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2015/01/07

今はなんちゃって左翼wを見分けられるいい時代なのかも?

『殉愛』だけじゃない! 百田尚樹は“タカ派発言”もデタラメだらけだった!|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見

(前略)『殉愛』騒動真っ盛りの年末に出版された田原総一朗との対談本『愛国論』(KKベストセラーズ)だ。
帯には「日本人はいかに日本を愛すべきか」「戦後70年自虐史観と訣別する!」と勇ましい文句が並ぶこの本、流行ものにはなんでも乗っかる田原の無節操ぶりに改めて感心してしまうが、(後略)
確かに時流に乗って言うことが変わる人っている。そういう意味では、今は「左翼」(?)の本物?を見つけるにはいい時代なのかも。

戦前戦中は愛国と尊皇が時流だったから、「何となく」や「漠然と」や「雰囲気で」や「空気を読んで」や「猫をかぶって」という類の愛国者がたくさんいて、多分その中から「本物」、即ち筋金入りで骨の髄までの愛国者と、これらのまがい物とを見分けるのは難しかっただろう。反面、「本物」の反戦平和主義者や民主主義者、共産主義者を見分けるのは比較的簡単だっただろう。そもそもこうした「アカ」を見つけること自体大変なぐらいレアな存在だったわけで、そんな中に敢えて心情を維持して流されないようにするには相当の自覚と絶えざる反問が必要だったはずだろうから。

同じように、戦後は突如として猫も杓子も「民主主義」を言うものだから、逆に「本物」を見つけにくくなってしまった。
安保闘争時代には反戦平和、反安保、反帝国主義者であることはたしなみの一つだった。全共闘世代が中高年になって堕落したみたいな言われ方をすることがあるけど、あれも雰囲気に流されて染まった無自覚な「なんちゃって左翼」がたくさんいただけのことだと思えば、堕落でも何でもなく、元々骨のない人たちが時流や立場が変わったので言うことも変わったというだけのことだということになる。

それが今度はまた再び「ニッポンの誇り」とかが盛り上がってきているものだから、それにテキトーな民主主義者が足下をすくわれて馬脚を現すようになってきたおかげで、「あーこの人もダメな人だったのね」と判別が簡単になって来ているというわけね。慰安婦問題や南京事件への見解はいいリトマス紙になってる。


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