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2015/02/09

私たち人間は他人を偏見で判断してしまうという運命にあらがう存在なんだよね、という話

極右が何人寄ってもアメリカ人に「理解」してもらえるための知恵なんて出ない - Apes! Not Monkeys! はてな別館
のコメント欄を見て思いついたこと。

AJAX 2015/02/09 01:06
(前略)
>朝鮮半島出身の将軍や将兵を大勢いましたよ。
格助詞を間違えるのは外国語を母語とする日本語学習者によく見られる現象なんですよね。一番多いのは英語母語の人間ですけど、どの格にどの言葉を使うかってのは言語ごとに異なるので、中国人なんかでも同じミスはしたりします。

と、こういう思考様式って正しいのでしょうか?

正しくないのは当然なのですが、その理由は二つあって、一つは論理的に正しくないこと。類型で個別事象を判断するのが正しくないという意味ですね。もう一つは倫理的・社会的に正しくないというか、偏見と差別につながるからですね。

ただ、この種の類型化と個別の人への当てはめは日常的に行われているような気がします。典型的には、
「あの人は……な振る舞いをしている。だからあの人は……だろう。」
というタイプの判断ですね。例えば、
「あの人の血液型はB型に違いない」とか「ああ、なるほどやっぱりB型だったか」とか。
「あの人のしゃべり方には中国人特有のなまりがある。中国人だろう」とか「『…アルヨ』というのは中国人」とか。
「あの人はアスペルガーじゃないか」とか「ちょっと鬱病になりかかってるんじゃないか」とか。
さらに微妙になっていくと、
「あっ、妊婦さんだ」と思ったら、単に太っている人だったりとか。
「あの人、風邪を引いているのでは」とか「気分が悪そうだね、乗り物酔いしているの?」とか。

こうしてみると、この種の思考方法は明らかに差別であるものからそうでないものまで幅広く使われていることが分かります。
実際、その人の特徴を類型に当てはめてその人を理解するという方法は医療の世界では本質的な方法だと思うんですね。診断基準というのがそういう構成ですし、個体群の特徴分布から類型を分類するという統計的手法が使われていたりしますし。

類型を個別への当てはめて判断することは、たぶん人間という種に本質的な認識の方法なんだと思います。見方によって壺に見えたり人に見えたりするような錯覚現象もそういうことが原因になっているものもありますよね。実際、そうしないと認知の能率が低くなりすぎて生きていけなかったのだろうなあと想像しています。

で、警察の人は挙動不審者…怪しい人を見つけたり話のウソを見抜くのが上手いとか、入管の人はどこの国の人かを見抜くのが上手いとかいう類のことが時々言われますし、そういう人が自分の判断に自信を持っていたりすることがあります。お医者さんが自分の診断に自信を持っているようなことと似ていますが。
で、多くの場合はそれで該当するのでしょうけれど、時々多分間違えるんだと思います。その間違いが時に一層大きな間違いのきっかけになったりして問題化することがあるのだと思います。例えばえん罪のようなものはその一例でしょう。
予断を排して虚心坦懐に見ることが、類型化に熟練すればするほど大切になるのだと思いますが、それは学術研究や教育の世界にも通じることだなあという、何のことか分からなくなってきた辺りで話を止めたいと思います。


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