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2015/09/04

陶器製手榴弾についての記事のメモ

9月17日に毎日新聞大阪版夕刊で第3回目の記事が出る予定とのこと。

日本の陶器製手榴弾について - Togetterまとめ

ぶんかのミカタ:戦争と考古学/上 陶器製手榴弾の伝説正す=立命館大学文学部教授・木立雅朗 - 毎日新聞(2015年08月20日 大阪夕刊)

 戦争と京都は結びつかないように思われる。しかし、戦時中、京都では陶磁器で毒ガス精製装置の一部を製作していたし、ロケット燃料精製装置も製作していた。二宮金次郎の陶製像は銅像と交換することで金属供出の助けとなった。末期には陶器製手榴弾(しゅりゅうだん)も製造した。焼き物産地は、軍需品を製造することで、徴兵で失った労働力を補い、不足していた燃料の供給を受けて優遇されたという。

 京都は長い歴史をもつ伝統の街だが、最先端の文化や技術を取り入れ続けてきた。そのため京都の伝統産業は先端産業でもあり、当然、軍需産業にも転用可能なものであった。

 陶器製手榴弾は備前でも京都と同じ形のものが作られていた。また、京都とは違う丸形のものが有田、信楽、瀬戸、そして美濃などでも作られていた。信楽、丹波では陶器製地雷を焼成し、実戦に使用された。著名な焼き物の産地は、残らず軍需品を焼成していたと思われる。

 陶器製手榴弾は、終戦間近に作られた愚かな武器として有名である。しかし、学術的な研究は少なく、各地でいくつかの「伝説」が語り継がれていた。

 備前焼の産地では「備前焼は硬いから選ばれた」と伝えられていたが、実際には著名な産地はほとんど陶器製手榴弾をはじめとする軍需品を作っていた。

 また、多くの窯元で陶器製手榴弾がデッドストックとして残ったため、「戦争に間に合わなかった」とも伝えられていた。けれども、沖縄本島や硫黄島では陶器製手榴弾が遺骨収集や不発弾の処理作業で見つかっている。鹿児島県、高知県、神奈川県など、米軍の本土上陸が想定されていた地域からも出土している。これらは有田、信楽、瀬戸などの製品だが、産地が判明していないものもたくさんある。京都、備前、美濃で作られたものは、まだ戦地では見つかっていない。備前や京都は大阪砲兵工廠(こうしょう)に一度は出荷したというから、今後、出土する可能性が残っている。

 「陶器製手榴弾は自決用だった」と言われることもあるが、実際には最後まで本土決戦を戦い抜くための兵器として開発された。最終的に「自決」せざるを得ない場面に追い込まれたため、そのような伝説が生まれたのだろう。

 陶器製手榴弾をはじめて考古学的に検討したのは、学生の卒業論文だった。2004年、立命館大学学生だった萬野翔子さんは、各地の陶器製手榴弾を考古学的に集成し比較する中で、このような「伝説」の誤りを正した。

 陶器製手榴弾に関する文書はほとんど残されていない。終戦直後に軍関係の文書が廃棄されたためである。開発を手がけた人々も、証言や記録を残さなかった。戦争中、軍事機密は一部の人々にしか知らされなかったため、関係者ですら詳細を知らされていない場合があった。その結果、考古資料だけが、雄弁な資料として残されたのである。

 考古資料は、警察の捜査にたとえるならば、「物的証拠」である。自白や文書とは異なり、決定的な証拠として採用されることが多い。物言わぬ考古資料に、語り部やわずかに残された文書の情報を継ぎ足すことで、より深い歴史的検証と追体験が可能になる。

       ◇

 戦後70年。記憶の風化が案じられる中、考古学で何が明らかにできるのか。考古資料から戦争の実態に迫る2人に寄稿をお願いした。=次回は27日

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 ■人物略歴

 ◇きだち・まさあき

 1960年石川県七尾市生まれ。立命館大学文学部卒業。専門は窯業考古学・京都学。主な論文に「須恵器窯の歩き方−篠窯跡群分布調査のために−」「信楽焼陶器製地雷について−聞き取り調査と研究ノート−」、編著に『陶器製手榴弾弾体の考古学的研究』など。

