前進するための批評とそうでない批評
下記のリンク先に、
「こんなニュースを見ても誰一人改善しようと行動しない、ネットに愚痴や批判を書くだけで終わりなのが一番怖い」
という一節が出てきます。
それは確かにその通りなのだけれど、ただ、「愚痴や批判を書くだけ」というだけでも全く無意味ではないのではないか、と思っています。
なにがしかでも自分のものとして引き受けたい、自分が抱える問題に引きつけたい。
誰にも届かないかもしれないけれど、小さくても荒削りでも声を上げておきたい。それが何かにつながるかもしれない。
こういう気持ちの持ち方もあるのではないかと思ったりもしているのです。
各々の持ち場で、各々の状況や力量に合わせて動くこと。
撤退や敗北や後退を重ねようとも、息長く、根っこの思いは決して手放さず、したたかに生き延びて、コツコツと誠実に状況に向き合うこと。
「運動」に何も関われていない人間の言い訳みたいなものですけれど。
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法曹の心はどこに向いている?: 壇弁護士の事務室
袴田事件とえん罪に関わった――敢えて加害者という――人たちの態度から考えること。
取り調べの全面録画・録音と検察保有証拠の全面開示という課題。
考えさせられる素材へのリンク。
袴田事件や狭山事件などへの支援運動はずっと昔から知っていたけれど、私は何となく近寄りがたくて敬遠していました。だから、今更のように取り上げることに内心忸怩たるものがあります。
アニメ制作会社の過労死のニュースでのコメントで。
過労死やブラック企業、非正規雇用の過酷な実態などが話題になることは多いのに、労働問題が高揚しないばかりか、労働運動への反感が一向に解消されないのはなぜか、という問いかけ、というか嘆き。
http://anond.hatelabo.jp/20140418225812
上へのトラックバック。
集団主義的な風潮、同調圧力の強さが個人の尊重を内面化することを阻んでいるのではないかという意見。
自閉症の子供がレストランに来たらどうするか?アメリカの警察恐るべし - 自閉症児 渡の宝箱
自閉症の我が子がお店の中で(自分一人で)かくれんぼを始めてしまい、警察まで来る騒動になったけれど、その警察の対応が日本での経験とは全く違い、大いに感動した、という話。
「普通・正常」な人たちがもてあましてしまうような人たちやその家族などを、我々「普通・正常」な人たち・社会に、どう接していけばいいか。また、望ましい気構え・行動が自然に生まれるような社会のあり方とは一体何だろうか、というような話に通じていて、なかなかに刺激的。
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「アメリカだって悪いところは多い」「日本だっていいところはある」=「ニッポンをバカにするな」的なコメントや、裏読みして何とか問題を見つけようとするコメントが多くて、なかなかに香ばしい。
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