朝日新聞:子どもの貧困に関する連載記事(原田朱美氏)
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(1)から(6)までの連載記事。
以下に印象に残ったところを抜粋。取材部分と記者の解説・考察部分とに分けて示す。なお、引用部の下線は私、引用者によるもの。
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取材部分の抜粋
●格差社会で育った子どもたち 上と下、2人の人生:朝日新聞デジタル
それからすぐ、小平市の児童養護施設「二葉むさしが丘学園」に入った。天国だと思った。だって、自由に遊べる。ご飯も出る。「俺ら税金で暮らしてるからなあ」。自分や施設の他の子が時々口にした言葉だ。学校の同級生を見て、普通は両親がいて、欲しい物をねだると買ってもらえるらしい、と知った。うらやましくはなかった。
できるわけがないから、最初から望むこともない。目の前にあるものを受け取るだけ。他の世界を知ろうとも思わない。受け身の姿勢が、自分と周りの子には共通していたように思う。「大学に行きたい」と言いつつ、何もしないまま高校を卒業し、18歳で施設を出た。
施設出身者を支援する「自立援助ホーム」に移って1年。コンビニのバイトで月収10万円の生活の中、知人から、あるコンテストを見に行こうと誘われた。「私はこんな夢に取り組んでいる」と発表し、魅力を競うというもの。新しい乗り物の開発、途上国の支援……。壇上の人々は、目を輝かせて熱く語っていた。
ふと「自分に足りないのは、これだ」と感じた。この人たちは「できるわけない」なんて考えていない。「できる」と信じている。
施設では、職員と言い合いになると、「めんどくさい」と部屋から出て行く子を何度も見た。難しい問題に直面した時、投げ出す。貧困とか虐待とか、直面してきた問題は、あまりに大きくて複雑で、頑張って向き合っても、どうにもならなかった。実は世の中には頑張れば解決ができる問題もあると、彼らは知らない。「考える」という習慣すら、もてない子もいる。私が見ているのは大学生たちなので多少状況は異なると思うが、上の(1)、(2)の引用部で下線を引いた部分は以前から実感として感じていることで、非常に良く似ている。その背景は多様で、学力の序列内での劣等感や自己否定、家族との問題、それこそ貧困と関連しているような家庭環境や生育歴、精神・知的障害と生育環境などが絡まり合っている。多くの教員が「無気力」や「積極性・やる気のなさ」を指摘しているが、そのいくらかは上記のような無意識の内面化された諦観が関係していると思う。A. Sen が貧困の問題として指摘したこともここに重なっていると思う。児童養護施設は、18歳で出なければならない。久波さんは高3の年、「大学に行きたい」と言いつつ、結局何も動かないまま卒業してしまった。親を頼れない自分が利用できる奨学金制度は何か、学費の支払いにはどんな手続きが必要か、そもそも施設を出て自力で生活できるのか。現実が山のように積み上がり、やっぱり「めんどくさい」と逃げてしまった。
「この人たちは『できるわけない』なんて考えていない。『できる』と信じている。」
「この人たち」は、明示的・自覚的に「『できる』と信じている」わけではなくて、無自覚、無意識の中にそれがあり、ものの感じ方や立ち居振る舞いの下地となっている。だから「信じている」という言葉に引っ張られすぎると、本質を見失う。
この種の「『できる』と信じている」ことの無邪気さ、傲慢さ、尊大さは、しばしば裕福な人、上流階級、天才の問題として、小説やドラマの素材になって来たと思う。例えば「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」という話はその一つだろう。
彼が「上の世界」にたどり着いた線のひとつは、人だったという。ことあるごとに、若い人たちには、世界を広げること、ごく身近に目が覚めるような取り組みをしている人が何人もいること、この記事の言葉で言えば「上の世界」の人たちの活動に触れたり交わったりする機会はたくさんあること、今までとは全く違った世界の中にも自分たちを受け入れてくれる場所はたくさんあり、そこを居心地良くすることはいくらでも可能なこと、を伝え、紹介し、誘い、そして何人かとは一緒に汗を流してきた。こうした活動?の中で、どんどん羽ばたいていった人たちは何人もいる。でも、この枠では拾いきれない人、こぼれていってしまう人たちもまた数多くいる。もっときめ細かく、もっと多様でタイプの違う「大人」あるいは「上の世界」の人たちが関わり合いつながり合うことの必要性を強く感じる。率直に言って、自分の人格・性格の幅では対応できない、「合わない」人たちがたくさんいて、彼らに関わりを持てるタイプの人のパーソナリティは自分から見れば異能の人に見える。いま久波さんは、子どもの貧困解決に取り組む公益社団法人「チャンス・フォー・チルドレン」で、インターンとして働く。施設出身者を支援する企業の人に紹介してもらった。その企業を紹介してくれたのは、また別のNPO法人だ。
