エアコンぐらい付けてあげたらいいのに…と思ったら、思わぬ勉強をしてしまったでござるの巻
エアコン設置「賛成」 3分の1には達せず NHKニュース(2月15日 23時50分)
埼玉県所沢市で航空自衛隊の基地周辺にある小中学校にエアコンを設置するかどうかの是非を問う住民投票が15日行われ、設置に賛成する票が反対を上回りました。しかし賛成票は「結果の重みをしん酌しなければならない」とする有権者の3分の1には達しておらず、結果を受けて市長がどのような判断をするのか注目されます。市長のコメントからはそこはかとないアレな香りが漂ってくるような気がしますが、それは措いておいて。
…中略…
一方で投票率は31.54%で、賛成票は「結果の重みをしん酌しなければならない」と市の条例が定める有権者の3分の1には達しませんでした。
住民投票の結果について、所沢市の藤本正人市長は「結果についてはこれから分析を行うが、これまで国内の自治体で実施した住民投票と比べると、決して高くない投票率だったのが残念です」というコメントを出しました。(後略)
「『結果の重みをしん酌しなければならない』と市の条例が定める有権者の3分の1」
ここに引っかかりました。
今回の投票率はそもそも3分の1未満なので、賛成も反対も3分の1未満。
すると、市長は賛成も反対も「斟酌」できない or する必要はないのでは?
賛成にせよ反対にせよ、3分の1を超えることが要件だとかなり大変では?
そもそも、「斟酌する」って具体的にどういうこと?
というような疑問が浮かんだわけです。
仮に無効票がゼロとしても、賛否が拮抗していたら片方が3分の1を超えるためには投票率が3分の2以上、即ち67%程度を越えなければいけない。それって都市部では非常に大変なハードルではないか。
逆に片方がほぼ圧倒的なら投票率は3分の1でいいけれど、そんなことはあり得ないだろう。言い換えると、投票率を40%とか50%とか以上にすることを住民投票に要求されているということになる。こんな二重のハードルを設置するのは要するに住民投票の結果に拘束されたくないという行政(というか市長かな責任者だから)の思惑が反映しているのじゃないか。
とまあ、こう思ってですね、とりあえず本件条例を見てみました。
市条例第67号「防音校舎の除湿工事(冷房工事)の計画的な実施に関する住民投票条例」(所沢市)
(投票結果の尊重)「結果尊重」の義務を課していながら、さらにその上に「結果の重みの斟酌義務」を課すという二重構造になっているみたいに見えます。
第11条 市長及び市議会は住民投票の結果を尊重しなければならない。この場合において、投票した者の賛否いずれか過半数の結果が投票資格者総数の3分の1以上に達したときは、その結果の重みを斟酌しなければならない。
そうすると、初めの「結果尊重」と「結果の重みの斟酌」とはどのように区別されるものなのだろうという疑問が出てきます。「尊重」+「斟酌」なので、たぶん、ただの「尊重」よりも投票結果に従う必要が高まるのだろうとは思います。
ただ、今回の結果は賛否どちらも3分の1に達していないので、この規定によれば、「斟酌」はどちらについても必要ないわけです。
すると「結果尊重」だけが残ります。「結果」は賛成多数だったわけで、それを「尊重」すればいいわけですが、さて「尊重」って何をすればいいのか。別に市長は従う義務はないわけですし。まあそもそも「斟酌」を付けても従う義務はないのですけど。
で、こういう「斟酌」は他の事例ではどう扱われているのか。
そう思って他の自治体の条例がどうなっているか見てみたわけです。
で結果を先に言うと、「斟酌」という言葉は見つからなかったのですが、類似規定のある先例がありました。それと、もっと厳しい制限のある条例もありました。
感想を言うと、基本的にはこういう制約は設けるべきではないと思いますが、常設型ならまだ分かる気もします。でも個別問題ごとに住民投票条例を作る場合は、こういう規定は良くないと思いましたね。
……ただ、結局「斟酌」って具体的に何なのかは分からないままでしたけれど……。
さて、以下はちょっと検索してみた結果です。
まず、条例を探したら下記2件がとりあえずヒットしました。
「神戸空港」建設の是非を問う住民投票条例案(1998)神戸空港を考える神大の会
(住民投票に関する市長の義務)
第14条 2 市長は、地方自治の本旨に基づき、住民投票における有効投票の賛否いずれか過半数を得た結果を尊重しなければならない。
佐久市総合文化会館の建設の賛否を問う住民投票条例(素案)(2010)佐久市
(投票結果の尊重)
第14条 市長は、住民投票の結果を尊重するものとする。
上の二つには「斟酌」は出てきません。
どうも必要が生じると、その都度その問題にだけ絞って住民投票条例を作るみたいなんですね。いくつも事例はあるようなんですが、肝心の条例がなかなかヒットしません。
ただ、常設型の住民投票条例というのがあるそうです。
鳥取県が事例研究をした文書がヒットしまして、それから見てみると、「斟酌」規定は出てこないんですね。
