« 一燈照隅のようになってしまっている社説 | トップページ | 忘れないうちにメモ »

2015/03/05

知覧特攻平和会館についてのメモ

以前、何回か知覧特攻平和会館への違和感について書きました。

特攻隊を賛美するのは特攻隊員を冒涜している: 思いついたことをなんでも書いていくブログ(2013/10/24)
知覧の特攻隊資料が世界記憶遺産に申請という件: 思いついたことをなんでも書いていくブログ(2014/05/07)
記憶遺産:特攻隊員の遺書は落選。: 思いついたことをなんでも書いていくブログ(2014/06/13)
日本政府のあまりにもあまりな愚かしさ。: 思いついたことをなんでも書いていくブログ(2014/06/13)

たまたま下記の方のブログ記事を見まして、そう言えば特攻平和会館のウェブサイトって見てなかったなあ…と思いました。
斎藤ひろむブログ » 知覧特攻平和会館に視察にゆきました(2012 年 2 月 6 日)

知覧特攻平和会館のHPに、「中高生のための事前学習資料」として「“特攻作戦”は何故行われたのか」というものがあります。
……中略……
この資料では、第二次世界大戦を「大東亜戦争(戦後は太平洋戦争ともいう)」と表現します。
戦争に至った経緯を、「…さらに11月、『ハル・ノート』と呼ばれる強硬な提案を突きつけられ、苦境に陥った日本は、アメリカの要求を受け入れて先進諸国の植民地になるか、それとも戦争に打って出るべきか、という厳しい状況判断を迫られたのです。
 その結果、わが国としては、アジアにおける欧米列強の植民地支配の状態を開放して、アジア独自の勢力圏(当時は『大東亜共栄圏』といった)を作り、アジア諸国が共に繁栄することを目標とし、ついにアメリカを主軸とする連合国との戦争に踏み切ったのです。」と記述しています。
つまり、第二次世界大戦を、アジア解放の戦争とえがく史観に立っているわけですね。
ああやっぱりそうだったのか、と思いました。
上記引用部以下で述べられている斎藤ひろむ氏の指摘・懸念は全く同感ですが、思いついて検索したら結構たくさんの人が同じような違和感を表明しているのですね。

ただ、逆の観点から怒っている人もいて感心しました。すなわち、
特攻隊員をかわいそうな人たちと哀れみ、同情する視点が許せない。
というものです。
つまり、特攻隊員を哀れむのは彼らの尊厳や誇りを汚すものだということでしょう。彼らの内心は葛藤もあっただろうが、自己犠牲への覚悟や誇りなど、様々なものもあったに違いない。彼ら一人一人の有様に丁寧に寄り添い、その心情を解きほぐしていくことなしに、簡単に「かわいそうな人たち」と見るのは個人の尊厳の冒涜だ、というようなことだと思います。

まあそれはその通りだろうなあ、個人の尊厳は大事だし、古今東西の誰を想起する場合でもその人自身に寄り添って考えることに意義があるのはもっともだと思うのですが、良くわからなくなるのは、大抵こういうことを言う人は反戦運動や平和運動は嫌いみたいなんですね。ここの連鎖がよく分からない。

戦争の国家責任を問い、日本の政府や社会へ反省を迫り、そして現代の私たちの戒めとし、非道なことを防ぐ仕組みを社会的に作る。こうしたことと特攻隊員(や旧軍の将兵)の尊厳を守ることとは矛盾しないと思います。そもそも平和運動や日本の戦争責任を追及する考え方と特攻隊員を「かわいそうな人たち」と一面的に見るという立場とは直接関係ありませんから。
むしろ彼ら個々人の唯一の人生を思うからこそ、この特攻作戦の立案から実施に至ったシステムとそのシステムの構築・維持に関わった者への怒りが湧くわけだし、後世に生きる私たちのできる唯一のことは、こうしたシステムを再び生み出さない、一人一人が自分の人生を輝かせることのできる社会を作るという努力しかないのではないかと思うのですけれども。
それは、一朝事あるときには勇ましく闘って(殺し合いをして)死ぬ(殺される)ことをいとわない心構えを作るということとは違うでしょう。
「どんなに努力しても他国が万が一攻めてくる危険はゼロにはできないのだから、有事に備えて戦争する覚悟は必要だ」という主張の是非はこの特攻兵士を「かわいそうな人たち」と見ることの是非とは直接関係ないし、愛国心に富んだ勇敢な兵士の存在が国家の無謀・低劣な外交防衛政策を免責するわけでもありませんからね。

閑話休題。

知覧特攻平和会館のウェブサイトですが、現在も「中高生のための事前学習資料」は掲載されています。見てみたら、上記の斎藤ひろむ氏の引用は、かなり控えめにしてあることが分かりました。なかなか壮絶です。遊就館の展示か「つくる会」の教科書みたい。「問題集」ってのもあって、ハルノートとか答えないといけない(苦笑)。これを生徒たちは「平和学習」と言って学ばされるんですねー。そしてそれを公的施設がやっている、と。
あと、トップページで葬祭会館ぽい音楽を流すのは止めてほしい。

ところで、この事前学習資料には、特攻隊員の心情を深く理解して、一面的な人間像を描かないようにという意図があるんですよね。資料は次のように締めくくられています。

 事前学習を充実し、遺書・手紙を真剣に読めば読むほど、その奥にある特攻隊員の心が深く伝わってきます。
 表面だけの文字を読むだけでは、『かわいそうに・・・』という感想しか生まれません。
 起こってしまった特攻作戦、今となって悔やむだけでは何も生まれません。彼らの生き様から『何かを学ぶ』姿勢こそ、私たち残された者にとって大きな使命といえるのではないでしょうか。
つまり、「かわいそうな人たち」だと単に哀れみ同情するのは誤りだと言っているわけで、その意味では会館に対してこの種の不満を持つ人たちは基本認識は共有しているわけです。だから怒る方向としては「展示をもっと純化せよ」という方向しかない。
まあどうやってもこの方法は結局特攻を美化する方向を強調することにしかならないわけですけど。


« 一燈照隅のようになってしまっている社説 | トップページ | 忘れないうちにメモ »

世界記憶遺産問題」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/83801/61234131

この記事へのトラックバック一覧です: 知覧特攻平和会館についてのメモ:

« 一燈照隅のようになってしまっている社説 | トップページ | 忘れないうちにメモ »