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2015/10/24

えん罪:氷山の一角とか、1匹見つけたら…とか言うが

自分が警察で取り調べを受けたときの経験から言うと、警察の調書には「型」があって、警官は、その「型」に合致するようなストーリーにはめ込みたがる。

警察が役所であり、日々多数の処分をこなしていかねばならない以上、警官や警察組織が、事務処理がスムーズに進みやすい「いつものパターン」を好むのは分かる。
私は調書作成に立ち会った経験が数度しかないが、その全てで、警官が、事件の経緯や現場の状況などについて、その警察的な作法で認識・解釈し、初期段階で自分が理解した事件のイメージに沿って、事情聴取・取り調べを進めているという感覚を強く持った。私が立ち会ったのは、関東や関西、九州などさまざまな地域の警察署でのことで、それらの全てで同じ感覚を持ったのだから、おそらくこうした傾向は全国的に共通しているのだろう。

警察が、事件や供述に予断と偏見をもって臨み、警察的に「分かりやすい」ストーリーを作ろうとする傾向は、行政官署であり、かつ大規模組織であるるゆえに払拭することはできないだろう。しかし、そうした傾向の不可避性とその危険性、そして自らが暴力装置であることへの無自覚さが、こうしたえん罪事件の連発の背後にある。

とはいえ、彼らの個人な認識や資質に問題を帰着しても事態の改善はほとんど見込めないわけで、せめて歯止めとなる仕組みを置かなければならない。取り調べの可視化はその意味でとても大切な意味を持っていたのだけれど。

つい先日もこんな報道があった。
強姦再審、男性に無罪 うその証言で服役 大阪地裁:朝日新聞デジタル(2015年10月17日05時00分)
容疑者の訴えを聞かず、申し立てられた証拠調べもせず、存在していた検査結果を「ない」とウソをつき……。
有罪の心証と自称「被害者」の証言を唯一の手がかりにして重刑を科してしまった事例。
そしてまた。

直接の証拠は捜査段階の自白だけで、「自白を裏付ける物証や客観的事実はない」という今回の高裁判断。そこに至るまでに20年を要してしまった。この人たちは、子殺しの汚名を着せられ、人生と家庭とを完全に破壊されてしまった。

追い詰められ…自白、20年信じた「無実」 再審維持:朝日新聞デジタル(2015年10月24日01時12分)

 放火して長女(当時11)を殺害したとされた母と内縁の夫の再審請求に対し、大阪高裁は23日、その訴えを認める決定を出した。同じ結論を導いた地裁からさらに踏み込んだ判断を示したが、検察側は争う構えを崩さない。逮捕・起訴から20年。2人の「無実」を信じ、帰りを待つ家族らの間には、喜びといらだちが交錯した。

20年前の放火殺人、再審支持 大阪高裁、釈放も認める

 「長かったですが、信じていたので、うれしかったです」。1995年9月に逮捕された青木恵子元被告(51)=和歌山刑務所で服役中=の長男は大阪市内で開いた記者会見で、29歳になる前日に出た高裁決定をうれしそうに受け止めた。

 青木元被告は決定を受けて面会した弁護士に喜びの表情を見せた一方、刑の執行停止が「26日午後2時から」とされたことには残念そうなそぶりだったとされる。釈放が長男の誕生日に間に合わなかったためとみられ、弁護士に「一緒に誕生パーティーできなくてごめんね、と伝えてほしい」と求めていた。

 青木元被告が逮捕された時、長男は8歳。優しかったという母親が三つ年上の姉にあたる長女(当時11)を殺害した疑いで警察に向かう姿をわけも分からず見送った。それ以来、青木元被告とのやり取りは手紙や面会だけで、寂しく、つらい日々を重ねた。

 長男は「事件のことはあまり考えないように」と意識しつつ、無実を信じ続けた。そうした歳月について「僕が信じないと、お母さんもつらいでしょう」と振り返る。釈放されたら何と声をかけるか、と会見で聞かれると、「おかえり、ですかね」。一緒に姉の墓参りに行き、「やっとお母さんと来られたよ」と報告するつもりだ。

 青木元被告と内縁の夫の朴龍晧(たつひろ)元被告(49)=大分刑務所で服役中=の無実を信じ、刑の執行停止によって釈放される時を待つ長男ら家族や支援者の思い。2人の心境についても弁護団は「20年という長期、2人は一日千秋の思いで待っていた」と明かす。しかし、検察側は高裁に異議を申し立て、再審開始を認めた決定についても争う構えを崩していない。

 検察側は今後の具体的な方針を明らかにしていないが、検察幹部は「全くの想定外ではない」と指摘。期限の28日までに特別抗告の理由となる憲法違反や判例違反にあたるかを慎重に検討するとしている。

