生の豚肉の提供禁止とタバコの販売禁止
ブタ生肉食は「考えるに良い」か? | Where Angels Fear To Send Trackbacks
一方で、そういった「発展」がある種の人には暴力として立ち現れる、ということに、規制当局や専門家側は、もう少し配慮してもいいのではないか。この問題が話題になったときには特に何も思わなかったが、言われてみれば確かに禁止する・しないの間には恣意性がありそうだ。
……中略……
また、最近では科学的な規制を理由に、文化排除的な政策が行われることがある。
……中略……
今回の禁止措置に関して、それが理由の差別的措置であるとは思わないが、相対的に禁止措置に対する反発が封じ込めやすいという計算がなかったとは言えないのではないか?
生の豚肉を食べること……少なくとも店で提供すること……は禁止された。
その理由は「危険だから」ということであった。
ところで、喫煙が有害なことは知られている。では喫煙は禁止すべきか。少なくとも、タバコの販売は禁止されるべきか。
生肉の提供禁止が話題になった当時、店の人やお客たちやの反対論や困惑の声がテレビなどで報じられていたが、今思い出すと、それはタバコ禁止への反対論ととてもよく似ていたことに気がつく。
だが、タバコ禁止への反対論が慎重に取り扱われ、一方的な禁止ではなく社会的合意を優先する形で尊重されているのに対して、当時の生肉禁止への反対論や困惑の声は非科学性や情緒性の名の下にほとんど相手にされていなかったように覚えている。
有害性・危険性が知られているもののうち、あるものは禁止され、あるものは「個人の選択の自由」を優先して許容される。
この取捨選択において、表だった禁止理由が科学に基づくものであったとしても、そこに何らかの文化的な選択が忍び込んでいるのではないか。この指摘は確かにもっともで、考えてみるに足る論点だろう。
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