社会の一線で働く人に触れると、自分との違いがよくわかる。視野の広さ、知識の多さ、コミュニケーション力の高さ、柔軟さ。
私は福祉畑の人間ではないが、少しでも相談に関わると、人を救うのも壊すのも正に人とのつながりだということは実感する。問題を抱えた人をいかにして適切な機関につなぐかを考えるとき、そこで常に出てくるのがどういう人からどういう経路でつないでいくか、あるいはまた誰につなぐかということだ。また、自分の来し方を顧みると、人生の節目を区切るときには必ず周囲の誰かの助けや支えや機会提供があった。出会いと関わりが人生の岐路を決定することはしばしばあって、それは「コネ」という言葉で簡略化されたものの本質であり、沼上幹氏の言う「因果の連鎖」がそこにある。
虐待や貧困など過酷な状況で育った彼らは、「どうしたの」と自分の気持ちを聞いてもらった経験がほとんどない。「大変だったね」と共感されたこともない。だから、相手の気持ちがうまくわからない。人間関係は、工夫して解決するのでなく、逃げる。この下りは強く共感する部分。自分は「貧困」ではなかったがこの種のコンプレックスが非常に強く、人間関係から逃げるあるいは逃げなくても消極的であることで、いろいろ失敗したり問題をこじらせたりしてきた。人と関わること自体がストレスで緊張を強いられることだから、そもそも社会生活を営むために乗り越えるハードルが高くなってしまうのだ。
渡辺さんが、よく覚えている出来事がある。以前ユミさんは、キッズドアの活動で「底辺校」と呼ばれる都立高校に行き、キャリア教育の授業を手伝った。3回の授業の最後、生徒に将来の夢を書かせた。ある子が書いた夢は、「バイクを買う」だった。◆「底辺校」でキャリア授業。生徒の夢は「バイクを買う」
授業の後、ユミさんは驚いた様子で渡辺さんに報告してきた。彼女が卒業した高校は私立の有名校で、同級生たちの夢は「医者になる」や「海外で活躍する」。なぜこんなに違うのか。ユミさんは「お金だけじゃない。育つ環境や、周りの情報量が全然違う」と語った。渡辺さんは「差を知って、その原因にまで気付く力に驚きました」。
「貧困を知らないのは大人も同じ。『一億総中流』の幻想は、まだ強いんですよ」この点で思い出したのが下記の山口氏のコラム。
新春暴論2015――幸せな階級社会 / 山口浩/経営学 | SYNODOS -シノドス-
社会的不平等に関する意識調査(ISSP)で、1999年、2009年を比較すると、
「一億総中流」の崩壊などとよくいうが、「中流」が相対的な生活の水準の話をしているのであれば、中流意識は未だに健在といえる。という。即ち、
・社会の中での自分の位置について聞くと、中程度であるとする回答が依然として多い。
・自分の生活の程度が「中」程度と考える者は1971年から2011年にかけて概ね一貫して9割前後であり、わずかながら増加傾向ですらある。
・ISSP2009で自分の収入が「少ない」と答えた者は57%だが、これは前回1999年の調査時より6ポイントも低下している。
とのこと。
――貧困は情緒や社会性への影響もありますね。「はい。孤立、いじめ被害、引きこもりが多かったり、友達が少なかったり。親も精神的に追い詰められ、子どもに時間を割く余裕がない。心身を患っていることも多い。物質的な貧しさと、情緒的な貧困が連動してしまっている。悲しいけれど、現実です」
――貧困関連のデータ不足も指摘されています。確か、子ども全体の貧困率などですら、民主党政権になってから、国連等の長年の指摘に応じる形で、ようやく行われたんではなかったっけ?「政府が出すのは、子ども全体の貧困率とひとり親家庭の貧困率だけ。あとは研究者に頼っています。全然足りない。例えば教育では学力測定で平均正答率が上がった下がったと議論しますが、教育格差解決のために必要なのは、平均ではなく、最低限の学力がついてない子がどれくらいいるか。そうしたデータはまだ十分整備されていません」
――貧困の子は、頑張る力や生きる気力すらも奪われますが、どう支援すればいいのでしょうか。この、スキルや気力、自分の人生への構え方を崩されてしまうのが、現場的には一番厄介だと感じる。「貧困の影響は就学前の幼児期が最も大きい。この時期の『自分でも頑張ればできた』という経験から自己肯定感が育まれる。そのためには、就学前の子をもつ親への現金給付など、安心して子育てができる生活を保障するのが有効です」
