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2015/11/29

福岡教育大学の教員処分問題について

「安倍はやめろ」「学長やめろ」で停職3ヶ月についての見解 on Strikingly(2015年11月27日)

以前下記のように意見を述べた件について当事者の先生から表明された見解である。
自殺する福岡教育大学:大学は政治的に偏向していてもよい。: 思いついたことをなんでも書いていくブログ

まとまった見解を述べる余裕がないので断片的な感想を。

・世間には受け入れられないだろう。また、火に油を注ぐ格好になっていて、本件を「政治的偏向」だと叩きたい人には格好のエサになるだろう。
・理路はそれなりに筋が通っているし、大学側の処分論拠が恣意的なことも分かる。

ただ、私自身としても一読して割り切れない思いが残る。
思想信条に沿って偏向した授業をすることは一向にかまわないと思うし、そもそも、この授業が「偏向」に該当するかもはっきりしない。けれども、
・コールの練習に学生を参加させようとしたこと
・コールの練習に、学長批判をとっさに混ぜたこと
が妥当だとは言えないのではないかという思いが残っている。

もちろん、仮に妥当でなかったとしても、それが懲戒処分に該当するかはかなり疑問ではある。私の今の意見は、仮に本件において授業内容に問題があったとしても、それを理由に懲戒処分することは本件においては不当だというものだ。

上記の授業内容への疑義は、十分考えていないのであまり論じられないが、
・授業において教師と学生とは対等ではないので、教師の指示で学生に行動させる場合には、思想信条の自由の侵害になる可能性があるのではないか。それは例えば日の丸君が代の強制と類似のことである。
・事前の文脈から安保法制反対は予期できたとしても、それに混ぜて学長批判を「練習」という形にせよ表明させられるということは、やはり学生の思想信条を尊重していないことになるのではないか。
というようなあたりが気になっている。

これらの論点については、講義のなされ方や受講者との合意(暗黙の合意も含む)なども絡んできて、どこまで文脈が共有されていたかが問題になるのではないか。
さらに、もっと根源的には、そもそも「大学の講義」とは何であるか、この科目はどういう趣旨の科目なのかというあたりとも関わるような気がする。

ご本人は、ラップでありジョークでありコールであって政治的ではないとしている。またその文脈は共有されていた(ジョークが受けた)という。しかし、私の意見としては、十分に政治的だし、政治的であってよい、政治的であらねばならないと思う、とりわけ、この種の題材を扱うのであれば。だから、授業の「偏向」を理由にした懲戒処分は正しくないと思う。ただ、この「ジョーク」やコールには全くおもしろさを感じないけれども。(まあこの授業や福岡教育大学の事情が分からないのでおもしろさが分からないということは大いにあると思う。笑いにはその場の乗りも非常に大事だし。)

もう一つ言うと、ご本人は、安保法制について賛否の踏み絵を踏ませたわけでもなく、賛成派を批判・攻撃したわけでもないという。だが、これは卒業式で日の丸を仰がせ君が代を歌わせる権力者の見解に類似しているように思う。もちろん、学生たちは先生の「ちょっと練習しようか」の呼びかけに対して、従わないことはできたし、実際に従わなかった学生も沢山いただろう。それに、従わなければ成績が下がるというような恐怖もほとんどなかっただろうから、日の丸君が代の強制とはかなり事情が異なる。日の丸君が代の場合は従わなければ懲戒処分だし、実際に君が代を声を出して歌っているかどうかをいちいち検査されるという念の入れようだからだ。このように大きな違いはあるけれども、それでもなお、教師という教室の支配者からの要求と、それに賛同する多数の――ジョークが大受けしたというのだから受講者の相当割合だったのだろう――学生たちの作る空気感とにあらがって非協力の態度を表明することには勇気が必要だったかもしれない。そうした点が気に掛かっている。

*****
この先生が処分を不服とし当局と戦うことは大いにやられてよいし、支持したい。
しかし、以上のような疑問がある。ただ、これらの疑問は直感的なもので、自分としてもその正しさが腑に落ちているわけではない。たぶん、授業や講義というものが思想信条の伝授・宣教という側面を本質的に持っていることと、受講者の思想信条の形成と自由の侵害という側面とについて、あまり整理できてないので混乱するのだと思う。これについては今後も考えて行かねばならない。


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