インテリでも金持ちでもレイシストになれる
ネット右翼(ネトウヨ)は社会的に恵まれていない人がなりやすいという議論が時々あります。
私もそうかもなあ…と思わなくもないのですが、ネット右翼的心情の根っこにあるレイシズムやゼノフォビアは、おそらく、世間的な成功者でも、優秀な頭脳を持った理知的な人でも、陥りやすい何かなのだと思います。実際、高学歴高収入な政治家が絶望的な認識を吐露する例は多いし、成功した経営者の中にも無邪気に差別発言をする人は少なくありません。JCや日本会議の主張などめまいがしますし。
また、高度な知的訓練を受けている学者であっても、事情は大して変わりません。
Japanese onlyは人種差別か?: アモーレと労働法
外国人労働者: アモーレと労働法
在日コリアン: アモーレと労働法
ご本人もゼノフォビアだと自認しています。
成功者がこうした心情を維持できるのは、一つには我が身が陥ることのない安全圏にあって、他人の苦境を高みの見物で消費できるからでもあるでしょう。これは、差別問題を理解することが難しい一つの理由でもあると思います。即ち、しばしば「同じ痛みを知る人でなければその痛みは理解することができない」と言われるものと似たことですが。
もちろん、苦境と痛みを経験した人が、他者の同様の経験に共感して差別を察知できる人になるのかというと、そう簡単でもないわけです。じゃあ、なんなの?と言うと、何なんでしょうね…と考え込んでしまうわけですが。
不快な感覚の中では保守的心情が高まるとか、差別と醜悪な表現とは連合することが多いとかいう傾向はあるようです。それに、歴史修正主義者の認知枠組みが議論されていたりもします。しかしながら、現在の所は、差別的心情の形成要因について明瞭な見通しはないようです。
私自身としては、差別的心情というものは、本当に簡単に我々が無意識のうちに陥りやすい心的傾向なのだと思います。我々は、その素性を一つずつケースバイケースででも、たとえ手探りにせよ、確かめていきながら、自分自身の認知の歪みを解きほぐしていかなければならないのだろうと思っています。
個人の取り組みとしては、自分自身が差別者であることを自覚すること、まずこれが大きなハードルであるわけですが、その認識を得てからなお、それを乗り越える努力を続けることが必要なのだろうと思います。
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 日本大使館、正しい日本理解「日本は検閲の国」というイメージ広報に成功。(2019.11.06)
- 伊勢市教委、日本の戦争責任批判・犠牲者の鎮魂は許さないという姿勢を明瞭にする。(2019.10.31)
- 歴史修正主義の走狗となりアメリカで破廉恥な圧力を掛ける日本外務省(2019.10.30)
- 反天皇や日本の戦争責任を問う展示は中止、朝鮮人差別の展示は続行。(2019.10.28)
- 朝鮮学校の無償化訴訟、東京と大阪で敗訴が確定。(2019.09.03)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント