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2015/07/24

「元官僚」コンサルのPR記事を読んで就活について何となく思うこと

元経産官僚、肩書捨てて見た地獄とは? 宇佐美典也さん:朝日新聞デジタル(2015年7月24日11時31分)

高慢さが鼻につく「良くも悪くも空気が読めない」人柄が感じられるインタビューだけど、それよりも「ああ、そうだろうなあ…」と思わされるところが面白かったのでいくつかピックアップしておく。

・「元官僚という重々しい肩書を収入につなげる」

1人で生きていくうえで大事なのは、誰にでもわかるようなシンボルをつなぎ合わせてストーリーにし、他人に理解してもらう『セルフブランディング』。例えば、国の制度を説明するにも、どこの馬の骨かわからない『ただの物知りの宇佐美典也』が説明するのと、『元経産官僚で現在は会社を経営し国と民間両方の立場がわかる宇佐美典也』が説明するのでは、説得力が違うでしょう。自分の経歴に対する世間のイメージと合った情報発信を繰り返すことで、少しずつ『元官僚で再生エネをやっている人』というストーリー・ブランドが浸透し、それが稼ぎにつながってきました。貧乏したこともありましたが、いまの収入は官僚時代よりも多くなりました」
……中略……
「例えばイベントサークルや広告研究会で活動していた学生が『コミュニケーション能力に自信があります』とアピールしたら面接担当者は『そうかもね』と思います。一方、数学理論を研究する学生が、コミュ力ありますと言っても、『?』でしょう。数学研究という自らのシンボルと、相手に伝えたいストーリーがずれているからです」
コンサル業らしい見方だなあ……と。
ちょっと面白いのは「自分がどうありたいか」に全く触れていないところ。「他人が自分をどう見るか」に徹底的に迎合して、そのイメージに乗って自分を売り込む。
確かに、ステレオタイプを利用して相手のイメージに入り込み、そこから口車に乗せるというやり方には一定の有効性はある。
それに、「官僚時代より稼げるようになった」とのこと。「元官僚」なのに柔軟で話が分かる人、というイメージに上手く乗せられてしまう組織がたくさんあるっていうことですなあ。廃業するコンサルが多い中でうらやましい限りである。

しかし元々この人は「セルフブランディング」を蓄積してきた人らしいのである。

・経産省在職中からブログで「給与明細や官僚の生態など」をネタに話題を集める。
・「官僚」ブランドで本を書いてイメージ作り。
・「肩書き捨てたら地獄だった」とか「挫折した元官僚が教える」とかいうグッと来るタイトルで本を書く。

そのおかげで大手の記事になり、ネットに上がり、そして知名度が上がってこのネタで講演依頼なども増えてくるという好循環。
「こういう特徴のある人」というイメージを上手く広げて成功するという一つの形だなあ、と。この毎日新聞の記者さんもばっちり填められてるし。


最後に、これは参考になるかもなあというところを。

・会社説明会などより身近な大人の現実を見ようという話。

「就活している上で見落としがちなのは、OB訪問とか会社説明会とか、外の人から得られる情報は本音じゃないってことです。結局、他人です。いいことしか言いません。それよりも、自分の父親や親族などの人生を見るべきです。例えば父親は何十年も働いてきて、どういう人生をたどっているか。

・身近な大人に自分のイメージを聞いてみると自己分析によいという話。
過去にお世話になった人、例えば高校の恩師や部活のコーチ、仲間に会いに行って『自分ってどういう人間でしたか』と聞いてみるのも自己分析をする上で役立つでしょう。
まあ、これは就活業界ではよく言われる常識的なメソッドだけれど。

・身近な大人(仕事をしている人)に「あなたがいいと思う会社を教えてくれ」と聞いてみろという話。

結局、最後の最後に頼れるのは利害関係のない地縁や血縁、小中高や大学の友人です。その人たちは自分が気がつかなかった世界をけっこう知っていて、惜しげもなく協力してくれたりします。例えば、父親や親戚のおじさんに『いいと思う会社、伸びると思う会社を100社教えて』と頼んでみては。きっと目に入らなかったいい会社をいっぱい教えてくれると思いますよ」
まあ、
1.どういう意味で「いい」とその人が思っているのか
・その「いい」会社は経営的に or 労働条件的に大丈夫なのか
・そもそもその会社は新卒を募集しているのか
などなど、どれくらい「ネタ」として使える情報になるかは心許ないけれども、まあ、自分の身近で意外に満足度が高そうな会社というのを取材するにはいいかもしれない。

