ポリアモリーの新書が出ていたのか
記事は2週間ほど前のものだし、出版はさらに半年ほども前のことらしいのだけれど。
ポリアモリー:互いに合意の上複数の人を愛する 米国での研究成果、新書に 横浜育ちの深海菊絵さん出版 /神奈川 - 毎日新聞(2015年11月03日 地方版)
横浜育ちで一橋大学大学院生の深海(ふかみ)菊絵さんが、互いに合意の上で複数の人を愛するあり方「ポリアモリー」についてアメリカでの研究成果をまとめた新書「ポリアモリー 複数の愛を生きる」(平凡社)を出版した。日本ではあまり知られていないテーマだけに、日本語で書かれた文献は少ない。深海さんは「愛もさまざまで、唯一の正しい形はないということを知るきっかけになれば」と話している。「ポリアモリー」という言葉は少し前に知った。考えさせられることが多くて興味深い。同書によると、ポリアモリー(polyamory)という言葉は、1990年代初頭にアメリカで作られた造語で、ギリシア語の「poly」(複数)とラテン語の「amor」(愛)に由来する。英語辞典では「同時に複数のパートナーと合意の上で深く関わる親密な関係を築く実践」と定義され、浮気とは異なる。アメリカには2009年の段階で約50万人のポリアモリー実践者(ポリアモリスト)がいるという推計もあり、多くの当事者グループが存在するという。
深海さんは大学時代に関心を持った「複数愛」を研究しようと、2007年に大学院へ進学。友人の話からポリアモリーに興味を持ち、研究テーマに決めた。フィールドワークのため、08年に3カ月間、11〜12年に10カ月間渡米。60人以上のポリアモリストに会い、インタビューと参与観察を行った。
夫婦と夫の恋人の3人が仲良くしているというポリアモリーの「現場」を初めて目にした時は、理解しているつもりでも衝撃を受けた。しかし20人ほどの実践者とは友人として時間を共にし、日常の中で彼らが時にけんかをし、互いに思いやる姿を目にしながら考えに触れるうち、深海さん自身の価値観が柔軟に変化していった。「なぜ自分だけを見てほしいと思わないのか」「嫉妬にどう対処しているのか」といった疑問もぶつけ、多くのポリアモリストが嫉妬を抱えながらもパートナーや仲間と悩みを分かち合い、自分自身や相手と誠実に向き合っていることを知った。そうした姿から学ぶことが多く、多くの人に伝えたいと出版を思い立ったという。
日本にもポリアモリストはいるが、アメリカとは異なり当事者グループの数も少なく、「困難を抱えているかもしれない」と深海さんは話す。本の刊行後、日本のポリアモリー当事者から「相談相手もおらず悩んできたが、生きる勇気をもらった」と感想が届いた。深海さんは「一人で悩む人に届くのはうれしい。当事者でない人も、自分とは違う生き方から得られるものがあると思う」と話している。【藤沢美由紀】
◇日本にも集まり
日本にもポリアモリーの人たちがいる。東京では2カ月に1回、高校生から中高年まで当事者らポリアモリーに関心のある人たちの集まり「ポリーラウンジ」が開かれ、悩みなどを語り合う。
主宰者で川崎市在住の会社員、上村沙紀子さん(32)は、2012年にポリーラウンジに出会った。初恋から現在まで、複数の人を同時に好きになった時期がほとんど。自己否定し、苦しみ続けたが、他にも同じ境遇の人がいると知って「救われた」と話す。運営メンバーで出版社勤務の文月煉(ふづきれん)さん(32)も、初恋からずっと好きな人は同時に複数いて、現在は妻の理解を得ているという。
上村さんは「ポリアモリーを広めたり勧めたりするつもりは全くない。ただ、情報も仲間もなく苦しんでいる人が大勢いると思うので、彼らに届くように活動を続けたい」と話した。
ポリアモリー 複数の愛を生きる (平凡社新書) | 深海 菊絵 | 本-通販 | Amazon.co.jp
ポリアモリー的な人…というと、サルトルとボーヴォワールを思い出したりする。
この前読んだ「サルトル『実存主義とは何か』 2015年11月 (100分 de 名著) | 海老坂 武 | 本 | Amazon.co.jp」によると、ボーヴォワールは嫉妬に悩んだそうで、独占したいという欲はヒトに本源的な性質なのだろうかと思ったものだった。上の記事によれば、ポリアモリーな人(ポリガミー)であっても嫉妬に悩むこともあるそうだから、そこはアンビバレントな感情の間で揺れ動かなければならないということなのだろうか。
ポリアモリーとは、主義主張として主体的につかみ取る生き方なのだろうか。それとも性癖または性質として生まれつき備わっているものなのだろうか。
