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2014/02/24

「原子力帝国」だけではないニッポン

匿名 陰から 脅し 盗撮 大量メール 「反原発」に続く嫌がらせ-北海道新聞[道内](2014/02/22 11:37)

●がんで闘病中なのにお悔やみのはがきをばらまく
●自家用車を損壊:マイカーにペンキで「原発推進」の大文字。窓ガラスは粉々で、タイヤがぺしゃんこ
●ツイッターに「毎週金曜18時から20時前は官邸前に行ってるんだろう。その間、子供一人だな、イヒヒ」
●反原発団体の女性スタッフが子供と一緒に歩いている写真を盗撮、自宅に郵送。
●「コンビニで後ろにいたの気づかなかった?」という手紙
●トイレで使ったような紙、たばこの吸い殻から昆虫などを郵送(反原発派68人に約4千通)。
●故高木仁三郎氏の講演会に共産党を騙ったニセの花輪などを届ける
●全国の反・脱原発33団体に約253万通、迷惑メールを送付。「反原発教徒を皆殺しにしなければ世界平和はこない」

反原発運動へのこうしたテロ的「嫌がらせ」は、反核・平和運動への「嫌がらせ」を思い出させますし、天皇・日の丸・君が代がらみの「嫌がらせ」や暴力・殺人も思い出します。さらに昔になりますが、三井三池のような大規模な労働争議に右翼活動家や暴力団が登場したことなどもありました。そしてまた、国労の弾圧と国鉄民営化は国家の意思が明確だったわけです。

上記記事によれば、反原発運動への「嫌がらせ」犯人像として「強力で資金力のある大きな組織」を推定しているということです。
数十年にわたる全国的な「嫌がらせ」がある統一的意志に基づく組織的行動なのかは分かりませんが、しかし、反原発運動への憎悪・脅迫の意志が、陰湿な形で息長く続けられているのは確かでしょう。それぞれの行動主体はばらばらかもしれませんが、彼らをこうした「嫌がらせ」に動員する何らかの動機が存在し続けているわけです。
そしてまた、こうした反体制的な運動への「嫌がらせ」が治安権力からほとんど放置されているのもいつものことです。
他方では左翼運動家がビラをポストに入れただけで検挙するんですがね。

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最近、ETVで下北半島の原発問題のドキュメンタリーが2本放映されました。
ETV特集 核燃の村 苦悩と選択の記録2006年1月7日放送
戦後史証言プロジェクト「日本人は何をめざしてきたのか」第7回「下北半島 浜は核燃に揺れた」2014年1月18日(土)午後11時~翌0時30分

こちらを見ると、原発を地元へ受け入れさせるために、国、県を挙げて猛烈な勧誘と運動がなされたことが分かります。甘言を弄し札びらで住民の頬をはたき、権威にものを言わせ、分断と抱き込みで反対派を一人ずつ切り崩し……。そこに東京から都市銀行、不動産業者、土建業者が群がって……。

なんともはや、上記の反原発運動への「嫌がらせ」の執拗さと裏腹ではありませんか。

同じように、ETVで、沖縄での軍用地のドキュメンタリーも放映されたのですが、そこでの切り崩し手法とうり二つです。反対派が徐々に孤立し、敵視され、村八分状態に追いやられていく状況も含めて。
戦後史証言プロジェクト「日本人は何をめざしてきたのか」第1回「沖縄 ~“焦土の島”から“基地の島”へ~」2013年7月6日(土)午後11時~翌0時30分

こうした経緯を思うと、原発推進にせよ、米軍基地移設にせよ、エネルギー政策がどうとか防衛政策がどうとかいうきれいごと以前に、その推進派の中に潜む何らかの欲望を感じずにはいられないわけです。

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匿名 陰から 脅し 盗撮 大量メール 「反原発」に続く嫌がらせ-北海道新聞[道内](2014/02/22 11:37)

 「子供は家に一人だよな」と脅す。がんで闘病中なのにお悔やみのはがきをばらまく。陰険な手口は今も昔も変わらない。名も名乗らない手合いによる反原発運動に対する攻撃だ。犯人が捕まることはまれで野放しに近い。

 「子供たちに放射能の危険を残したくない」。元アイドルで情報会社社長の千葉麗子さんは反原発の思いを自己規制しない。首相官邸前デモで、ツイッターで、訴える。

 経営者としての損得を考えると、沈黙が無難だろう。だが、福島県出身。福島市職員だった父から「あぶない」と聞かされていた東京電力福島第1原発が2011年3月11日、本当に凶器になった。政府、東電の発表は、後でうそと分かることの繰り返し。自分なりにできることをやろう、と決めた。

 13年7月2日朝。登校しようと玄関を出た子供が「母ちゃんっ」と叫んだ。外に出て息をのんだ。マイカーにペンキで「原発推進」の大文字。窓ガラスは粉々で、タイヤがぺしゃんこだった。

 6日、ツイッターに書き込みが来た。「毎週金曜18時から20時前は官邸前に行ってるんだろう。その間、子供一人だな、イヒヒ」

 引っ越した。防犯カメラをつけた。警備を頼んだ。「母親の一番弱いところをついてきた。なんて陰湿」。犯人はまだ、捕まらない。

 ◇68人に合計4千通

 昨年8月と今年1月、東京新宿区立区民ギャラリーで「反原発への嫌がらせの歴史展」が開かれた。弁護士や市民運動家でつくる実行委員会(代表・海渡雄一元日本弁護士会連合会事務総長)が1980年代から今に至る、嫌がらせの実例を展示した。民主主義と表現の自由に対する犯罪だ。