もっとも、私の身近にいる人たちの就活の話を聞くと、「身近な大人を利用する」人は実は割と多かったりする。親から業界の事情を聞いて会社を探す人や、知り合いのコネや紹介を生かす人や、先輩や先に就職した友人から「あの会社がいい」とか「あそこは止めておけ」という話を聞いて参考にする人とかが多い。
たぶん、「就活」という型にはまってパターン通りの動き方をしてしまう人だけでなく、もっと柔軟で融通無碍に動いて「就活」をする人たちというのが相当数いるのだと思う。それが本来のあり方だと思うし、実際そういうふうにして社会に入っていく人たち……経団連や大学やリクルートなどが決めた「就活」の枠に填らない人たち……が沢山いるというのは、何となく心強いなあと思ったりもする。

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元経産官僚、肩書捨てて見た地獄とは? 宇佐美典也さん:朝日新聞デジタル(2015年7月24日11時31分)

■就活する君へ
 東大卒で経産省官僚――。宇佐美典也さん(33)は、この絵に描いたようなエリートコースを、たいした理由も展望もないまま7年半で降りました。その後に見えたことは「肩書を捨てたら地獄だった」。頼るものを失ったとき、個人としていかに稼ぐか。最後に頼りになるのは何か。その体験談は就活にも参考になりそうです。

     ◇

 ――自身の就職活動はどうでしたか。

 「東大の仲の良い同級生に公務員試験を受けるやつが多かったので、自分も受けてみようかな、という程度の理由で国家公務員を目指しました。もともと東大を志望したのも、好きな女の子が目指していたから。自分の半径5メートルの世界に流されがちなんです。経産省の面接では『社会を豊かにしたい』と言っていて、確かにそうも思っていたのですが、今振り返ると本当のところは周りに流されていたにすぎないように思います。大学時代はマージャンしたり、クラブでバイトしたり、フットサルのイベントを開いたりと不真面目にぷらぷらしていました」

 「民間企業もインフラ系とか金融とか10社くらい受けました。当時は『意識高い系』だったので、できるやつは外資コンサルに行くみたいな風潮に乗って、『じゃあ俺も』って外資も受けました。外資のナントカっていうすごそうな名前の企業から内定をもらったという実績が欲しかっただけで、ただの虚栄心です。公務員試験は受けないと約束するなら内定を出すというので、うそをつこうかなとも思ったのですが、自分が内定を得たら、その分一つイスが埋まっちゃうわけで、必死にやっている人に悪いなと思いました。立場によってはうそが必ずしも悪いとは思いません。ただ、学歴が高い人で内定もらった数を誇る人っていうのは、他人のことを考えていないという意味で、視野が狭く恥じるべきだと思います」

 ――高い学歴なのにたくさん内定をとる人と、取れない人は何が違うのでしょうか。

 「やっぱり癖がなくて、人と組んで何かをできる、そういう経験がある人というのは、一緒に働きたいと思われやすいのではないでしょうか。独りで黙々と何かをやってきたという人は、人と組んだときに相性の善しあしが強く出ると思います。逆に独りで何かをやれることが強みでもあります。別に内定をたくさんとることがいいことではないですから」

 「複数内定をもらった場合に選ぶ基準は、まず第一に自分が『生きやすいかどうか』ですね。あと、社会の大きな流れというものは変えられない。10年後、20年後を見据えたときに、この会社はどうなっているかを簡単に想像できるような会社はいいですよね。伸びているだろうと想像できれば、自分の能力も伸びるだろうし、待遇も悪くないでしょう。でも、予想に反して会社が傾いたとしても、人生は山あり谷あり。死ぬわけじゃありません」

 ――どうして経産省を辞めたのですか。

 「直接的な理由は干されたことです。会議で局長クラスに意見して、場の雰囲気を壊したり、国会議員に政策内容を説明する場面で率直に意見してお目付け番をつけられたり。仕事はきっちりやっている自負があって、年功序列的な価値観を全く受け付けていなかった。良くも悪くも空気が読めなかったので、霞が関では浮いていたでしょうね。民主党政権のときでした。手がけたプロジェクトが大きな成果を上げて、お祝い気分で1人でバーで飲んでいたときのことです。隣席の女性客に絡まれました。2時間くらい『あんたたちのせいで日本はダメになった』みたいなことを言われました。官僚の肩書で、この先やっていくのはしんどいなと。それよりも個人で勝負したい、評価されたいと思いました」

 「僕の経産省同期は40人いたのですが、残っているのは20~25人くらい。民主党政権の誕生前後にけっこう辞めました。自分が追い求めている社会観と政治が違う方向に向かっていると思い始め、自分のビジョンと官僚という肩書が一致しなくなりました。それから、自分のやりたいことは何だろうと向き合い始めました。就活のときに考えるべきことですが、10年遅かったですね」

 「退職を決意したのは東日本大震災です。人生1度きり、自分の思いに準じようと。辞めるときは、怖さよりも高揚感が勝っていた。貯金わずか250万円でしたが、冒険の始まりだと希望に満ちあふれていました。そのときは貯金が1千円まで減るとは思ってもいませんでしたよ。肩書がなくなると人は離れるし、貯金はどんどん減っていくし、惨めでしたね。部屋で見つけたゴキブリの生命力に感銘を受けて、生態を研究したこともあります。地獄でしたね」

