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2015/01/28

ピースおおさかの展示問題の新聞記事。時間がないのでとりあえずクリップだけ。

ピースおおさか、消える「侵略」表現 4月再開の展示案:朝日新聞デジタル(2015年1月28日05時31分)
以前は、わりと意欲的だと評価されていて、大阪の市民活動の蓄積を想像させられるような、何かそんな話をときどき聞いたものでしたが、橋下氏がずいぶん目の敵のようにして(文楽などもその一つでした)、展示に厳しく圧力をかけたわけですよね。その結果に関するニュースのようです。

 全面改修のために休館中の大阪市中央区の平和博物館「大阪国際平和センター」(ピースおおさか)が、4月の再オープン後の新たな展示の最終案をまとめた。日本軍による捕虜虐待などの展示を取りやめるほか、日中戦争などの説明では改修前に使っていた「侵略」という言葉がなくなっている。

 案では「大阪空襲と人々の生活」「15年戦争(満州事変~日中戦争~太平洋戦争)」「平和の希求」の三つの展示室を六つのゾーンに再構成。大阪大空襲の被災や戦時下の大阪の暮らしの展示を拡充する。

 特に一部の大阪府議・市議から「自虐的」と批判があった「15年戦争」は、ゾーンの一つ「世界中が戦争をしていた時代」に衣替え。「中国大陸への侵略」「東南アジア諸国の受難」などの表題の説明パネルや日本軍の加害行為に関する写真、資料数十点の展示は取りやめる。

 代わりに日清・日露戦争から敗戦に至るまでの経緯を動画で紹介。ナレーションでは、1937年に始まった日中戦争での中国側の被害について「侵略」との言葉を使わず、「日本軍による南京事件、重慶爆撃では多数の住民が犠牲となった」と説明する。一方、開戦直後、北京近郊で日本人居留民らが犠牲になった「通州事件」など中国側による日本人民間人の被害について新たに触れる。

 朝鮮の植民地化についても改修前の展示はすべて取りやめ、動画のナレーションで「朝鮮では日本統治に対する抵抗運動が拡大する中、植民地化を進めた」「(戦争中)動員され、厳しい労働条件下で働かされた」とのみ紹介。「戦地・占領地で性的苦役を強いた」と説明していた慰安婦については、触れない。

 一方、大阪大空襲の展示について当初計画では、子どもたちが中に入って振動などを体験する大型防空壕(ごう)(複製)の設置を予定していたが、「防空壕(ごう)が命を救ったという誤解を与える」との空襲体験者からの批判を受けて改める。

 最終案は今後、専門家による監修委員会が表現の細部を検討し、正式決定する。岡田重信館長は「最終案についてはコメントできない。現段階では、展示内容は確定しておらず、今後も監修委員会に精査を続けてもらう」と話している。

 〈ピースおおさか〉 戦争の悲惨さを次世代に伝え、平和の尊さを訴えることを目的に大阪府・市が1991年に開設。設置理念で「中国をはじめアジア・太平洋地域の人々、また植民地下の朝鮮・台湾の人々にも多大の危害を与えたことを、私たちは忘れません」と掲げ、戦争の被害と加害の両面を展示する全国でも珍しい公的施設として知られたが、全面改修のために昨年9月から休館中。一部の府議や市議が「自虐的」などと批判していた加害行為の展示を大幅縮小し、戦時下の大阪の暮らしや大阪大空襲の被災などを展示の柱として4月に再オープンする。

日本の戦争責任問題に触れることは、日本の社会が培ってきた大切な成果であり一つの到達点でもあったわけです。それを損なうことは、私たち日本の社会に生きる人間にとって、大きな損失だと思うのです。
敗戦をどう捉えるかというのは戦後の日本社会の大きな悩みであって、長い長い議論や葛藤や、歴史の発掘や、の蓄積があり、徐々に徐々に「加害者としての我々、私自身」に向き合えるようになって来たという経緯があるわけです。それは、まだ不十分ですけれども市民の意識の成熟を示すものでもありますし、「人権」や「共生」という抽象的な価値を現実にする場面で現れる様々なややこしいことを前向きに受け止めようとする度量の深さにもつながっているものだと思うわけです。
だから、戦争の加害展示を減らす・なくすことは、それ自体が誤りであるということ以上に、もったいないと思います。我々が何十年もかけて築いてきた宝物を投げ捨てられるような、そんな悲しさを感じます。

防空壕、実は役に立たず? 大阪大空襲、展示巡り議論:朝日新聞デジタル(2014年3月13日17時27分)

 戦時下の日本には、数多くの防空壕(ごう)があった。空襲への身近な備えだった一方で、頑丈とはいえない造りのものも少なくなかった。一晩で少なくとも4千人が犠牲になった大阪大空襲から13日で69年。市民が「命綱」とした防空壕の実態をどのように伝えていけばいいのか、という議論が続いている。

 平和博物館「大阪国際平和センター」(愛称・ピースおおさか、大阪市)の中に、防空壕の原寸模型がある。戦時中、国の指導で民家の玄関の土間や床下を掘って造られたとされるものを再現し、1991年の開館時から展示されている。

 ピースおおさかの入館者の7割は小中学生。空襲の記憶を伝える模型を真剣に見つめる児童や生徒は少なくない。さらに手前に置かれた説明文を読むと、表情は深刻さを増す。《この壕の中に避難することはかえって危険で、多くの人がその中で煙にまかれたり、むし焼きになって死んだ》