ぶんかのミカタ:戦争と考古学/下 いまだ地中に多数の痕跡=芦屋市教育委員会学芸員・竹村忠洋 - 毎日新聞(2015年08月27日 大阪夕刊)

 2002年、兵庫県芦屋市の西部に位置する津知遺跡の発掘調査で直径が約12メートル、深さが1・5メートル以上ある近現代の巨大な穴の一部が掘り出された。この穴を観察してとても不可解だったのは、その周囲の地層が盛り上がっていたことである。

 このような隆起は何らかの巨大な力が加わらないと生じないのではないか。そう思いながらも、その正体を突き止められずにいたところ、調査地の近くに住む方から、この穴が大型爆弾の爆発によってできたものであるという証言を得ることができた。この証言に基づいて研究に取り組み、この穴が武庫郡本庄村(現在の神戸市東灘区青木)にあった川西航空機甲南製作所を攻撃目標とした1945年5月11日の空襲で投下された250キロ爆弾の爆発によってできた爆弾穴であることを明らかにした。

 この研究をきっかけに、これまでに芦屋市内で発掘された太平洋戦争に関わる遺構・遺物について調べてみると、防空壕(ごう)跡、空襲の火災で焼けた焼土層やがれきを埋めた穴、米軍の焼夷(しょうい)弾や弾丸・薬莢(やっきょう)、空襲の火災で溶けたガラス瓶や表面が発泡した磁器片、赤く焼けた瓦片など、数多くの事例があることがわかった。いずれも空襲に関連するものである。これらの発掘事例を踏まえると、芦屋市内の地中には、想像している以上に多数の太平洋戦争の痕跡が保存されていると考えることができる。

 ところで、過去の調査記録を調べていくと、太平洋戦争に関わる遺構は、古い時代の遺構や地層を壊した穴などとみなされ、発掘調査報告書などに詳しく記されていないことが多くあった。これは地方自治体などが実施する埋蔵文化財の発掘調査で、近現代の痕跡の多くが調査の対象となっていないためである。

 また、近現代の遺構の性格を断定することは極めて難しい。例えば、ある近現代の遺構を他の地下施設跡と区別して防空壕跡と判断することは、証言などを得ない限り極めて困難である。このように発掘される戦争の痕跡にとって、証言は大変重要である。しかし、戦争体験者の証言を得る機会は年々急激に減っているのが現状であり、調査・研究に取り組むにあたって焦りを感じている。

 戦後70年の歳月が流れ、地上にあった数多くの戦争の痕跡が姿を消し、現存しているものは非常に限られている。一方、地中には現在も多数の戦争の痕跡が保存されており、これからも数多くのものが発掘される機会があるはずである。私たちは、発掘される戦争の痕跡について、その価値をもっと重視すべきではないか。全国で戦争遺跡の調査・研究が進められているが、発掘される戦争の痕跡は、戦争の記憶を次の世代に継承し、戦争と平和を考える材料として、今後、その重要性がより一層増していくことであろう。=次回は9月17日

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 ■人物略歴

 ◇たけむら・ただひろ

 1971年兵庫県尼崎市生まれ。関西大学大学院修士課程修了。専門は考古学で、主に近現代を研究。主な論文に「兵庫県芦屋市で発掘された防空壕跡」「兵庫県芦屋市の戦争遺跡」「阪神地域で使用された煉瓦(れんが)」など。

テレビ朝日|モーニングバード コーナー「ニュースアップ」取り上げられた情報をチェック!(放送日 2015/08/14)

