« 原発事故関連いろいろ | トップページ | 貴族として育てられるから貴族になるという話 »

2016/02/16

一億総株主社会

時事ドットコム:年金給付減額あり得る=GPIF運用悪化なら-衆院予算委・安倍首相(2016/02/15-18:32)

 衆院予算委員会は15日午後、安倍晋三首相と関係閣僚が出席して経済などに関する集中審議を続けた。最近の株価下落で年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の運用損拡大が指摘されていることに関連し、首相は「想定の利益が出ないなら当然支払いに影響する。給付に耐える状況にない場合は、給付で調整するしかない」と述べ、運用状況次第で将来的に年金支給額の減額もあり得るとの認識を明らかにした。

 民主党の玉木雄一郎氏への答弁。首相は「運用は長いスパンで見るから、その時々の損益が直ちに年金額に反映されるわけではない」とも強調した。

まあ問われればこう答えるしかないという側面はあるにせよ、このアベさんという方は本当に無責任な人だなあ…としみじみと思う。某弊社の取締役の方々のようだ。

はてなブックマーク - 年金給付減額あり得る=GPIF運用悪化なら―衆院予算委・安倍首相 (時事通信) - Yahoo!ニュース

こちらに怒りのコメントが並んでいるが、

・アベノミクス相場でかなりの運用益が出たのに給付額は増えてないんだが
・おいおい。リスクの高い投資に年金を投入しながらそういうことを平然というのか。
・カタイこと言えば、これ国民が訴訟おこせるよね?少なくとも「自今の年金の株式運用を差し止める仮処分申請」はできるのでは?
・ぶっちゃけ日経平均を上げるために年金をリスク資産にぶっこんだだけで、年金の増額を狙ったものでも何でもないからね。調子悪けりゃこういう発言も出てくるだろう。責任取る気もなかろうしさ。
・問題は、誰が運用の責任取るかがわからないこと。管理組合の会計みたいなものなんだから。
・怒ってる人たちのほとんどは今更怒ってるのではなく、前から言ってるじゃないか、って怒ってる人だと思うが、前に益が出てるんだからってドヤってた人も中にはいるのかね。

など、どれもその通りという他はない。
アベさんは「長期でやってるから短期の動静は関係ない」と言いたいようだが、いや、いくら長期でやっていてもバクチにつぎ込んだら資金もなくなるから。
運用の仕方が大事なので「変な運用になってないよね?」というのが本来の懸念。それを「ただちには影響ない」みたいな返答ですませるあたりが無責任なわけで。
サブプライムローンショックで積立金を失ったアメリカの人たちを思い出す。

元々の問題は、
年金は強制加入。国民に選択権はない。なのに、元本無保証の危険資産での運用にのめり込んで良いのか?
というところにあったわけだけど、年金にせよ税金にせよ、人様の虎の子を預かっているという意識もなく、アベノミクスの名の下にカジノ経済にぶっ込む軍資金だと思っているところに元凶がある。日銀も道具だと思っているみたいだし。
まあ、誰が安倍氏の経済政策を支えているのか知らないが、マクロ経済学を普通に勉強すると、財政・金融政策の原資は「俺が自由に使える政策手段」みたいに思ってしまっても不思議はない。どの教科書も、どのカネをどういじると経済がどうなるかという話に集中していて、そのカネが誰のもので、誰がそれをいじる権利を持ち、その権利の範囲はどこまでなのかという話をしている本は見たことがないからね。

閑話休題。

GPIFの話で前から気になっているのが、もちろん株価に年金が左右される不安の問題はあるのだけれど、株式市場の動向に国民の関心が向くようになることが怖くないか?ということ。言うまでもないが株式市場は企業利益と連動しているので、つまりは企業利益を損ねるような政策に対する国民の抵抗が増すのではないか。そして企業利益は国民所得分配上、家計、即ち国民とパイの分け前をめぐって対立する構造を持っている。もちろん家計と企業の関係は単純な対立構造のみではないが、対立する局面も十分あり得る。典型的には税収の調達先をめぐる対立や社会保障給付と産業支援支出との対立などがそうだ。こういう対立軸が政局的に焦点化した場合、我々は「大の虫を生かすために小の虫を切る」、すなわち、企業業績を維持するためには一部の弱者や文教への支出を削ってもよいという判断が起きやすくなるのではないか。あるいは、企業業績を維持できるのなら、労働規制を緩和して労働力を安価に使い倒すようにしても良いと思う人が増えるのではないか。そしてさらに風呂敷を広げて言えば、株価を維持するためには、国が株式市場をコントロールするために国家財政をつぎ込んでもいいと思う人が増えるのではないか。つまり、チューリップ相場が破綻しないように国が球根(の請求権)を買い続けるべきだという人が増えるのではないか。
「国は株価を維持するべきだ」という合意がある社会ってどこか異常な気がするのだが、どうだろうか?

経済は大事だが、人生は経済だけでできているわけでない。経済は人生の他の喜びを支えるものであって目的ではない。その非経済的な部分は経済原理と異なる原理が支えていて、公共部門はそういうところへの関与が大きい。経済的な利益の追求を基盤にすべき分野とそうでない分野の区別はなるべく付けておく方がいいのではないかというのが私の漠然とした感覚で、そうした区別を外した一例が赤字公債の発行と日銀引き受けではなかったかと思っている。GPIFの問題はそれに通じるもので、「異次元緩和」とかマイナス金利というのも、そういう区別、小さなタガを外す例の一つではないかという気がしている。

******
余談だけど、上のはてブのコメント記事の中に、

「年金は……(中略)……でも溶かしちゃったって事。」

というコメントがある。相場関係の話をネットで眺めてると、よくこの「溶かす」や「溶ける」という表現が出てくる。自分の資金を相場で失うことを表しているのだけれど、ちょっと違和感がある。「溶けた」というと「消滅した」みたいに見えるからだ。
実際には、そのお金は消滅したわけではない。まあ減価したという意味ではそういう面もあるのだけれど、手元の現預金が実際に減ったという場合、まあたいていは、他の誰かがその分を手に入れている。
年金基金の場合、我々が失うものが誰の手に渡るのかを意識しておくこともまた大事なのではないか。


« 原発事故関連いろいろ | トップページ | 貴族として育てられるから貴族になるという話 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/83801/63221069

この記事へのトラックバック一覧です: 一億総株主社会:

« 原発事故関連いろいろ | トップページ | 貴族として育てられるから貴族になるという話 »