 防空壕の実態を表しているが、戦後70年の来年に向けたリニューアルで様変わりする可能性が出ている。

 ピースおおさかに共同出資する大阪府と大阪市の議会などに示された計画によると、子どもが中に入れる立体的な防空壕の模型をつくり、音響や照明装置で空襲の音や振動を再現する。「触れる、体感できる」展示に変える方針で、1千万円の費用をかけるという。構想したのは橋爪紳也・大阪府立大21世紀科学研究機構特別教授(建築史)ら4人の専門家委員だ。

 この計画に異論を唱えたのが空襲被災者らだった。1月に大阪市内であった研究会で、大阪大空襲の体験を語る会の久保三也子代表(84)は「当時の防空壕の大半は貧弱で役立たなかった。『防空壕に入って耐えれば助かる』と子どもに誤解を与える」と語った。

 大阪戦災傷害者・遺族の会で会長を務める伊賀孝子さん(82)も複雑な思いをめぐらす。

 大阪市浪速区で暮らしていた45年3月13日深夜、大空襲に見舞われた。自宅の床下を掘り下げた防空壕に隠れたが、大量の焼夷(しょうい)弾が投下された。火に包まれようとした自宅を出た直後、母は焼夷弾が胸に当たって死亡、弟は炎に包まれて3日後に亡くなった。伊賀さんも大やけどをした。

 国の言う通りに家屋内に造った防空壕に入り、自分たちのように逃げ遅れた人がたくさんいたかもしれない――。そう思う伊賀さんは「爆弾の音や振動ではなく、被災者の体験に即した展示を通じて若い世代に伝えていくことが必要ではないでしょうか」と話す。

■大半は貧弱、多数が犠牲に

 防空壕は日中戦争のさなかの39年、建築雑誌に登場した。爆弾や焼夷弾に耐えられる頑丈なイメージで、鉄やセメントで造ることが想定されていた。

 ところが、資材が不足することを見越した内務省は42年に「防空壕構築指導要領」を変え、①防空壕ではなく待避所と呼ぶ②原則として家屋の床下に簡易な穴を掘って設置する③長時間とどまらず、焼夷弾が落ちてきたら迅速に外に出て消火にあたる――と定めた。

 大阪大空襲の死没者名簿の編纂(へんさん)にかかわった神戸大の地域連携研究員・佐々木和子さん(61)が空襲被災者の手記を調べたところ、周辺の家屋が炎上して待避所内で窒息したり、直撃した爆弾で押しつぶされたりしたケースが多くあったことが分かったという。

 佐々木さんは「防空壕は命を守れるシェルターではなく、一時的に身を隠す場所に過ぎなかった」。複数の子どもたちが中に入って音や振動をやり過ごす「体験型防空壕」では、誤った歴史を伝えてしまうことになる、と懸念する。

 だが、体験型防空壕を展示する施設は少なくない。10人の子どもが入れる大型の防空壕を復元展示する埼玉県平和資料館。焼夷弾を投下する音が響き、炎が連想される赤い明かりがつく仕組みで、資料館側は「社会科授業で活用する目玉施設」と説明する。

 東京都千代田区の昭和館は2009年のリニューアルに合わせ、常設展示室「銃後の備えと空襲」に防空壕の体験施設を設置。来館者2人が向かい合わせに座ると、空襲警報のサイレンや爆弾の音が響き、いすが振動する。一方で、防空壕に関する説明文には「一時的に爆弾片や爆風を避けるものだった」「実際の効果は疑問で、中で多くの人々が亡くなったといわれている」と書いている。

 今後、ピースおおさかのリニューアルをめぐる議論はどう進むのか。担当者は「体験者の貴重な意見を参考にする」としつつ、「現時点で体験型の展示を中心とする計画を変える予定はない」としている。(武田肇)

■笠原一人・京都工芸繊維大大学院助教(建築史・記憶表現論)の話

 子どもが音や振動、映像を通して空襲と防空壕を体験的に学ぶ効果は大きい。ただし、それが全てだととらえられないように、実態の一部を切り取った「見本」と明示することが必要だ。施設内で空襲や防空壕の実態を正確に再現するのは難しく、見せ物のような演出に陥る危険性もある。まずは「展示を通して何を伝えたいのか」を明確にすることが大切だ。

音と振動の出る体験展示ですか……。私も1000万円もかけて作るような施設じゃないと思いますけどねえ。どうせやるなら電熱線で蒸し焼きにするとか、焼夷弾が突き抜けてくる代わりに上から土のうの土が降ってくるとか、たまらず逃げようとしたら「防火義務違反で有罪になる」とアナウンスされるような仕掛けにしたらどうでしょうか。被災体験がアミューズメントになってしまうとイヤなので。

都市圏での防空壕と田舎の防空壕とはかなり違っていたのかもしれませんが、鹿児島には防空壕の穴がまだたくさん残っています。でもそのほとんどが放置され、崩落の危険があり、立ち入り禁止になっていて、顧みられることがありません。埋められてしまい、忘れられてしまったものもたくさんあります。大変残念で、ときどきその地域の人たちと話をするのですが、しかし維持管理も大変だし、教育的価値があると言っても万一子供達が事故に遭うと危ないからということでほぼ相手にされません。
池や川、山も同じように「子どもに危険だから」という理由で封鎖するように皆さんよく言われ、代わりに「公園がほしい」とおっしゃるのですが、それこそ自治体にとっては土地代や造成費用や管理費用などのことになるし、自分たちで公園を作ろうという話になるわけでもなし、何だか割り切れない気持ちになります。……そもそも子供もほとんどいないんですけどね。

●上記記事にリンクしてあった以前の朝日新聞記事(リンク切れなのでタイトルだけ)
・旧日本軍の行為展示、大幅縮小案 大阪の平和博物館(13/9/10)
・消える「加害展示」〈考 民主主義はいま〉(13/6/7)


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