 「いまは経産省時代に培った法律や制度に関する知識を糧に、会社でコンサルタント業や再生可能エネルギー電源の開発をしています。元官僚という重々しい肩書を収入につなげるまで1年半くらいかかりました。1人で生きていくうえで大事なのは、誰にでもわかるようなシンボルをつなぎ合わせてストーリーにし、他人に理解してもらう『セルフブランディング』。例えば、国の制度を説明するにも、どこの馬の骨かわからない『ただの物知りの宇佐美典也』が説明するのと、『元経産官僚で現在は会社を経営し国と民間両方の立場がわかる宇佐美典也』が説明するのでは、説得力が違うでしょう。自分の経歴に対する世間のイメージと合った情報発信を繰り返すことで、少しずつ『元官僚で再生エネをやっている人』というストーリー・ブランドが浸透し、それが稼ぎにつながってきました。貧乏したこともありましたが、いまの収入は官僚時代よりも多くなりました」

 「セルフブランディングは、就活にも応用できます。例えばイベントサークルや広告研究会で活動していた学生が『コミュニケーション能力に自信があります』とアピールしたら面接担当者は『そうかもね』と思います。一方、数学理論を研究する学生が、コミュ力ありますと言っても、『?』でしょう。数学研究という自らのシンボルと、相手に伝えたいストーリーがずれているからです」

 ――最近は親がエントリーシートを書くと言われるほどたくさんの会社に応募する学生が多いそうです。主体的に企業選びをする上で、どのような情報収集が必要でしょうか。

 「目標のために人の力を借りることは悪いことではありません。けれども、借りるという範囲でおさめないと。外面を取り繕って内定とっても、いずれ外面ははがれ落ちます。自分にとって本当に必要な組織にめぐり合った上での内定じゃないと続かないでしょう」

 「就活している上で見落としがちなのは、OB訪問とか会社説明会とか、外の人から得られる情報は本音じゃないってことです。結局、他人です。いいことしか言いません。それよりも、自分の父親や親族などの人生を見るべきです。例えば父親は何十年も働いてきて、どういう人生をたどっているか。1回くらい飲みに行って仕事について語り合って、自らの職業観を描いてみる。過去にお世話になった人、例えば高校の恩師や部活のコーチ、仲間に会いに行って『自分ってどういう人間でしたか』と聞いてみるのも自己分析をする上で役立つでしょう。案外、灯台もと暗しなものです」

 「多くの学生は就活中、大企業しか見えていないでしょう。もちろん、新入社員を社会人としてある程度の規格生産品にしてくれる大企業の教育環境はありがたい。5年後、10年後の自分に、または会社の未来に確信が持てないなら大企業を目指せばいい」

 「高学歴な人ほど地縁や血縁からは離れたところで生活しがちです。一方、肩書を捨ててわかったことですが、結局、最後の最後に頼れるのは利害関係のない地縁や血縁、小中高や大学の友人です。その人たちは自分が気がつかなかった世界をけっこう知っていて、惜しげもなく協力してくれたりします。例えば、父親や親戚のおじさんに『いいと思う会社、伸びると思う会社を100社教えて』と頼んでみては。きっと目に入らなかったいい会社をいっぱい教えてくれると思いますよ」

     ◇

 うさみ・のりや 1981年、東京都生まれ、東大経済卒。経済産業省に入り、経済産業政策局、産業技術環境局で企業立地促進政策や技術関連法制を担当。その後、国立研究開発法人「新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)」に出向し、電気・IT分野のプロジェクトを立案。在職中、自身の「三十路の官僚のブログ」で給与明細や官僚の生態などをつづり話題に。

 2012年、経産省を退職。いまはエネルギー・不動産関連会社「Absolute Global Assets」取締役として再生可能エネルギー電源の開発・仲介取引、再生エネルギー分野の法務コンサルティング、省エネ商材の販売など手がける。

 著書に「30歳キャリア官僚が最後にどうしても伝えたいこと」(ダイヤモンド社)、「肩書き捨てたら地獄だった ―挫折した元官僚が教える『頼れない』時代の働き方」(中公新書ラクレ)

■記者のひとこと

 斜陽産業といわれる新聞業界に身を置く私にとって、年齢が一つしか変わらない宇佐美さんが、30歳そこそこで超がつくほどのエリートコースを降りたことを「なんてもったいないことを」と思っていた。一方、「どんな変わり者だろう」と興味があった。

 弁舌鋭いブログの書きぶりから、冷静沈着で理路整然といった姿を想像して取材に臨んだが、語り口は意外に穏やか。プライベートな話も赤裸々に語り、よく笑う人で肩の力が抜けた。仕事もいっしょ。思い込みを捨てて他人からの視線を気にしなければ、もっと楽しく生きていけるし、そんなの簡単なことだよ、と言われているような気がした。(佐々木洋輔)


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