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2014/11/03

「ぼくは左翼だから、何か実践に結び付けたいんだよね」の深み

タイトルは、重い言葉だなあ…という思いから。

鈴木大介『最貧困女子』 - 紙屋研究所

論評する余裕がないので抜き書きだけ。

 たとえば、月10万円で生活する「プア充」女子の生活。
 彼女は、地元の友だちのネットワークをたくみにいかし、「シェア」をする。そして、自身の周囲にとりまいている「デフレ包囲網」、安くて節約しまくれる商品やサービスを知っているし、友だちの情報網の中からやはり探し出してくる。そういう自分のまわりのつながりや資源をフル活用できる地元=地方都市で充実ともいうべき生活を送っている。こうしたつながりのない都会に出ていくことのほうが「負け」なのである。
これって産業集積論や中小企業論でいう関係資産とか存立基盤の話にそっくりだ。
 「性技テクも磨かない、生活も工夫しない、自堕落な女」として性産業の別階層からもいっそう激しい「自己責任」論をつきつけられ、不可視化されていく。
 しかし、貧困に陥る人たち、あるいは低所得層の周辺をじっくりと見て腑わけをしなければ、分析的に見ることはできず、たちまち「自己責任」論にやられてしまうことになる。
乱暴な表現だけど「世の中が悪い」論と「自己責任」論とを互いに対極に置くと、多くの人は、この二つの間のどこかに自分の立ち位置をおくのではないか。それは、この両極の間にグレーゾーン、価値判断に困る曖昧な領域があるということでもあるし、「はい、ここからは自己責任ね」と他人の状況を評価する境界線を頭のどこかに持っているということでもある。この境界線を自分が持っている…持ってしまっていることの難しさというか面倒くささというかを考えてしまう。自己責任論を乗り越えられていないなあと自分で思う。実践のなさも一因だろう。
 いずれにせよ、地元の不良グループや性産業が用意するような私的なセーフティネットに負けない、貧困の淵にいる子どもたちの居場所をつくることが必要だということ。そういう居心地のいい場所をつくって、自然に介入できるような空間にするということだ。
左翼陣営をみていて、たとえば共産党や民青がそういう居場所や情報提供をセットにしたコミュニティになっている場合があるのだが、それをもっとしっかり、自覚的にしたようなものだ。具体的には恒常的な場所が必要になるだろう。心理的・社会的な意味だけでなく、実際にふらっと寄れて、寝泊まりも、簡単な食事もできるような場所。そういうものを左翼の有志で立ち上げて、そこに相談役が顔を見せるようなスペースである。
何となく寄せ場の支援のことを連想した。
「居心地のいい場所」が搾取者の罠だったり犯罪組織への入り口だったりというのは多分古くからある話で、非行少年の救援や更生の実践では意識されても来た視点なのだと思うが、同じような課題は学校の中でも言える。「自然に介入する」という視点からすると、単に場を用意するということでは足りないわけで、それは実際にその通りなのだけれど、なかなかそこまでカバーしきれないのが実情というところ。
場所を確保するための努力がいるし、いつもその場所にいる要員も必要だし、うるさく容喙しないといっても放っておけば無法地帯になりかねないので、しっかりとした管理が必要だし。
学校の中でも、この辺が一つのハードル。学校内で了解を取るのがまず大変だし、管理と放任とのバランスは来る子供達の特徴に応じても変わるし、どういう場作りをするかによっても変わる。また、そうしたバランス感覚は他の教職員と共有・継承しづらくてどうしても個人の味・価値観が出るし、内部での批判や反発も内包してしまう。担当者が変わるとあっという間に場が死んだということもよくある。ある子たちを受け入れることで他の子たちが来づらくなるという面もある。その場所が子供達からどういうレッテルを貼られるかという点も意識しておかないといけないし。

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