 検察が刑の執行停止に対して異議を申し立てたことを会見後に知った乗井(のりい)弥生弁護士は「無罪になる可能性が高い人をさらに拘束する正義に反する行為。非常に残念だ」と批判した。

 日本弁護士連合会の村越進会長は「高裁は事故の可能性を具体的に指摘し、自白の信用性を否定し、自白を採る過程の問題点まで指摘した。検察官には決定を尊重し、速やかに再審公判に移行させるよう求める」との声明を出した。

■「帰られへんぞ」失意で自白

 「当分帰られへんぞ」

 朴元被告は一審の公判段階で、大阪府警の捜査員から任意同行後にそんな言葉を告げられたと訴えた。

 任意の取り調べでは「車からガソリンを抜いてまき、火をつけたとの鑑定がある」「火を付けたのを(青木元被告の)長男が見たと言っている」と事実と異なる説明をされ、焼死した長女の写真を見せられて「悪いと思わんのか」と迫られたという。

 さらに、任意段階では否認だった青木元被告について「もう全部しゃべってんぞ」と伝えられて気力を失い、小声で「やりました」と自白。そして逮捕後、「車庫にガソリン7・3リットルをまいてライターで火を付けた」とする供述調書に署名をしたという。

 23日の高裁決定も、自白の内容には犯人しか知り得ない「秘密の暴露」がなく、取調官の誘導や押し付けがあった可能性も否定できないと指摘した。

 検察側は高裁の審理で「朴元被告の記憶を度外視して警察が供述させたとは考えられない」とし、自白には信用性があると主張していた。決定後、捜査関係者は「高裁の指摘内容をしっかり検討する必要がある」と話した。

■「『事故』とみる姿勢欠いた」

《元検事の落合洋司弁護士(東京弁護士会)の話》 ガソリンを大量にまく危険な方法で自宅を燃やし、保険金を得るような筋立てが現実的でないことは捜査段階で気づけたはずだ。科学的知識や健全な感覚だけでなく、「事故」の観点で捜査する姿勢が警察・検察とも欠けていた。検察は警察から一定の距離を置き、自白がなくても起訴できる証拠があるか厳しくチェックしなければ存在意義がない。

■「無実の訴え、検討したのか」

《水谷規男・大阪大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話》 弁護側は新たな実験や証言の積み上げで自然発火の可能性を具体的に示したが、刑事裁判で立証責任を負うのは検察側であり、本来は検察がもっと早い段階ですべき作業だった。自白に頼って科学的な検証を怠った捜査は問題だが、自然発火説は当初の公判段階でも争点だった。裁判所も当時、無実の訴えを十分検討したかが改めて問われる。

■再審8件、すべて無罪

 最高裁のまとめによると、死刑か無期懲役の判決が確定した戦後の事件で再審が始まったのは8件。すべて無罪が確定している。

 再審を始めるべきか検討する際にも、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が適用される。最高裁は1975年、そんな原則を示した。これをきっかけに再審の重い扉が開くケースが増え、86年までに財田川(さいたがわ)事件、免田(めんだ)事件、松山事件、島田事件と死刑確定事件で次々と再審開始が決まった。

 その後、90年代前半から重大事件の再審決定は久しく途絶えた。2000年代に入ると、布川(ふかわ)事件や服役・出所後に強姦(ごうかん)事件の真犯人が現れた氷見(ひみ)事件などが続き、DNA型鑑定が決め手となった足利事件や東京電力女性社員殺害事件と、科学技術の進歩を反映した再審判断が目立つようになっている。

■再審無罪となった主な事件

《免田事件》

1948年に熊本県で起きた強盗殺人事件。死刑判決確定後、83年に再審無罪

《財田川事件》

50年に香川県で起きた強盗殺人事件。死刑判決確定後、84年に再審無罪

《松山事件》

55年に宮城県で起きた強盗殺人放火事件。死刑判決確定後、84年に再審無罪

《梅田事件》

50年に北海道で起きた強盗殺人事件。無期懲役判決確定後、86年に再審無罪

《島田事件》

54年に静岡県で起きた幼女誘拐殺人事件。死刑判決確定後、89年に再審無罪

《足利事件》

90年に栃木県で起きた女児殺害事件。無期懲役判決確定後、2010年に再審無罪

《布川事件》

67年に茨城県で起きた強盗殺人事件。無期懲役判決確定後、11年に再審無罪

《東京電力女性社員殺害事件》

97年に東京都で起きた殺人事件。無期懲役判決確定後、12年に再審無罪


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