[ネタ]英雄を賛美し鎮魂を祈る方向は世界記憶遺産向けには筋が悪い
うっかり見逃していたが、今年も申請していた。
知覧特攻を記憶遺産に再申請へ 南九州市、戦争関連の427件 - 西日本新聞(2015年06月04日 19時22分)
・6月15日に日本ユネスコ国内委員会に申請書を送付する。
・申請名称は「知覧に残された戦争の記憶-1945年沖縄戦に関する特攻関係資料群-」
・内容は遺書や隊員と交流があった女性の手紙など昨年から94件増の427件。
今回は女子学生が作った人形や小学生が隊員遺族に宛てた手紙など地域住民の視点がうかがえる資料を新たに追加し、戦争の悲惨さを客観的に訴えることにした。申請書(A4判15ページ)も史実の説明に力点を置いた。
会見した霜出勘平市長は「地域住民の資料からは戦争が総力戦となったことが分かる。二度と起こしてはいけないことを伝える重要な資料」と強調した。
「総力戦」や「二度と起こしてはいけない」という観点は普遍性があって悪くない。史実の説明に力点というのもいい。ただ、審査基準(後述)と整合的な説明になっていればいいのだけれども。
いずれにせよ、市(市長)の方針は昨年度に比べると少しはまともな方向へ転換したようで、やや安堵することではある。
特攻隊資料のユネスコ世界記憶遺産申請、外国人記者から鋭い指摘相次ぐ―中国メディア:レコードチャイナ(2015年5月15日(金) 21時57分)
申請の前月に外国特派員協会で記者会見をしていたらしい。頑張ったなあ(苦笑)。
同協会の告知によれば、静岡大学の M.G.Sheftall教授も会見に同席している。
※Sheftall教授の教員情報、氏の自己紹介(Frog in a Well Japan)。戦後の特攻隊像形成を南北戦争後の南軍側の自己像形成とだぶらせて見るという観点。興味深い。
レコードチャイナの記事は典拠が不明で困る。おそらく元記事はこれ。
日本欲为“神风特攻队”申遗 - 中国网事 - 告诉你互联网背后的中国(新华国际 2015-05-15 07:39:52)
レコードチャイナの記事はこの記事の一部しか翻訳してないし、元記事のニュアンスも伝えていない。記者会見中の質疑応答にも一部略しているものもあるし、市長らの答弁のニュアンスがどうだったのかは曖昧だ。
で、本件とつながりがあると思われるのだが、下記のような出来事があったらしい。
産経記事は見ないことにしているので、はてなブックマークにリンク。
はてなブックマーク - 特攻とナチスの虐殺は違う 鹿児島南九州市・知覧、「アウシュビッツ」との連携見直しへ 遺族らから反対意見相次ぐ(1/2ページ) - 産経ニュース
さきの大戦末期、旧日本陸軍の特攻基地「知覧飛行場」があった鹿児島県南九州市が、アウシュビッツ強制収容所跡地のあるポーランド南部の都市と進めていた友好交流協定について、締結見直しを検討していることが24日、分かった。特攻隊員の遺族らから「ナチスによるユダヤ人差別・虐殺の象徴と、特攻基地を同一視すべきではない」などとする反対意見が相次いでいるためで、市は仕切り直しを余儀なくされそうだ。(南九州支局 谷田智恒)
……後略
連携についてはこういう経緯らしい。
知覧とアウシュビッツ平和へ連携 : 最新ニュース : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)(2015年07月16日)
知覧特攻平和会館を運営する鹿児島県南九州市は15日、ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺の象徴となったアウシュビッツ強制収容所跡があるポーランド南部オシフィエンチム市と友好交流協定を結ぶ方針を明らかにした。同会館では特攻隊員の遺品を紹介しており、両市は連携して平和の尊さなどを世界の国々に発信する考えだ。南九州市の説明によれば、南九州市によると、旧陸軍知覧飛行場跡にある平和会館での同市の取り組みを知ったオシフィエンチム市のアルベルト・バルトッシュ市長から5月末頃、連携を働きかける親書が霜出しもいで勘平市長に届いた。これに賛同した霜出市長は今月8~12日、さっそくオシフィエンチム市を訪れ、協定締結を確認し合ったという。
