優秀な連載記事だった「良い戦後70年・支配した国、強制の記憶」
伊藤智永氏の署名記事。
強制連行、徴用、そして強制労働の史実の掘り起こしと炭鉱事故被害者らの慰霊と顕彰、そして和解を巡る地域住民や企業とのやりとり。
「和解」の現場と現実を垣間見せてくれ、示唆されることが多かった。
日本全体の加害からすればこれは個別の事案に過ぎないが、そのたった一つの個別事案ですら、これほどまでの息の長い難しい努力が必要になる。その状況の背景に、日本政府の態度、歴史教育、我々の犯した差別と加害への我々の態度、という、広範な政治的社会的問題があることも伺えた。その意味で、個別事案に深入りできない多くの我々自身にもまた「和解」への関与者としてできること、すべきことが多いのだと考えさせられた。
決して抽象的に美しく「許し」を歌い上げるのではなく、被害者らと加害者らの心をつなぎ、それを社会的に受容させるためには、誠実に史実を掘り起こし、加害側の無理解をほぐす他はないのだと思わされた。
そんな感想よりも何よりも、まずは宇部で朝鮮人たちがどう扱われたのか、そして戦後、この史実はどのように受け止められたのかを知ることの方が遙かに重要である。その意味で、まずは読むべき記事である。
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ところで、この連載の前には、「戦後70年・「償い」という問い」という連載があった。
この連載は岸俊光氏の署名記事である。アジア女性基金を肯定的に捉え、和解や許しを実現するための被害者側の態度とは、という視点が比較的色濃く出ていた。
取材は丁寧に行っていた印象があるが、そもそも出発点となる視点や問題意識が間違っているために、焦点を外してしまい、どこの誰にどんな働きかけをしたいのか、そのメッセージの届け先が意味不明な連載になってしまっていた。
この連載で、毎日新聞の見識にかなりがっかりしたので、次に「良い戦後70年・支配した国、強制の記憶」が始まったとき、期待は全くしていなかった。ところが期待は良い意味で裏切られたわけである。今後も伊藤氏の記事、視点に注目していきたい。
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