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2015/07/15

それは当たり前。

山本弘のSF秘密基地BLOG:お前の行為はアイコンに恥じないものなのか?(2015年07月13日)

 同じことは日の丸アイコンについても言える。
 もちろん、アイコンに日の丸を使うこと自体は、べつに悪いことじゃない。 日の丸を誇りに思うなら、胸を張って使えばいい。
 でも、日の丸アイコンの奴が汚い言葉を書き殴ってたり、差別的なデマを拡散したりしているのを見ると、すごく複雑な気分になる。

 お前の行為は日の丸に恥じないものなのか?
 日の丸を自分で汚してるんじゃないの?

山本氏はポリティカルに「お前の行為は日の丸に恥じないものなのか?」と言っているのかもしれないが、しかしこの「俺も愛国者なんだけど」というエクスキューズがいかにも嫌らしい。相手にすり寄る必要はないのである。
…まあご本人が「愛国者」なのならどうぞご自由に(苦笑)という感じだが。

それよりももっと重要なことは、日の丸アイコンを使うこと、言い換えれば日の丸を自らのアイデンティティの中に取り込み、自己表現として積極的に利用する心情の本質は、そもそも「汚い言葉を書き殴ってたり、差別的なデマを拡散したり」する心情と切り離せないということだ。

言い換えれば、日の丸にはその種の差別性が不可避的に織り込まれている。
日の丸賛美者が持つ攻撃性やその表現形式は歴史の中で生み出されたものだが、そもそも「愛国心」が持つ排外主義的本質でもある。

「日の丸に恥じないのか?」という問いかけ・呼びかけは、同時に「お前は日本人=誇り高い国民」ではないのか?という問いかけでもあり、それは即ち「他の低俗な連中=外国人ではないんだろ?」という呼びかけである。
日本の場合、この「お前は劣等民族とは違う人間のはずだろ」というメッセージは、非白人、とりわけ中国や朝鮮韓国人への差別感情と結びついて、彼らへの攻撃性へ転化する。
簡単に言えば、愛国心や日本人としてのアイデンティティを鼓舞する表現は他の民族・国民への蔑視と迫害を強化するということだ。

繰り返す。日の丸アイコンは排外主義や差別を切り離せない。
「日の丸を誇りに思う」からこそ「汚い言葉を書き殴ってたり、差別的なデマを拡散したりしている」のである。


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