自分のことをいうと、ポリアモリーに近いのではないかという気がする。一人を好きになって他が目に入らないということが今までなく、気になる人は常に複数だった。また、全くなかったわけではないが、強い嫉妬を感じることもあまりなかった。ただ、こうしたことが先天的な性質の反映なのか、生育歴の中で後天的に獲得した対人関係への姿勢によるものなのか、それとも「かくあるべし」という哲学的・道徳的信念によるものなのかは自分でも判然としない。
また、知人に非常に独占欲の強い人を知っているが、それもその人の生まれ持った気質なのか、その後の経験で培われたものなのか、道徳的・倫理的姿勢の表れなのかよく分からない。たぶん、それらがまぜこぜになっていて、だからたぶん、人の愛し方とか人間関係への姿勢とかいうものは、体質や気質と価値観や倫理観が入り交じって簡単には分離できない……言い換えれば、理非曲直を議論できないわけではないが、しかし事の善悪を判定できる分かりやすい基準を設けることもできないというタイプのものなのだろう。
この本の書評を探したら、上の記事に出た人のブログがヒットした。
書評:深海菊絵『ポリアモリー 複数の愛を生きる』 - 僕が生きていく世界
こちらもまた興味深いし、上記深海氏の著書へのよい視点を与えてくれている。
・本書で扱われているのはポリアモリー主義者であってポリアモリー当事者ではない
・本書が観察・分析したのは先鋭的なアクティビストであり、先鋭的的で行動的な人々に共通の集団特性を、ポリアモリーな集団の特性と混同している部分があるのではないか
これらの指摘は鋭いし、当事者でなければ気づきにくかっただろう。
おとぎ話の嘘つき男爵みたいに、未知の世界を探検してきた人の土産話は、その世界が自分とは異質で謎に包まれているというイメージが強いほど、……好奇心が刺激される存在であるほど……、鵜呑みにされやすいだろう。この指摘はそういうときの転びの杖になってくれる。
で、この人が上の私の疑問へ答えてくれている。
ポリアモリーは「性質」か、「主義」かという議論がある。その上で、日本社会の制約の中で、ポリアモリーを意識的に実践したり、実践しなかったり、不倫や浮気になったり、悩んだり傷ついたりという様々な生き方への広がりを思いやっている。
……中略……
実際には、「ポリアモリー」については「性質」と「主義」のどちらもがあり、それぞれが別個に存在しているのだ、と僕は思う。
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モノガミー的な人からすると、ポリアモリーを許容すると、本来そうではない人でも複数の人と関係を持ったり遊んだりするようになり、一人の人と深い信頼関係を作るという倫理が廃れてしまうとか、いくらでも裏切りができ、裏切っても罪の意識も持たないような人をたくさん生み出してしまう、というような警戒が起きるだろう。
そしてもちろん、「伝統的家族観」とやらを称揚する愛国保守なアレな人たちにすれば、それは戦後民主主義と日教組、共産党がもたらした退廃の象徴となるだろう。ただ、そういうヨタ話は措いておいて(もちろん政治闘争的には重要だけれど)、性愛を伴う人間関係を、複数の、しかも長期には揺れ動く関係の中で、どう取り結んでいけるのかという問題、また、人によって少しずつ異なるポリアモリーの程度と方向性をお互いに認め合いながら、お互いがお互いの「自分らしさ」をどう築いていけるのかという問題は、個人の生き方としても、また社会の有り様としても、大きく重要なテーマであると思う。
この点ではLGBTの問題も基本的には同じ問を投げかけていると思うが、「男」や「女」という性へ自分のアイデンティティを帰属させることに何ら疑問を感じないマジョリティにとって、ポリアモリーの問題はLGBTよりも遙かに身近で、自分たちの「常識」を揺るがすものと映るだろう。もしこの概念が日本社会に一定の市民権を得ることがあるとすれば、社会的実践としては「正しいポリアモリーの作法」のようなものを作り、それが受容されていくプロセスが必要になってくるのだろうか。
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人類学的な見地からは、ヒトは乱婚なのかどうかという論点があって、乱婚的傾向が強いという見地がある一方、それへの否定的見解もある。また、一夫一婦制もまた人類社会には広く見られる制度になっている一方で、もっと緩い婚姻関係や、複数との性的関係を容認する制度もある。
ヒトとはどういう性愛を持つ生物なのかという問には専門的知見を学ぶしかないだろうが、ただ、そのような知見が「私はどのような性愛を生きるべきか」という問や、「社会的に正しい性愛とは何か」という問への答にはならないということは留意しておく必要があるだろう。さもなくば、かつて社会進化論が犯したのと同じ誤りに陥ることになってしまう。
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