会社は学校じゃないという話。
「会社は学校じゃない!」という類のことってしばしば見聞きするけれど、
「学校は会社じゃないから」という言葉はあまり聞いたことがない。
むしろ、学校を会社のように運営しようという意見をしばしば見聞きする。
たぶん、「会社は学校じゃない」ということをつい言いたくなる人たちにとっては、
会社=優れた場所。社会の本場。本来組織があるべき姿を体現している。戦場。強くたくましい一人前の大人たちが、厳しく本気で激しくぶつかり合って「結果」を出していくところ。
学校=劣った場所。練習場。子どもがままごと遊びをするところ。生ぬるく、優しく、何をしても許してもらえて、いい加減で怠惰な運営しかできない低脳で意識の低い大人が生徒や学生とだらだら過ごしている場所。
みたいなイメージを持っているのじゃないかな。
だから、学校を会社みたいにすれば、教育も人材育成も理想的になる、みたいな気持ちになってしまう。
その予感が正しいかどうかを確かめなくちゃ、とはならなくて、その気持ちを出発点にものを見てしまう。
高校や大学の高学年になると、
先生たちが「会社は学校じゃないから甘えは許されない」と繰り返し教え込むし、
「社会人」である「大人」の人を時々呼んだりして、「社会の厳しさ」や「会社で働くことの厳しさ」を語ってもらったりする。
就活セミナーやインターンシップ、企業説明会でも、皆が異口同音に「会社は学校じゃない」と唱え続ける。
学校の先生も、「大人の人たち」も、皆がそういうのだから、たぶんそれは本当なのだ。
高校生や大学生は、こうして、組織に自分を合わせて異議申立をせず、「社会」や「常識」が与えてくれる基準に従って「私」を滅することが正しいという考え方を体に染みつかせて「社会人」を目指していく。
そして、「正しいこと」を実践している人ほど「正しくない人」が許せなくなる。
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