これに類する話は古今東西で厖大なのだろうと思うけれども、例えこれがあまねく広がる人類社会の不治の病であったとしても、それこそ諦められない問題である。
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記者の解説・考察部分の抜粋
●格差社会で育った子どもたち 上と下、2人の人生:朝日新聞デジタル(原田朱美2015年1月13日13時58分)
(前略)
■6人に1人の子どもが貧困日本の子どもの貧困率(17歳以下)は、上がり続けている。
厚生労働省の調査では、2012年の子どもの貧困率は16・3%で、6人に1人。ひとり親世帯に限ると2人に1人だ。
子どもの教育格差の解消に取り組む公益社団法人「チャンス・フォー・チルドレン」(本部・兵庫県西宮市 http://cfc.or.jp/)の今井悠介代表(28)は「多くの人は『本当に6人に1人もいるのか』と実感を持てずにいる。子どもの貧困は見えにくい」と語る。
「百円均一」店や低価格ファッションがあるため、外見では経済的な差がわかりにくい。今井さんは「貧困層と富裕層で住む地域やコミュニティの分断が進んでいて、違う境遇の子に出会う機会が減っている。特に都市部は格差が大きいと感じる。東京は、地域ごとに貧困家庭と裕福な家庭が分かれて集中している印象だ」と指摘する。
貧困によって、子どもたちは、進学など多くの人には当たり前にある機会を奪われている。
ただ、時代によって多くの人にとって「当たり前にあるべきもの」は変わる。例えば、第2次世界大戦時は、多くの人が衣食住に困った。しかし今は、塾に通うのが当たり前で、都内の大学進学率は7割にもなる。その中で、自分の努力ではどうしようもない理由で進学や夢をあきらめるのは、子どもにとって精神的なストレスが大きい。
国立社会保障・人口問題研究所の阿部彩・社会保障応用分析研究部長らのチームは、2008年、市民1800人を対象に「現在の日本社会ですべての子どもに与えられるべきもの」に関する意識調査を実施した。
半数以上が「全ての子どもに絶対に与えられるべきである」と答えた項目は、全26項目のうち「朝ご飯」「医者に行く」「手作りの夕食」など8項目のみ。このほかは、半数以下だった。例えば、「短大・大学までの教育」42・8%、「誕生日のお祝い」35・8%、「子ども用の勉強机」21・4%、「親が必要と思った場合塾に行く」13・7%など。
1999年の英国の同様の調査では、「趣味やレジャー活動(90%)」「おもちゃ(84%)」といった教育に直接結びつかない項目でも、「必要である」との回答が多い。
■家庭の所得差 子の学力関連家庭の所得格差が子どもの学力格差につながっていることを示すデータがある。
文部科学省がお茶の水女子大に委託した2008年度の調査。小6の全国学力調査の結果を世帯の年収別で見ると、年収が高い世帯の児童ほど、ほぼ比例して正答率が高くなった。例えば算数Bは、世帯年収が200万円未満の子の平均が42・6%。一方、1500万円以上の子は65・6%と23ポイントの差がある。
また、塾や習い事など学校外教育費の支出が多い家庭の子も正答率が高い。同じ算数Bだと、支出が全くない世帯の子(44・4%)と5万円以上の支出がある世帯の子(71・2%)で26・8ポイントの差がある。
一方で、こうした教育格差に対して、保護者の考え方は厳しい。
朝日新聞とベネッセが12年に実施した共同保護者調査で、所得による教育格差が生じることをどう思うかを尋ねたところ、「やむをえない」が半数を超え52・8%。前回08年の40%から大幅に上がった。「問題だ」と答えたのは39・1%にとどまった。
■貧困の根底に人脈の欠如が格差の「下」にいる子どもたちが直面する問題は、お金だけではない。
児童養護施設の学習支援などに取り組むNPO法人「3keys(スリーキーズ)」の森山誉恵代表は、支援する子の親や家庭環境には「四つの貧困」という特徴があるという。(1)つながりの貧困(親族や周辺に助けを求められない)(2)教育教養的貧困(生活の知識や働くためのスキルがない)(3)経済的貧困(お金がない、安定した働き場がない)(4)精神的貧困(精神的に余裕がない、楽しみや将来への意欲がない)。
