ためにする議論
昨日、職場の会議がありまして。
ある部門が徐々に縮小して、その部門が使っている部屋があちこち空いてきたわけです。
昨日の会議で、他部署がその部屋をいくつか会議用に貸してほしいと打診してきたのです。
すると、部門長が
・このフロアは我々の事業用であって、他部署に使われると周囲で仕事中のメンバーに支障が出る。
・その部屋の鍵の管理がいい加減になる。
・会議室にすると、そこに食べ物等を持ち込まれたりするかもしれない。
などと、反対の論陣を張りました。
実際には、現在空き部屋は全く使われていないし使う予定もありません。それに他人の通行等が今の仕事の邪魔になるということもありません。
鍵の管理は建物の管理部門が別にあって、この部門は全く関与していない話です。フロアの掃除も担当していないし、食べ物のことも同様。迷惑というけれど、実は当の部門長も含めてフロア内で飲食しているのは周知の事実。
この反対意見を誰も相手にしないでいると、こんなことまで言い出しました。
・フロアに出入りする人が増えるとエレベータが混雑して、円滑な移動が困難になる。
……時々ちょっとミーティングで出入りするだけなんですが(汗)。
この会議の出席者は40人ぐらいいたと思いますが、司会者も含めて部門長の発言を完全黙殺。何事もなかったかのように使用が認められました。部門長も、自分が話している間にどんどん場の空気が冷たくなっていくのがわかったのでしょう、さすがにこれ以上はゴネませんでした。
しかしアレですね。本音を隠してもっともらしい理屈をこねる場面にはしょっちゅう出会っていますけど、今回ほど情けない失敗例には出会ったことは少ないですね。一度、深夜まで会議室を使いたいからカギを貸してくれと管理部門に頼んだら、
「深夜に構内を歩くと事故の危険があるからダメ」
と断られたんですが、そのときも訳が分かりませんでしたね。
先の部門長にせよ管理部門にせよ、こうした理屈が自分の本音を隠すだけの方便にすぎないということを自覚していないのが厄介ですね。
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遍路道に「気持ち悪いシール」がはられていたという差別問題 - 法華狼の日記
四国のお遍路さんの通り道に韓国語で道案内シールを貼っていたら、朝鮮・韓国人差別の張り紙が貼られたという報道。
この法華狼氏のエントリは、事実検証とこうした人種・民族差別への批判を行ったものですが、このエントリに集まった反論コメントが、まさに「ためにする議論」。
張り紙の不法性とかルール破りとかエチケットとか、まあいろいろ問題点を挙げてこの韓国語シールの不当性を主張しているのですけど、かなり無残です。
妥当性・普遍性を持つ論点・主張であっても、それをどういう場面・文脈に適用しようとしているのかが、差別や排除、人権侵害の問題では決定的に大事ですね。しかも、往々にして、その主張が結果的に差別を生むことに、我々はしばしば気がつきません。
大切なことは、論点・主張が妥当性・普遍性を持つかをチェックすることと同時に、その主張の実現が差別につながらないような議論へ導くことだと思います。
例えば、「シールを不快に感じる人がいるので貼らないでほしい」という意見なのであれば、それはシール禁止という結論の論拠とするのではなくて、シールを不快に感じにくいようにする方法を探すきっかけとしたほうがいいということです。その方法探しの中で外堀を埋めていき、隠している本音に向き合っていくのがいいのですが、なかなか一筋縄ではいきません……。
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