南九州市は9月21日の国際平和デーに合わせ、世界各国の学生らが平和について考えるイベントを市内で開催し、バルトッシュ市長も招待して協定を結ぶ予定。
1.オシフィエンチム市から呼びかけがあった。
2.南九州市の市長が賛同して話が進んだ。
ということらしい。
それに対して、
・特攻隊員の遺族らから「ナチスによるユダヤ人差別・虐殺の象徴と、特攻基地を同一視すべきではない」などとする反対意見が相次いでいる
とのこと。
もったいない話だなあと思う。
遺族などの主張の詳細がよく分からないけれども、ユダヤ人虐殺と連携することは世界記憶遺産の認定には有益になると思うので、こうやって特攻遺書などの資料的価値を狭める動きは、記憶遺産認定を推進したい側には残念なことだろう。
世界記憶遺産に関するユネスコのガイド文書(MEMORY OF THE WORLD REGISTER COMPANION (pp.8-12) )によれば、審査基準 criteria には、
・本物であること Authenticity
・世界的な意義:固有性がありかけがえがないこと World significance; unique and irreplaceable
が必要で、それに加えて、下記の条件
・時代的重要性(歴史上の重要性。政治、思想、文化、社会等の変動に影響があったなど)
・地域的重要性(世界的意義がなくても、その地域の歴史・文化に有意義であること)
・対人的重要性(強い影響力を持った人物・集団と本質的な結びつきがこと)
・主題的重要性(歴史上重要なテーマや歴史展開との関連があること)
のどれか一つ以上を備えていることが求められる。(なお、国内選考では少し条件が異なる。)
参考1:上記ガイドの文科省による仮訳
参考2:別紙1 ユネスコ記憶遺産(国際登録)の国内公募における選考基準:文部科学省
参考3:ユネスコの2002年時点のガイドライン
参考4:文科省による上記ガイドラインの翻訳
これによれば、特攻遺書が世界記憶遺産となるには、何らかの世界史的観点からの意義(World significance)を説明する必要があるのだが、アウシュビッツとの連携はその点で一つの有力な方向性となり得る。20世紀後半の総力戦体制下においてファシズム国家が人間をどのように扱ったかという普遍的な世界史的テーマと結びつくからだ。従って、この方向を取らないというのであれば、知覧の特攻遺書は記憶遺産認定への大きなカードを一つ失うことになる。
遺族などがおそらく求めているのは、特攻と特攻隊員を負の歴史として見ないでほしいということではないかと推察する。理不尽で非人間的な命令にさらされながらも、過酷な境遇を敢えて受け入れ、愛する人々と故郷を守るために従容として死に赴いた優しく強い人たちという人間像、悲劇の中の英雄としてのイメージを守りたいということではないか。
特攻隊員らが立派な人たちであったというイメージは、別に知覧がアウシュビッツと連携することとは何ら矛盾しない。それどころか、迫害されたユダヤ人たちも絶望的な状況の中で最後まで生きようとした立派な人たちであったわけで、悲劇の英雄という点ではむしろ共通性が高いとも言えないこともない(1)。
あるいは、知覧をかつて巨大な犯罪が行われた忌むべき場所というふうに見られたくないということかもしれない。虐殺された無数の人々の怨念のこもった土地、例えば、合戦場や刑場の跡、争いに負けて処刑された人々の墓場などのように、恨みがこもった忌み地、呪われた場所というイメージが付くのが嫌だということかもしれない。
この気持ちは分からないでもない。実際、フクシマや水俣にはそういう刻印がなされている。ダークな土地というイメージを忌避したい、そういう土地の住民だと思われたくないという感情はなかなか否定しがたいものがある。ただ、その一方で特攻基地であった歴史をまちおこしや観光振興の大きなよりどころにしようとする動きはしっかりとあるわけで、「特攻隊のまち」というイメージをPRしつつ、特攻の本質である「国が組織した自爆テロ型作戦」という負の部分は背負わないというのはなかなかにブランドコントロールが難しい部分ではある。
いっそのこと、古戦場や城跡のように、あるいは偉人だけに焦点を当てた「明治維新」などのように、「歴史ロマン」一色にしてしまえばまだいいのだろうが、兵の遺書や隊員の生活、人生という生々しいものをウリにする以上、血なまぐさい死の現実から逃れることは難しい。そして、そういう生々しいものを売らないと、特攻基地跡の観光的価値はさほど大きくはならない。特攻基地跡は各地に点在しているが、知覧が抜きんでて観光的に成功しているのはこの特攻平和会館があるからだろう。
私は、特攻が持つ負の側面(というか本質)を正面から取り上げ、忌み地としての側面を敢えて引き受けることで、知覧が持つ価値が高まり、観光地としても一皮むけた深みを持てるのではないかと思うのだが(実際、アウシュビッツとの連携は平和思想というクリーンなイメージをグローバルにアピールする良い機会になる。アウシュビッツに宣伝用の展示を置いてもらえるかもしれないし)、地元の人たちにそうした考えがないのであればどうしようもないわけで、以下では敢えて「特攻隊=美しいもの」という趣旨で記憶遺産を狙うアプローチを考えてみる。
1.世界史的な意義をどうアピールするか。
「運命に翻弄されつつも、愛する者のために立派に散っていった人たち」という観点は古今東西に枚挙にいとまがないほどあるので、これを前面に押してもアピールは弱い。「国を守った人たち」という観点も、先の戦争がアジア侵略と切り離せない以上、一国を超えた歴史的意義を持ちにくい。
一つの方向性は、「なぜ特攻隊員はこのように立派に死んでいこうという意識を持つに到ったのか」「このような愛国思想を強く持つ人たちがなぜこんなに多数生まれたのか」という観点から、国家と思想との関係を掘り下げるというテーマを持つことである。例えば、江戸末期からの国粋思想の展開が大正・昭和にかけて国民運動化していくプロセスを背景として、非欧米地域における近代化・国家主義の思想的動員というテーマとすれば、他の後発諸国における民族主義や国家主義の高揚と合わせた普遍的な価値を持つことができる。
この方向であれば例えば靖国神社の展示などもそうした精神性の表現として貴重な文書となるかもしれない。それはさておき、そうした愛国思想の発露として遺書群を見直すことで、特攻隊の精神性を世界史的な主題に位置づけることができるかもしれない。
もう一つの方向性は、「特攻隊=究極の自己犠牲精神の組織化」という固有性を訴えることである。古今東西の戦争で自己犠牲的な行動は珍しくないと思うが、それを軍全体で組織化して実行したという点が日本の特攻隊の特異性である。ここに固有性、ユニークさがあるので、ここをアピールする。その自己犠牲精神の証拠文書としての価値を強調する方向性である。ただ特攻隊の特殊性や歴史的重要性を強調するのも限界があるし、遺書をその重要な証拠とするのもいささか苦しい。
2.どういう観点で重要性をアピールするか。
日本がアジア太平洋地域でやらかしたことには確かに世界史的意義があるので、特攻隊がそこに関係しているのは本来は遺産認定上のメリットである。しかし日本の戦争の侵略性や非人道性を抜きにして特攻隊の美点のみを「重要だ」とするのはなかなか難しい。
特攻隊は、それが歴史を変えたというほどのインパクトを持たなかったし、歴史の流れを語るときにそれがなければ説明が付かない不可欠の要素というほどのものでもない。また、遺書群は歴史上重要な人々に深く関わる文書でもない。日本という狭い地域に限って重要性を求めるにしても、政治や社会上の大きなうねりを引き起こしたり何かの大きな事象の契機となったものでもない。
従って、今ひとつパンチが足りないのだが敢えて強調するとすれば、地域的重要性として、「特攻隊」というイメージが戦後日本の政治潮流に強い影響を与え、それが戦後の東アジア情勢を左右する基底となっているというアプローチだろうか。つまり、日本人の戦争理解と歴史解釈を形成した重要書類としての位置づけである。ただ、これも日本の戦後史からは確かに成り立つ論点だが、遺書群自体が持つ歴史的影響力という点では説得力が弱いと言わざるを得ない。
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おふざけはこれぐらいにして、ちょっとまじめに書く。
やはり遺書群だけでは記憶遺産認定には弱いのではないか。この点については以前も少し書いた。
・知覧の特攻隊資料が世界記憶遺産に申請という件: 思いついたことをなんでも書いていくブログ
・記憶遺産:特攻隊員の遺書は落選。: 思いついたことをなんでも書いていくブログ
ましてや負の遺産という視点を正面から引き受けない姿勢では、普遍的な価値を訴える余地はますます小さくなってしまう。
旧知覧町・南九州市という決して財政的に恵まれていない自治体がこうした取り組みを続けることの苦労と意義には大いに共感するものだが、従来のようなロマン的・保守的・右翼的な方向性では国際的な価値を得るには限界がある。
一自治体として資料の保全と充実を続けることが難しくなる中で、箔付けによって財政的効果を得ようとする方向は間違ってはいない。ただ、そうするには負の側面も含めた普遍化が必要になり、そうすると今回の遺族らのような反発が内外から現れる。そしてこうした保守的な人たちが従来の主たる支持者であった以上、彼らの意向を無視することはできない。だがそうすると記憶遺産の認定は遠くなってしまう。こういうジレンマに直面しているわけである。
結局、市としては次のような方向性ぐらいしかないのではないか。
土地柄を考えると今後も平和主義的な方向転換は難しいだろうから、遺産申請は話題作りの一環と割り切って継続する一方、その都度高まる国際的批判には現在のような曖昧な回答でお茶を濁す。展示の現状は右翼的歴史観が強く、愛国主義的な人たちの受けはいいので、これを持続しつつ、公的立場からはこれ以上そこには踏み込めないから、靖国神社や日本会議などとの共通性は暗黙裏のものとする。
できれば、別の民間法人を作って切り離してしまった方がたぶんすっきりするし、その方が愛国的な人たちとの連携もやりやすくなるのだろう。日本美化の聖地の一つとしてブランド化する方が、土地柄にも合っているのではないかと思う。
もっともそうなれば、私のような人間にとってはもはや軽侮の対象としかならないわけだが。
※南九州市は「平和を語り継ぐ都市」宣言を2008年にしており、毎年「平和へのメッセージ」というスピーチコンテストを開催している。昨年(2014年)のコンテストの記念講演は金美齢氏の「21世紀を向かえて、次代に伝えたい美しい日本の心」であったという。念のため付言すると、歴代の記念講演者の流れを見る限り、そこには特に思想的脈絡はないようではある。
追記(2016年1月21日)
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(1) もちろんホロコーストの犠牲者らを立派な人々として何か美しく気高い存在であるかのように総括してしまうのも誤りである(参考1)。収容者の中でも、おぞましく人間性を疑われるようなことをした人々はいた。だが、そのことは彼らが死んでもいい人間、殺されても仕方ない人間だということを意味しない。きわめて当たり前のことだが、収容者にも様々な人がおり一人ひとり固有の状況があったということに過ぎない。そしてそれは特攻隊員についても同じことである。限界状況にあっていかなる言動をしていたとしても、彼らはみな等しく「立派」である。それは、我々一人一人がみな「立派」――砕いて言えば「世界に一つだけの花」――であるのと同じことである。
我々のなすべきことは、彼らを「特攻隊員」とか「ホロコースト犠牲者」とかいう「何か」として偶像化することでもなければ、極限状況で見せた彼らの生きざまを成績評価して立派だった人とそうでなかった人とを選り分けることでもない。我々のなすべきことは、彼らのすべてを、本来ならそうなるはずがなかった人たち、時代や運命に翻弄された――もう少し強く言うと、人生を狂わされた人たちとしてみることであり、彼らの運命を狂わせたものが何であったのかを問うことである。
参考1:拙ブログ記事「重さ」。ビルケナウ強制収容所のサバイバーであるエバ・シュロスさんに関する朝日新聞記事を紹介している。
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