1. 住民投票条例を常設している市町村が4つある(川崎市、北栄町、日吉津村、広島市)。
2. 各市町村の住民投票結果の取り扱いの条文は下記の通り。
常設型住民投票条例を持つ4市町村の条文(投票結果の取扱い該当部分)(鳥取県)
条例名 | 対象事項に関する条文 |
---|---|
川崎市住民投票条例 | (結果の尊重)第 28 条 議会及び市長は、住民投票の結果を尊重する。 |
広島市住民投票条例 | (投票結果の尊重)第 15 条 市民、市議会及び市長は、住民投票の投票結果を尊重しなければならない。 |
北栄町住民投票条例 | (投票結果の尊重)第 15 条 町民、町議会及び町長は、住民投票の結果を尊重しなければならない。 |
日吉津村住民投票条例 | (投票結果の尊重)第 22 条 村民、議会及び村長は、住民投票の結果を尊重しなければならない。 |
3. 「尊重」に関する上記自治体の考え方は下記の通り。
常設型住民投票条例を持つ4市町村の考え方(結果の取扱い該当部分)(鳥取県)
○川崎市住民投票条例逐条解説というわけで、「斟酌」的な何かは「尊重」という表現に既に含まれていているという考え方のようにも見えます。○「尊重」とは、単に投票結果を参考とすることにとどまらず、投票結果を慎重に検討し、これに十分な考慮を払いながら、議会と市長が意思決定を行っていくことと考えられる。このため、議会と市長は、それぞれの意思決定について、住民に対する十分かつ明確な説明責任を果たす必要があると考えられる。○北栄町自治基本条例逐条解説
○住民投票の結果は、本来、誰もが尊重すべきものであるが、市長・議会と住民とではその責任の重さが異なり、また、住民投票は、議会と市長の意思決定にその投票結果を反映させるものであるという点を考慮する必要がある。このことから、自治基本条例第31条でも、投票結果を尊重するとされているのは市長と議会であり、住民に対する尊重義務は規定されていない。住民投票の結果は、法的拘束力はありませんが、町民の意思を真摯に受け止め、町長と議会は、住民投票の結果を尊重すべきものとしています。○日吉津村住民投票条例逐条解説住民投票は法的拘束力をもたぬものの、村民による総意として、その結果については、村民、議会そして村長が当然尊重すべきものと明記しています。○広島市住民投票条例逐条解説なし。
で、この鳥取県の研究よりも包括的で日付が新しそうな論文が見つかりました。
小川正「常設型住民投票条例における住民投票の対象事項該当性 広島高判平成24年5月16日(LEX/DBインターネット25481762)」自治総研通巻429号 2014年7月号
これによると、常設型の住民投票条例を持つのはこの時点で54団体だそうです。
で、この論文末に資料の表がありまして、ここに常設型住民投票条例の「成立条件」というのがあるんですね。これによれば、
1.投票率が一定割合(2分の1や3分の1など)を超えないと不成立
という規定を設けている自治体が結構多いです。
で、今回の所沢市のケースの先例に当たるのが、
2.賛否どちらかが有権者の一定割合(3分の1)を超えたら結果を尊重
という規定を設けている自治体で、それは2例ありました。我孫子市と小金井市です。
これらの例から見ると、今回の所沢市の条例は、投票率で住民投票の有効性を判定する基準としては中間的な厳しさを持ったものだと言えるでしょう。すなわち、投票率が低ければ不成立というON/OFF2値の判定基準が最も厳しいと言え、こうした制限を設けないのが最も易しいと言えます。そして今回の条例は、ただ投票率が低ければその結果尊重の程度が低くなるという規定なので、上記2者の中間的存在だろうということです。
しかしながら、上で述べたとおり、本来はこうした制限は設けるべきではないのではないかと思います。
常設型の場合は、一旦住民投票にかかってしまえば極めて低い投票率による結果に政策判断が左右されるという危険を避ける意味はあると思います。実際、市町村長の単独判断で実施可能とする条例が多いので、歯止めを掛けないと長の専横の道具になりかねませんし。ただ、これはそもそも住民による住民投票発議の要件と市町村長の要件との非対称性が原因だとも言え、そう考えると、この権利の非対称性の弊害をこういう制限で押さえるという方法は正当だとは言えないと思います。
そして、非常設型の場合は、住民投票条例が成立するまでに、条例制定の直接請求を通した上に議会で可決されなければならないというかなりのハードルが住民側にはあるわけです。既にそのハードルを超えてきているものにさらにこうしたハードルを付けるのは、代議制の限界を補完する制度という意味でもその存在意義を弱めすぎるのではないかと思います。そもそも住民投票結果は「尊重」しさえすればよくそれに従う義務はないという弱い意味しかないのですから、余計にそのように思います。
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