戦後投機された、陶器製手りゅう弾

埼玉県川越市の河川敷、ここにおびただしい数の「陶器のかけら」があります。実は、これらは「陶器で作られた手りゅう弾」です。

太平洋戦争末期、資源不足に悩まされていた日本。陶器で作られた手りゅう弾は、その当時、鉄製の手りゅう弾の代用品として作られたものなのだそうです。川辺にある手りゅう弾の破片について調査した鈴木松雄さん(74)によれば、市内の川辺にはかつて軍需工場があったといいます。そこでは地元の学生や女性たちが動員され、日々、陶器製の手りゅう弾が作られていました。そして、戦後、米軍の命令で軍事兵器はすべて火薬を取り、解体して捨てることになり、その際に川の中に捨てたのではないかと見ているといいます。

あすは終戦の日です。戦後70年の大きな節目であり、安倍総理の戦後70年談話にも注目が集まっています。そんななか、この陶器製の手りゅう弾は「知られざる歴史の証人」といえるでしょう。

●歴史を風化させないためのレプリカ

『陶製手榴弾 レプリカ』
価格:2160円(税込)
藤平陶芸 有限会社
住所/京都市東山区五条橋東6丁目5-3
TEL/075-561-3979
営業時間:9:00~17:00
定休日:毎週日曜日
※現在はお盆のため営業は19日(水)~
※現在、約30個の在庫あり

これらの陶器製の手りゅう弾の製造には、佐賀の有田焼や岡山の備前焼、京都の清水焼など日本の伝統工芸の技術が使われていたといいます。

こうした歴史を風化させないため、ある取り組みも始まっています。それは、陶器製手りゅう弾を模して作った一輪挿し。京都の清水焼のメーカーが、伝統工芸すら戦争に加担しなければならなかった、それも悲しい兵器に使われていた歴史を伝えていくという思いのもと、製造しているのだということです。

所さん!大変ですよ|2015/09/03(木)放送 | TVでた蔵(2015年9月3日放送 22:55 - 23:20 NHK総合)(魚拓

澤口俊之 徳永圭一 所ジョージ 牛窪恵 久保田祐佳 モーリー・ロバートソン

●(オープニング)
オープニング
最近、ネットオークションで物騒な武器が登場し、ちょっとした騒ぎになっている。それは手榴弾だ。問題の手榴弾は、なぜか埼玉の河原に大量に埋められていた。取材を進める中で明らかになったのはかつてアメリカを震撼させた、狸の里の極秘資料。

●一体なぜ!?ネットで売られる“謎の手りゅう弾”
オープニングトーク
ネットのオークションに手榴弾が売っているが、火薬は入っていないために爆発はしないという。問題手榴弾は埼玉の河原に大量に埋まっている。スッタフはハリウッドの撮影で使ったもの、謎の組織が埋めたものという推測を立てた。

●一体なぜ!?ネットで売られる“謎の手りゅう弾”
ネットで売られる!“謎の手りゅう弾”
スタッフが向かったのは問題の手榴弾が大量の見つかったという埼玉県のある町。手榴弾が埋まっているという河原に行くと土を一心不乱に掘る男性を見つけた。男性は手榴弾の残骸を探しているという。男性が指さした先には陶器で出来た手榴弾があった。手榴弾といえば「史上最大の作戦」(20世紀フォックスホームエンターテイメント)のような戦争映画でおなじみにの鉄で出来たものをイメージするが、戦争の遺跡を巡るのが趣味だというこの男性によれば、どうやら戦時中に埋められたという。

●一体なぜ!?ネットで売られる“謎の手りゅう弾”
戦時中に作られた武器 “陶器製手りゅう弾とは!?
河原に陶器の手榴弾が埋められていた理由について博物館の田中信館長が教えてくれる。河原の敷地に軍需工場があり、大量の手榴弾を作っていたが、戦争が終わり進駐軍に武器の廃棄を命じられたため捨てられたのだ。金属では無く陶器であった理由は金属が不足したからだ。製作が始まったのは戦争も終わりが近づく1944年で、粘土さえあれば、いくつも作れる陶器・磁器に目が向けられた。しかし、威力については「戦場で役に立たない武器」と言われた。

