そもそも美談でもないのだけれど。
「映像' 14 なぜ私は語り続けるのか」を見て気になったこと - Apes! Not Monkeys! はてな別館
沖縄守備兵であった近藤一さんの発言
「沖縄の住民から食料を強奪したり、住民を壕から追い出したりしたことはない」
このエントリのコメント欄で、阪神氏が述べているコメント
全ての兵士が沖縄県民の食糧を強奪したり壕から追い出したりしたわけではありません。
所属部隊の場所、日時、配属先により様々です。
…中略…
そうそう、住民証言でも牛島長官に感謝している方もいます。
それは牛島長官のおかげで疎開船の切符が手に出来た為、親子3人死なずにすんだという話です。
慰霊の日には毎年、黎明の塔に参拝しているそうです。
確かにこういう、「高潔な皇軍」を一見象徴するかのようなエピソードが大好きな人たちっていますね。
こういう「美談」を知って喜んだり、強調したりする人たちには、
「悪いとされてきた日本軍・日本人たちにも尊敬すべき・美しいものがあった」
「これまで侵略・虐殺の犯罪者として貶められてきた私たちの祖先の美点を掘り起こし、自信と誇りを取り戻そう」
という思いがあるのだと思います。
日本の戦争責任を問う声に対する反感の一つに、
「なぜ日本の良い行いや美談を無視するのか」
「悪い面だけを取り上げ強調するのは片手落ちではないか。不公正ではないか」
「現実には悪いこともあれば良いこともあった。それらが複雑に入り交じっているのが実際であり、悪い面だけを取り上げるのは一面的な見方であり、偏見の反映だ」
というものがあります。
「何かを評価するには、良い面と悪い面、長所と短所を総合的に見るべきである。」
これはもっともな考え方ですが、しかしこれがいつでも説得的であるとは限りません。
まず、日本の戦争責任を追及する人たちは、別に、日本(国家?国民?英霊?何を指しているのか漠然としていますが)に恥をかかせようとか貶めようとか、その存在そのものを憎もうとか、そういうつもりじゃないのです。
ただ、率直に過去の過ちを知り、そこから教訓と反省とを導き出したいわけです。
その立場からは、悪いことを悪いと言って(批判して)何が悪いのか、という見方が出てきます。過ちを繰り返さないためには、その過ちが起きた過程を良く知り、何が間違っていたのかを考えなければなりませんから。
その考えを深めるにあたっては、「美談」よりも過ちの方を重視することになります。改善したいわけですから。
工場や店で起きている問題を改善するようなものです。だから、別に、日本の良いところを無視したり認めなかったりというわけではありません。ただ単にそこが議論の焦点ではないだけのことです。
つまり、別に、「日本は善か悪か」を総合評価しようという話ではなく、「日本の悪いところをどう改善するか」を議論しているので、そもそも話の筋が違うわけですから、「なぜ美点を無視するのだ」という批判はずれているわけです。
むしろ、そんなふうな批判に対しては、例えばこんな風な違和感を受けるわけです。
会社でも部活でも何でもいいけど、
「うちの○○はここが問題だ、ここを改善しなくちゃ」と話し合っていると、脇の人が
「お前たち、うちの○○が嫌いなんだな、バカにしてるんだな」
と突然怒り出した…みたいな。
なんか指摘されたら即人格否定と受け取っちゃう人? とか、
そこまで不快に感じちゃうってことは、何かよほど「ニッポン大好き」な愛国趣味に染まっちゃってるんじゃ…?
とか、思ってしまう。
日本の戦争犯罪や日本軍の残虐行為を論じて日本軍の美談を論じない姿勢に、不公平さを感じる人は、
中国のチベット・ウイグル問題を論じて中国軍の美談を論じない姿勢には、まあたいてい不公平さは感じないわけです。
やっぱり、善悪総合評価すべき、という論点は表面的なことで、本質はやっぱりニッポンラブなんじゃないか、と思ってしまうわけです。つまり、「自称中立」というやつですね。
いや、別にニッポンラブでもいいんですけど、ニッポンラブの場合、多かれ少なかれ他国への嫌悪感や憎しみが裏側にくっついているんですよね。典型的には中国や韓国への。
「日本が好き」「日本に生まれてきて良かった」「日本人で良かった」という感情は、その裏返しとして、
「日本以外の国は嫌い」「日本以外の国には生まれたくない」「他国の人間にはなりたくない・住みたくない」
という排外感情がくっついているということを、もっと深刻に考えるべきだと思うんですよね。
まあ「日本人は残虐なことをした」と言われて不愉快に思う心情には、単に「良い点を取り上げないこと」への不公平感にとどまらない根深い問題が隠れていますけど、さしあたってはこんなところで。
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