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2015/01/25

池内恵氏の論評への批判を2つ読んだ粗い感想のメモ。

村野瀬玲奈の秘書課広報室 中東情勢、イスラム国日本人人質事件をめぐる、イスラム専門家であるという池内恵氏への批判三つ (メモ)

というわけで、三つとも読んだ。泥氏の批判は既読だったので、ここでは感想は書かない。あと二つについて感想をメモ。

(1)臼杵陽「日米における中東イスラーム研究の「危機」」『地域研究』7巻1号、2005年

読んだ。結構しんどかった。しかし、「地域研究」というところで一定の重なりがある分、問題意識を共有する部分もあった。それは「地域」の切り取り方、アプローチの仕方について、自らの問題意識と認知バイアス、そして対象への関与から逃れられないというところである。この点、地域経済学者や経済地理学者など経済学を知的背景と自認する人間は、いささかルーズな、別の観点からすれば、傲慢かつ小狡い態度を取りがちなように思える。
もう一つ、「(ネオ)オリエンタリズム」型のキャンパス・ウォッチを取り上げた箇所で、国の政策形成への支援と関与を志向するタイプの研究活動への批判が展開されているが、そこもまた問題意識を共有する部分で、「役に立つ」研究の政治的偏向への無頓着さと無邪気な中立信仰には常々危うさを感じていたところだった。政策当事者たちとの協力関係が深まって行くにつれ、お互いが持つ言語化がまだ十分できないような曖昧で漠然とした空気的な状況認識について共有が進んでいく。そしてある種の利益共同体が生まれていき、研究者は次第に政策当事者たちの欲望をきれいな言葉に置き換えて代弁し、それに正統性を与える役割を担うようになる。そしてアイデアがもっともらしく仕立てられると、それを土台にした「事実」と「問題」の認識とがさらに強化されていく。こういうサイクルは、ごく矮小なところでしかないが、自分も何度も経験したし、似た現象は例えば中小企業政策や地域産業向けの支援策などの変遷を見ればいくらでも見つけることができる。

本論文が「むすびに代えて」で述べている池内氏を例に取った「ネオ・オリエンタリズム的潮流」への批判について、私は池内氏の論説を直接論評する能力を持たないので、臼杵氏の池内批判をここでどうこう言うことはできない。ただ、臼杵氏が引くパイプスの言、
「私はイスラームという宗教に対して、賞賛するのでもなければ、攻撃するのでもなく、ただ探求という精神の下で、中立的なかたちでアプローチする。私は自分を…(中略)…この問題の学徒にすぎないと思っている」
という箇所に現れる「中立性」への無邪気な信仰と、臼杵氏が指摘するパイプスの愛国主義的偏向、そしてパイプスらと池内氏との類似性の指摘とを、興味深く感じている。なぜなら、私が池内氏のブログ?に目を通したときに、臼杵氏の指摘と同じような印象を持ったからである。

(2)マイケル・ジャクソンの思想 【東大話法の見本】池内恵東京大学准教授「「イスラーム国」による日本人人質殺害予告について:メディアの皆様へ」という記事について

読みながらニヤニヤしてしまったのだが、感想は措いておいて、なるほどと思ったところを抜粋しておく。

ISISをたたきつぶせば、何が起きるかというと、更なる無秩序が起きる。というより、ISISは、まさに無秩序そのものを栄養にして成長する怪物のようなものだ。無秩序を拡大すれば、ますます成長するのかもしれない。そういう極めて厄介な相手であると考えるべきだ、と私は思う。

今、必要とされていることは、秩序の再生だ。それは、外部からの強権によって実現できるものではない。その地域の人々の間に、暴力を超える力が生成されなければ、決してできないことなのだ。一体、どうやったらそんなことができるのか、私にもまったくわからないが、そのような極めて難しい問題に直面しているのだ、と私は考える。少なくとも、暴力を行使し続ける限り、無秩序は拡大していく。


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