岐阜県に暮らす、全日本軍装研究会の辻田文雄代表は戦時中のアメリカの報告書を見せてくれた。報告書には威嚇用兵器でしかないと記載があり、辻田さんも「兵器としての完成度は低い」と語る。それでも100万を超える数が作られたのには、本土決戦兵器として考えられていたからだという。

さらに取材を進めると驚きの映像が見つかった、アメリカ国立公文書館の映像に映っていたのが、陶器製主榴弾を不思議そうに眺める米軍の様子だった。撮影場所は沖縄だった。スタッフは沖縄県平和祈念資料館で調査を進めた。する沖縄本島で20個以上の陶器製手榴弾が見つかっていたことが分かった。30年以上、遺骨収集を行っている具志堅隆松さんは遺骨収集の現場で遺骨のそばから10個以上の陶器製手榴弾を見つけた。

●一体なぜ!?ネットで売られる“謎の手りゅう弾”
スタジオトーク
陶器製手りゅう弾の実物がスタジオに登場。 中には人間国宝の山本陶秀が作ったものもある。澤口俊之は「当時の人は理性的に考えたんだと思う」とコメント。モーリー・ロバートソンはアメリカ軍が考案したコウモリ爆弾を紹介。

●一体なぜ!?ネットで売られる“謎の手りゅう弾”
信楽焼の兵器 “陶器製地雷”の真相!
スタッフが向かったのは、滋賀県甲賀市信楽町の信楽窯業技術試験場。ここには陶器製の地雷が保管されている。こうしたものを作った背景には陶器製の兵器を作って戦争に協力することによって“産地を守る”と当時の人が判断したからだという。信楽焼の窯元は陸軍に湯たんぽを納品していたのだが、この水が漏れないという技術が地雷に活かされたという。1944年、信楽は10万を超える陶器製地雷の発注を受けるが若い職人は戦地に赴いていていない。そこで、駆り出されたのが12歳から15歳の子どもたち1000人だった。実際に地雷作りをしていたという男性は7ヶ月もの間、地雷を作り続けたという。こうした陶器製地雷は硫黄島などの戦場で実際に使用されたという記録が残っている。

●一体なぜ!?ネットで売られる“謎の手りゅう弾”
スタジオトーク
陶器の地雷について澤口俊之は「日本人はいろんな技術を転用する創意工夫する能力が高い」とコメント。さらに牛窪恵は戦時中の技術が転用されている例として回転式展望レストランが戦艦大和の技術が転用されていると紹介した。

●(エンディング)
エンディング
エンディング映像。

川越の小川に大量の陶器手榴弾 戦後、投棄されたまま:朝日新聞デジタル(諫山卓弥、加藤丈朗2015年6月4日13時54分)

 太平洋戦争中、旧日本軍が全国の焼き物生産地で作らせた陶器製手榴弾(しゅりゅうだん)の破片が埼玉県川越市の小川に大量に投棄され、野ざらしになっている。芸術品や生活に役立つ物を生み出していた窯元が、戦争に巻き込まれ、あらゆる資源が兵器生産に投入された戦時中の状況を今も伝える貴重な場所と、研究者は評価するが、保存の計画はない。一方、残された手榴弾を平和について考えてもらうきっかけにしようという取り組みも各地で始まっている。(諫山卓弥、加藤丈朗)

 川越の陶器製手榴弾は、崖上から投げ捨てられたかのように数十メートルの範囲に集中する。破片を踏まずには川岸を歩けないほどだ。火薬や信管はないが、割れないで原形をとどめた物もある。

 立命館大学の木立(きだち)雅朗(まさあき)教授(窯業〈ようぎょう〉考古学)によると、陶器製手榴弾の製作は1944年から始まった。市内に当時あった「浅野カーリット」の工場に全国から陶器製手榴弾が集められ、火薬が詰められた。愛知県瀬戸市が95年にまとめた「終戦50周年記念文集」に収録された証言では、通常の手榴弾は半径7メートル内で殺傷能力があるのに比べ、陶器製手榴弾は半径3メートル内で人間を負傷させたという。