森山さんは「人脈、情報、お金など、子どもたちはあらゆる社会資源から孤立している。その結果、コミュニケーション力が低かったり協調性が乏しかったり。就職などの場面で不利になってしまう」と指摘する。子どもの貧困支援の現場で最も足りないのは、お金や物よりも人だという。「子どもはいろんな大人の力を借りて成長していくもの。その人脈の欠如が、格差の一番の根っこにある。多くの人に、貧困支援に関わってほしい」
■支援届かぬまま 多くの子が存在日本の子どもの貧困率は、他の先進国と比べても高い方だ。経済協力開発機構(OECD)の調査では、子どもの貧困率を2010年時点の数値で比べると、日本は加盟国34カ国中10番目の高さ(09年15・7%)。ひとり親世帯の貧困率に限ると50・8%(09年)で、加盟国中最悪だ。
では、国や自治体の支援を受けている子は、どれくらいいるのか。
全国の児童養護施設で暮らす子どもは、約2万9千人(13年)。生活保護受給世帯で育つ0~19歳は、約30万人(11年)。児童扶養手当(低所得のひとり親向け現金給付)を受ける世帯数は、約108万世帯(12年度)。就学援助(低所得世帯の子の給食費や学用品費などを支援する制度)を受ける小中学生は、約155万人(12年度)。
一方で、18歳未満の子どもの貧困率は16・3%(12年)。10年の国勢調査の18歳未満人口で推計すると、約330万人。まだ多くの子が、国や自治体の支援からもれたまま存在する。
■「子供の貧困」著者 阿部彩さんに聞く子どもの格差はどこまで深刻なのか。なぜ貧困は気付かれないのか。連載の最終回として、「子どもの貧困」(岩波新書)の著者で国立社会保障・人口問題研究所の阿部彩・社会保障応用分析研究部長に聞いた。
◇関わりないと見えぬ貧困 子どもは家庭を選べない
――子どもの貧困率は6人に1人と高い割合ですが、「ピンとこない」という人も多いです。
「『貧困』という言葉のイメージの問題です。飢えたストリートチルドレンは確かに日本にいないかもしれない。だけど飢え死にしないだけで、1日の食事は給食だけといった事例はたくさんある。普段子どもに関わっている人でないと、自分事として感じられないのでしょう。日本は豊かな国だという先入観も強い」
――著書で「貧しくても心豊かで幸せな家庭/お金持ちは心が満たされない」といった神話・幻想の弊害を指摘されています。
「貧しくても成功するチャンスは確かにありますが、問題は確率です。実際は貧しさゆえに栄養が足りなかったり、勉強する機会も場所もなかったりする中、その確率が非常に小さくなっています」
◆勉強以外 想像力も買える時代
――貧困は情緒や社会性への影響もありますね。
「はい。孤立、いじめ被害、引きこもりが多かったり、友達が少なかったり。親も精神的に追い詰められ、子どもに時間を割く余裕がない。心身を患っていることも多い。物質的な貧しさと、情緒的な貧困が連動してしまっている。悲しいけれど、現実です」
「一方で裕福な家庭は、勉強以外でも、例えばいろんな体験教室に通わせることもできる。情緒や子どもらしさ、想像力といったものまでお金で買える時代です。特に東京はそうです」
――格差の「上」と「下」で育った子たちは、お互いの世界をほとんど知りません。分断が深刻です。
「そうですね。諸外国に比べたら、まだいい方ですが、東京は日本ではかなり分断がある地域ですね。私立校が多いので、進路の違いで分断が始まっていく。あと、すぐそばに貧困の子がいても、わかりにくいということもあります」
――貧困関連のデータ不足も指摘されています。
「政府が出すのは、子ども全体の貧困率とひとり親家庭の貧困率だけ。あとは研究者に頼っています。全然足りない。例えば教育では学力測定で平均正答率が上がった下がったと議論しますが、教育格差解決のために必要なのは、平均ではなく、最低限の学力がついてない子がどれくらいいるか。そうしたデータはまだ十分整備されていません」
――格差は働かないのが悪い、頑張らないのが悪いという自己責任論をどう思いますか。
「子どもはどの家庭で育つのか選べません。生活保護バッシングも、子どもの時に努力しても超えられない壁があったとして、その問題が大人になっても続くのは当たり前なのに、20歳を過ぎたら急に自己責任と言われるのはおかしい」
◇自己肯定へ 就学前の支援手厚く
――貧困の子は、頑張る力や生きる気力すらも奪われますが、どう支援すればいいのでしょうか。
「貧困の影響は就学前の幼児期が最も大きい。この時期の『自分でも頑張ればできた』という経験から自己肯定感が育まれる。そのためには、就学前の子をもつ親への現金給付など、安心して子育てができる生活を保障するのが有効です」
(聞き手・原田朱美)
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