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2015/02/11

認知の枠組みのこと。数年前の思い出から

まさに備忘として思いつきを書き付け。

人と対話していて「話が通じない」という経験をしたことがある人は多いと思います。
私自身が数年前(もっと前だったかな)に経験したのは、自分自身の中でのことでした。

当時、南京虐殺が「あった」「なかった」の「論争」(?)がインターネット上で盛んでした。
そのしばらく前から、南京事件の証拠とされるものは多くが根拠がなかったり捏造だったりするものだという話を何となく見知っていました。一番古い記憶だと、90年代にはそういう本が売られているのを見たような気がします。
※今ちょっと検索したら、『ゴーマニズム宣言』が1992年からだったんですね。確かに自分の時代感覚に合っています。

自分の中では、こうした反動的な議論にはどこか違和感を感じつつも簡単に否定できないような気がして、やがて南京虐殺事件は従来考えられていたほどの確実性はなくて、多くの部分で不明なことが多いのかもしれないと漠然と思うようになっていきました。
そういう印象のまま何年かが過ぎたときに、何がきっかけか忘れましたが、南京事件を巡ってあちこちのブログなどが「炎上」状態にあるのを知ったのです。初めは野次馬的な興味から「炎上」を見て回っていましたが、そのうちに「何だろう、これは」と思うようになっていました。
そのときの気分を振り返ると、私は「どっちもどっち派」や「中立派」と言えるものだったと思います。「あった」か「なかった」か今となっては分からないことが多いのだから、不確かな根拠で片方の立場からの解釈を言いつのっても意味がない。結局、自分好みの情報だけを選んで、自分の偏見や政治的な好み、イデオロギーを自己強化し、他人をやり込めて自己満足しようとしているだけだ、と。だから冷静に判断するためには、まず「あった」「なかった」の両方の意見と主張を良く聞き、確実な証拠資料に基づいて問題を整理し判定するべきだと思っていたのです。そしてその観点からすれば、南京事件には多くの疑問が挙げられているのだから、まずは「あった」と即断するのは避け、疑いを持って一つ一つの資料を見ていくべきだ。そしてその多くが「誤りだ」「根拠がない」と言われているのだから、南京で捕虜や民間人の殺害や強姦などがあったことは揺るがないにせよ、その規模や範囲は従来考えられていたよりもかなり小さなものと見ても、現段階ではいいのではないか。そのような感覚で、「炎上」を眺めていました。

そうした折に、自分が納得できる「中立」的な意見を書いている人が「あった」派の人たちと論争し、手厳しく批判されているのを見ました。そこでなされていた批判が私に混乱をもたらしたのです。
私は昔から心情的に日本政府の戦争責任回避に対しては強い反感を持っていました。ですから南京を含む中国各地で日本軍が起こした残虐行為を追及することは正しいことだと思っていました。しかし、これらの戦争の経験を中国政府が政治的に利用したり、中国国民が現在の日本への偏見を強化するための材料にしたりすることもまた十分あり得るだろうと思っていました。中国人からすれば、多少あやふやで不確かなことであっても「あった」として日本を批判したり責任を追及したりするバイアスはかかりうるだろう、だからそうした誤解を解くことは必要なことだとも思っていました。中国には中国の立場があるように、日本には日本の立場があるのだから、それは主張すべきであって、そうした主張をお互いに交わして落としどころを探っていくことこそが、よりよい相互理解と外交関係につながるはずだ。そしてこれは決して日本の戦争責任を否定しているものではない。こうした考えは十分に筋が通っていると考えていました。それなのに、正にその考え方を、日本の戦争責任を追及する、言わば私と同じ立場の人たちが厳しく批判しているのを見て、私は「この人たちは何を問題にしているのだろうか」と思うようになっていったのです。

それで、その「炎上」でなされていた議論をあれこれと読みあさり、南京事件「あった」派の人たちのブログやそこで紹介されている様々な資料(そのほとんどがウェブ上にまとめられた記事でしたが)を読んでみたりしました。そして、厖大な史料についての非常に多くの論考が何十年も前から積み重ねられていたのを知りました。そうして、南京事件には自分が思っていた以上のことが分かっている(それ故に「分からないこと」と「分かること」との区別が簡単ではないことも分かっている)ことが分かりました。また、南京事件を疑うときの論法や認識の偏りについても知りました。しかしそれでもなお、なぜ「中立」が批判されねばならないのか、「あった」派の人たちが何を批判し何を問題視しているのかは分かりませんでした。否定派の人たちの論拠が誤りであったのなら、南京での虐殺を否定する根拠がなくなったのだから、「あった」と判定すればよい。単に天秤のバランスが「あった」の方に傾いただけのことで、天秤を使うこと自体を非難されるいわれはない。そのように感じたのです。