 終戦時、この工場がすぐそばの川に廃棄したものが、今もそのまま残っている。多くは球形で、高さ8センチ、重さ300グラムほどだ。工場の跡地は現在、農地や住宅になっている。当時の様子を伝えるものは、工場内の社が移されたという神社だけだ。

 川越市教委は、破壊され、捨てられた陶器製手榴弾は廃棄物に過ぎず、埋蔵文化財として保護の対象にするのは難しいとみている。現場を管理する埼玉県河川砂防課は、付近での工事予定は当面ないが、保存のための計画もないという。

 木立教授によると、ここ数年、川岸を掘り返したような穴が見られるようになり、よく似た手榴弾がネットオークションに出品されることがあるという。「陶器まで兵器にしようとした戦時中の混乱ぶりを生々しく感じられる貴重な場所。なんとか地元で保護してほしい」

■全国各地の窯元で製作

 川越で見つかる手榴弾は、色やうわぐすりの違いから、全国各地の窯元で作られたとみられる。一部に信楽焼を示す「信」の刻印があり、産地が滋賀県と特定された。

 円筒形、刻み目がついたものなど様々な形のものが各地で見つかっている。本土決戦に向け、生産地ごとに試行錯誤を重ねたためではないかという。木立教授によると、瀬戸焼(愛知)や益子焼(栃木)、九谷焼(石川)など有名な産地のほとんどで作られた記録や証言が残っているという。

 清水焼(京都)や美濃焼(岐阜)など数カ所の窯元からは、終戦時に埋められた手榴弾が、戦後の工事などで見つかっている。

 備前焼で知られる岡山県備前市の歴史民俗資料館には、人間国宝の故・山本陶秀さんが作った手榴弾が展示されている。円筒形でパイナップルのような刻み目がついており、終戦時に埋めたものを山本さん自身が後に掘り出し、市に寄贈したものだ。

 有田焼の産地、佐賀県有田町の歴史民俗資料館には、磁器製の手榴弾に加え、磁器製の爆弾といわれるものも展示されている。尾崎葉子館長は「窯元が戦争協力したことが進駐軍にばれるとまずいということで、資料などは焼却処分したそうですが、ロケット戦闘機用の燃料タンクなど、様々な軍需品が今も残されています」。

 防衛省陸上幕僚監部広報室によると、沖縄県内では今でも時折、火薬が詰められ、信管も装着された状態の陶器製手榴弾が発見されることがあり、陸上自衛隊の第101不発弾処理隊が処理しているという。発見時には、他の不発弾と同様の手順で処分されている。沖縄県平和祈念資料館には、那覇市内の海軍陣地跡から見つかったものなど計4点が保存されている。

 靖国神社境内にある遊就館には、激戦地の硫黄島から出土し、2002年に奉納された1点が展示されている。

■歴史伝える試みも

 高知市内の海軍基地跡からも、農作業の際などに相次いで出土している。周辺に配備されていた海軍部隊が戦後、連合国に報告するため作成した武器弾薬の目録によると、約2万個の陶器製手榴弾を保有していたとみられる。一部は市内の平和資料館・草の家で展示されている。資料館の福井康人理事研究員は、訪れた子供たちには必ず破片に触れてもらうという。「優しげな陶器の破片が実は、武器として作られたものだと説明をすると、子供たちの表情が真剣になる。こんな兵器がたくさん準備されていた恐ろしさを知ってもらいたい」

 戦時中に陶器製手榴弾の製造を手がけた藤平陶芸(京都)では2006年、手榴弾を模した一輪挿しを製造した。京都造形芸術大学の関本徹生教授が「かつては武器として作られたものに、平和への祈りをこめて花を生けてはどうか」と制作を持ちかけた。

 花を挿しやすいように上部の穴を小さくした以外は、本物の手榴弾とほぼ同じだ。藤平陶芸の末弘直道社長は「手に取った人に、焼き物の悲しい歴史を知って欲しいと思いました」と話す。約300個を製造し、在庫はあとわずかという。

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