 例えば、原発の危険性を専門的に分析している民間団体、原子力資料情報室(新宿区)の女性スタッフが、子供と一緒に歩いている写真がある。誰かが、こっそり撮り、自宅に郵送してきた。「いつも見張っているぞ」とでも言いたいのか。

 「コンビニで後ろにいたの気づかなかった?」という別の手紙もある。トイレで使ったような紙、たばこの吸い殻から昆虫まで、判明しているだけで反原発派68人に約4千通の郵便物が届いた。

 ◇資金力ある組織か

 反原発運動の支柱的存在だった故高木仁三郎元東京都立大助教授は1992年、地方講演の際、会場に知らない贈り主から花輪がずらり届いた。共産党の名前入りは豪華だった。全てニセ。「アカ」と印象づけたかったらしい。

 実行委員会は、これらの犯人像をこう分析する。

 《1》郵便の消印は全国、海外にまたがる《2》個人の自宅住所、出張先まで調べ上げ、写真を撮ったり器物を破壊したりしている《3》全国の集会参加者や反対運動家のリストをばらまいている《4》反対運動の内部資料や、反対運動家の郵便箱から盗んだとみられる書類もあった―、こんなことができるのは、強力で資金力のある大きな組織に限られる、と。

 昨年は、全国の反・脱原発33団体に約253万通、迷惑メールを送りつける事件も起きた。「反原発教徒を皆殺しにしなければ世界平和はこない」といった内容だ。受けた団体は大量の迷惑メールの中から真正のメールを探さなければならず、大混乱した。

 海渡代表は呼び掛ける。「原発再稼働に向け、反原発運動を分裂させるため、嫌がらせは続くだろう。われわれはひるまない。再犯を防ぐためにも、犯行に加担した人は名乗り出てほしい」

 ◇一転「申し訳ない」と

 檜山管内せたな町の法華寺住職大塚泰淳さん(69)には確信がある。1988年、北電泊原発前で抗議の断食をした。後日、街宣車が寺に現れボリュームを上げた。「大塚、出て来いっ」

 本堂に招き入れ、言い分を聞いた。「売名行為をやめろ。原発は必要だ」。溝は埋まらない。だが、話し合いを約束し、以来、手紙のやりとりが続いた。

 3・11直後、男が書いてきた。「あなたの言うとおりだった。申し訳ない」

 大塚さんは言う。「人には仏性があり、必ず仏になれる。どんなことをされても、その人を軽んじたり、憎んだりしてはならない。逆に、被害を受け苦労しても、いつか必ず花開く時が来る。諦めてはいけない」

 とはいえ脅し、嫌がらせがこれだけのさばる社会とは一体何か。福島県知事時代、いったんは原発を容認したものの、東電のトラブル隠しなどで反原発に転じた佐藤栄佐久さんは断罪する。「これはもう原子力帝国だ。日本の劣化だ」(徃住嘉文)

ETV特集 核燃の村 苦悩と選択の記録2006年1月7日放送
 使用済み核燃料再処理工場など「核燃料サイクル」の立地で大きな変ぼうを遂げた青森県六ケ所村。かつての「過疎と出稼ぎの村」は、いま財政力、住民の平均所得ともに青森県一という豊かな村に生まれ変わった。人口は横ばいだが、就職先が増え、村内には若い人の姿が目立つ。その一方で、開発の是非をめぐって激しい政争を繰り返してきた村の歴史は、いまなお村民の胸に複雑な思いを宿している。貧しいなかでも互いに助け合って暮らしてきた村の人間関係も変わった。
 六ヶ所村は当初「大規模石油コンビナート」として開発されるはずだった。1969年、国の新全国総合開発計画に基づく「むつ小川原開発」である。367戸1811人の立ち退きを含む計画の受け入れをめぐって村は揺れた。村民をまっぷたつに割った激しい村長選挙が行われ、村は開発推進を選択した。しかし、7900ヘクタールに及ぶ土地買収が終ったところで石油ショックに見舞われ、計画は頓挫する。土地を売って高額の補償金を手にしたものの仕事がない。そして、広大な空き地となった開発区域にやってきたのは、全国どこにも引き受け手のなかった「核燃料サイクル」だった。村では再び対立が始まる…。
 国や県、大企業によって巨大開発計画が推進されるとき、その舞台となる過疎の村ではいったい何が起こっていったのか?…NHKに残された過去の映像記録を駆使するとともに、新たな証言によって、人々の思いに迫る。

戦後史証言プロジェクト「日本人は何をめざしてきたのか」第7回「下北半島 浜は核燃に揺れた」(2014年1月18日(土)午後11時~翌0時30分)
これまでの放送|NHK 戦後史証言プロジェクト

かつて青森県下北半島は貧困のどん底に喘いでいた。辛酸を嘗めた戦後開拓。冷害。希望を託したビート栽培も自由化で頓挫した。沿岸漁業も規模が零細で、中学生が夜はイカ漁に出るしかない状態だった。60年代の「むつ製鉄」、70年代の「むつ小川原開発」と工場誘致も相次いで失敗。1960年代半ばの高校進学率は20%で、若者たちの多くは集団就職で村を離れていった。
そうした暮らしが変わり始めたのは、1980年代の核燃料サイクル基地の六ヶ所村への誘致だった。村を二分した激しい対立が繰り返されたが、結果として、原子力マネーは村を変えた。
いま六ヶ所村は全国でも数少ない地方交付税の未交付団体。若者たちは、希望すれば地元で働くことができるようになった。後に続けと、東通村は原発、むつ市は使用済み核燃料の中間貯蔵施設、大間町はフルMOX原発建設へと舵をとった。下北半島はいまや有数の原子力産業集積地になったのである。
全国でも類を見ないほどの大きな変貌を遂げた下北半島、その戦後史を関係者の証言から綴る。

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