に引き戻す歴史的な「業績」を数多く残してきた安倍氏。
改憲だけはかろうじて米国の掣肘にあって中断していますが、これからも数を頼りに彼の理想の実現に邁進するでしょう。我が国がこの数年でどれほどの財産を失うのか、記録し続けなければなりません。
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