認知のフレーム

南京事件だけでなく、日本の戦争責任に関して上記のような天秤を使うことは、今では「相対主義」とか「自称中立」とか「どっちもどっち論」などと言われて揶揄されるようになっています(相対主義という一般的な語自体はもっと大きな広がりを持っていますが)。それは、こうした「中立」の立場が実は中立ではなく、片方(大抵は戦争責任を認めない方)を支持しているのにそれを認めない、あるいはそれを自覚できていないという点への批判になっているわけです。しかし、私は当初それに気付くことができませんでした。この論点の持つ重さ、言わば認識の陥穽を問題とする論点の存在に気がつかなかったために、何を批判されているのかが分からない、批判自体が的外れで、考え方を勘違いされたままおかしな理屈で攻撃されていると感じていたのです。

この「中立」の考え方に潜む自分自身の無意識の政治性を問われている、その自らの政治的立場と社会的責任とをどう考えるのかをこそ明確にせよと問われていると私が気付いたのは、「あった」派の人々の長文の(と言っても長くて数万字もない位でしょうけれど)の論考をいくつも読んで、その主張の再現を自分なりに試みたり、自分が知っている類似の議論(例えば政治的中立という立場が成り立ちうるかという議論や、構造的暴力への抵抗としての暴力は許されるかという議論や、旧植民地宗主国の国民はいつまで旧植民地への加害を懺悔し続けなければならないのか、そもそも国民がなぜ国家の罪を悔いなければならないのかという議論など)と比較してみたりして、「この人は何を問題視しているのか」をあれこれ考えたことがきっかけでした。

自分のことながら自分で興味深いと思うことは、「自らの政治性を自覚せよ」という主張自体は私も昔から知っていて、しかもそれは正しいと思っていたのに、正にそこへの無自覚さ、無邪気さを突かれているということに私が気づけなかった、その認識に至るのにかなり労力を要したということです。
今となってはあやふやに回想するしかないのですが、このことに気づいたとき、私は「自分が社会的存在であること、私が住む地域や国の社会・政治状況から逃れることができず、またどのような形にせよ関与せざるを得ず、そしてそれ故に何らかの形で必ず自らの責任を考えざるを得ないこと」を引き受ける覚悟を要求されたように感じました。
実は、こうした覚悟については、私は以前に何度も考える機会がありました。いくつかの社会運動に関わる中で、第三世界人民の抑圧・搾取やベトナムや沖縄の状況や寄せ場や原発の労働者、在日や被差別部落の差別の問題において、「先進国」の「日本人」の「多数派」である私や「私たち」が自分たちの「責任」をどう考えるのかは、しばしば議論になったことでもあるし、また、運動を広げる上でどう一般に訴えるかということも良く議論になりました。政治性を自覚せよという論点は基本的な常識であったと言えます。それなのに、この「覚悟」に私は気付いていなかった、いや、頭では分かっていたのですが、腑に落ちていなかったのでしょう。この「覚悟」に気付いたとき、自分が真に社会の一員であり、そして社会の一員でない人などたった一人もいないということに腹の底で納得したということだったのだろう、と今は思います。

以上のような思考の過程を経て、南京事件「あった派」の人たちの批判を(自分なりに)理解したことは、私自身の認識の枠組みを変えました。認識方法が変わったと自覚することはあまりありませんが、このときは違いました。そして認識の枠組みが変わったという感覚はとても刺激的で面白いものです。学校の勉強で分からなかったことが分かるようになったときの喜びというか、問題の構造を見切ることができるようになった快感というか、それに似たものを感じます。しかし、そうした変化を自覚するほどに、自分にとってこの問題は認識枠組みの大きな転換であったようです。何度もそれを問われる現場におり、また人にも問うてきたことであったのに、分かっていたはずのことが分かっていなかった、そしてそこを脱するのには相当の労力を要したという経験は、私に認識の枠組み(フレーム)を知ることの難しさと大切さを教えてくれました。

もっとも、フレームの転換を自覚しているからといって、自分が自分のフレームから自由になれたとは思いません。むしろ、今回の転換が「腑に落ちた」のは、私の心のさらに深いところにあるフレームと上述の「覚悟」が親和的であったからで、その結果、この深いところのフレームによる偏見は一層強化されてしまったのかもしれません。実際、今回の「覚悟」は社会への責任を自覚し行動せよという倫理規範となっていますし、社会構造から生み出される「弱者」や「マイノリティ」や差別へのまなざしを重視する立場になっているという点で自分の心情とも整合的です。その意味で、私は私自身を教化し原理主義的にしてしまったのかもしれません。
しかし、私はこうした囚われからすっかり自由になるべきだとは思いません。生きていく上では何らかの立場と利害関係、他者への関与が避けられない以上、あらゆる立場を超越した認識を絶対の出発点にする意味はそれほどないと思われるからです。それよりはむしろ、自分の立場や囚われを自覚的に把握して言語化できるようにすること――その言語の多くは正当化の論理になってしまうかもしれませんが――の方が、社会を生きる存在としては有意義ではないかというふうに思っています。


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