日本におけるカニバリズム(人肉食という概念とはちょっと違うかも?)の話で。
大変だ、秦郁彦先生に「社会的制裁」が加えられてしまうかも! - Apes! Not Monkeys! はてな別館
まあ秦先生がすっかりアレな人になってしまった…という話は、こちらのエントリでも少し書いたのですけど、それはともかくとして、上記のコメント欄に紹介されている論文が面白い。
近藤雅樹(2012)「現代日本の食屍習俗について」国立民族学博物館研究報告36(3): 395– 407
戦時に限らず、現代日本の平時においても、人間の体を口にする習俗はあちこちにあった…という話が紹介されています。
遺骨を粉にして服用するという話で、私がすぐに思い出すのは、「はだしのゲン」に出てくる、薬として人骨を粉にして飲むシーンです。漢方では骨は薬の材料として用いられるので、そういう発想から人骨を薬剤と見る感覚が発生しても不思議ではないなあ、と初めて読んだときには漠然と思ったものでした。もちろん、薄気味悪さも一緒に感じたのですけれど。
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追記(2015年1月24日)
原爆被災後に人骨を薬とした例は、検索するといくつか出てきます。後述。
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ただ、こうしたことはやはり被爆直後の広島という異常な状況だから起きたのだろう…ぐらいに思っていたのですけれど、今回の論文を見て、実は、人体を口にする、食べるという行為には、もっと根強い習俗というか伝統というか、そういう下地があったのかもしれないという、ちょっと目から鱗が落ちるような思いをしました。すごく刺激的で、自分が漠然とイメージしていた日本人の死生観みたいなものについて、改めてそんな平板じゃないんだという面白さを感じています。
ずっと以前に、「土葬への嫌悪感について」という記事で与論島の洗骨儀式についてテレビで見た感想を書いたのもそうなのですが、人間の死体や人骨それ自体に気味悪さを感じてしまう自分としては、こうした洗骨や遺骨などを食べるという行為自体がショッキングで、奇習のように思えてしまう…それゆえに興味を惹かれてしまうわけです。しかしこうした「奇習」が、実は非常に自分に身近なものであったということには、改めて自他の異質性への懐疑や、自分のルーツへの関心を呼び起こすという意味で、アイデンティティを揺り動かされるような面白さを感じます。
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追記(2015年1月24日)
今更ながら知りましたが、他に「ヒトに由来する生薬 - Wikipedia」には、日本における薬用とする人体の使用例としていくつか文献が紹介されています。古い事例ばかりのようですが、人体を材料として利用する発想や感覚は決して珍しいものではなかったらしいことが分かります。ですから、現代的な死生観と禁忌が浸透しているごく最近であっても、同様の習俗があってもおかしくはないだろうと思います。
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私があちこちの集落で断片的に聞いただけでも、埋葬方法とお墓の作り方・維持の仕方は、この数世代のうちにもずいぶん変わったんだなあと思わされます。例えば土葬が火葬になったり、家の裏や田畑の脇の墓が集落の共同墓地になったり、移転したり、納骨堂になったりということは、よく聞きました。これらの変化には、それぞれ現実的な事情があって、ある意味では割とドライに変更されたりします。そんなことを想像すると、今現在、私たちが「これが伝統だ、正しい方法だ」と何となく信じていることは、実はここ数十年ほどに次第に形ができてきたスタイルにすぎないのかもしれないと改めて思います。また、「気持ち悪い、醜い、倫理的でない」として受け入れられないような行為、習俗が、実は、自分たちの身近な土地で、ほんの数世代前まではごく当たり前のように行われていたということもたくさんあるのかもしれないと思います。
この話の延長線上で、ちょっと興味深いなあと思うのは、「人肉食=実は日本の風俗」というイメージには(右翼的な人たちから)拒否反応が出ているのに、「性風俗の乱れは日本の伝統的習俗」というイメージにはあまり拒否反応が出ないように見えることです。
上のApeman氏の記事のモチーフの一つは、『アンブロークン』という映画への産経新聞的な拒絶反応にあるわけですが、下記の記事で町山氏が示しているところによれば、父島人肉事件は映画には出てこず、原作にごくわずか現れるにすぎないそうなのです。
町山智浩 アンジェリーナ・ジョリー監督作『アンブロークン』を語る
なのに、ここまで吹き上がる拒絶反応を見ると、この種の人たちには、人肉食への強い忌避感があるのだということが分かります。
ところが他方で、従軍慰安婦問題等で「性奴隷」表記には強いアレルギーを示し、慰安婦と兵士との性行為は正当な商取引であって、複数の男女が入れ替わり立ち替わりセックスする状況が恒常的にあっても、それは乱交や変態行為として指弾されることですらないというわけです。
また、昔の性風俗が「夜這い」のように「おおらかであった」というイメージについては、今回の「アンブロークン」のように強い拒絶反応が出たという話は寡聞にして知りません。今で言えば婦女暴行や強姦未遂、建造物侵入に当たるような行為だし、「日本人は性的に乱脈な民族だ」という偏見?にもつながるように思うのですけれど、愛国的な人たちがこうしたイメージの流布に怒っているということは聞いたことがないですね。
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●被曝後に人骨を薬として利用したという証言の例
以下は、いずれも火傷の外用薬としての利用となっています。それにしても語られる悲惨さと苦悩の何と重いことか。
1.久保田訓章「原民喜「五年後」に感じて」 広島に文学館を!市民の会 ホームページ, 広島文学館(広島大学)サイト内
当時、「人骨を粉にしてふりかけると火傷によく効く」との風評があった。宮下の練兵場では毎晩、大穴を掘って多くの遺体を荼毘に付す炎が暗闇のなかで揺れていた。姉妹と一緒に夜、人目を避けて熱々の小骨を持ち帰り、すり鉢で粉にして火傷の顔にふりかけた。粉は膿を吸収してカサブタとなり、効いているように思えた。みんな、必死の思いであった。
2.聴取録「7.弟が帰ってこない(後編)」被爆二世の会第30回学習会, 2002年7月12日更新分, 被爆体験, 被爆二世の会
こちらでは、広島で被曝したTさんという方(当時広島市旧霞町在住)の話として以下のように記録されています。
そうするうちに、「人の骨を金槌で砕いて粉にしてベチャベチャに脂ぎってる皮膚につけると乾燥する。従って人骨を粉にして焼けたあとに塗れ」と誰とはなしに言ったので私はそこに行っては他の人と一緒に骨を砕いて家に持って帰った。家に持って帰って弟にずーっと塗ってやった。
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