無自覚な差別主義者の深刻さ
差別主義者に「お前は〜か?」と聞かれた時、返答してはいけない理由。 - Togetterまとめ
あまりにひどいので途中で気持ち悪くなってしまった。
ここで絡んでいる@blue_wind2011というアカウントの人。典型的ですね。
オレには黒人の友達がいる。リスペクトしている黒人も多い。だから差別主義者じゃない。
「黒人」を「在日」に変えたら@blue_wind2011さんのできあがり。
この感覚の気持ち悪さを考えるきっかけを私に与えてくれたのは、同和教育だったのかなあと今になって思うことがあります。
同和教育にはかなり多様なものがあったようで、かなり嫌な思いをした人もいたようですが、私の場合は心の奥に自問を促すトゲのようなものを残し、折に触れて「差別とは何か」「自分は差別者か」「差別から離脱することはできるか」を考える基礎になったような気がします。
上記の Tgetter まとめへのコメントでも、@blue_wind2011さんが差別主義者だということがわからないで、差別にまみれたコメントをしている人が大勢います。
今回の場合、ごく簡単に言えば、「お前は○○か」と問われても答えないでいい最も基本的な理由は、答える必要も義務もないことです。質問の内容や社会のありようによって左右されることではない個人の本源的自由です。社会のありようによって、また身を守るための正解があるという発想は正しくないし、よくて二次的なことです。
マイクロアグレッションという件でも思いましたが、無自覚さへの警戒心を覚えることは、とても重要なことで、それこそ学校で触れる機会があってもいいことだと思います。
ただ、自分が差別者である可能性をどうしても許容できない人というのはたくさん見てきましたから、これが自我の根本的な再構築を要する難しい場合も少なくないでしょう。悲しいことですが、外国人、異性、出身地、学歴、所得、職業、宗教など、何らかの属性でレッテルを貼って、そこにある人をさげすむことが、自我の尊厳の維持と同一化している人はたくさんいるのです。
そうした人たちに、彼らの差別的言動に対してその場で突っ込んだことが幾度かあります。やりとりの中で自分の差別をどうしても否定できなくなると、皆私に怒りと嫌悪を向けてきて、多くの場合その後疎遠になりましたし、感情的にもしこりが残りました。そしてその後、その人たちはやっぱり差別主義者のままでした。
誰かへの悪感情や蔑視の原因が自分の心の歪みにあるということを直視できない人たちがいるのだと、こうした経験の中で知りました。
私も決して自分のとらわれから解放されているわけではないのですが、せめて自我の深淵を覗く勇気だけは持ち続けていたいと思っています。
上記のコメントにあった参考リンク。まだ見てないけど。
▶ エリオット先生の差別体験授業 ~青い目・茶色い目~ (アメリカ2001) - Dailymotion動画
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